第1章 シムス
Act 1
まさか、と思った。
相手はたったの一人である。だからよもやこんな一方的な結果になるとはシムス自身、目の前で起こった事実であるのにもかかわらず受け入れ難かった。
目にも止まらない速さで動きまわる一台の小型車両と戦って、三台の護衛がいっぺんに全滅し、二台のトラックは動けなくなった。分乗していたキャラバンの仲間たちはおおかた死亡か重傷を負った。怪我をしながらもなお反撃しようとした護衛の者は無慈悲にとどめを刺されている。そのやり方は徹底しており、非情だ。
他に生き残りがいないかと注意深く調べる襲撃者。横転したトラック、炎上した護衛車両のひとつひとつを見て回っては、生存者に向かって発砲している。そしてそいつは、シムスの乗る擱座したトラックのほうへも近づいてきていた。
助けを求めるのは不可能であった。
広大な砂漠の真ん中で、人っ子一人いない。どんなに声高に叫んでも、誰の耳にも届かない。ひしゃげた運転席に足を挟まれて逃げることもかなわず、間もなくやってくるだろう死の恐怖に顔面は蒼白に変じ脂汗が額から流れた。
(考えろ、考えろ、どんな命乞いをすれば助かるかを──)
足音がせず、殺気も感じない。かといって、どこかへ去ってしまった気配もない。襲撃者はどうしたのだろうと思ったとき、ふいに影がさした。すぐそばに一人の男が立っており、シムスは心臓が止まるほどギクリとした。
若い男だった。青年といっていい年齢だ。髭はほとんどなく、瞳の奥に得体の知れない光を宿していた。口元は動かず、感情は読み取れない。手にした軍用小銃は無骨なフォルムで、かざすだけで何者をも屈服させられそうであった。
こいつ一人に、キャラバンが全滅させられた……。人間離れした戦闘能力を持つこの男に、人間としての理性を持つ者として話ができるのかどうかわからない。おれの人生もここまでか、と思いながら、シムスは、
「ここから動けない。助け出してくれないか? トラックの荷台に欲しいものがあったら、なんでも持っていっていい」
半ば観念してそう言った。ここで殺されるかもしれない。可能性は五分五分……いや、もっと歩合が悪いだろうと覚悟した。
襲撃者はシムスをしばらく観察し、反撃の意図があるかどうかを見定め、
「積み荷はなんだ?」
と、訊いてきた。しわがれた、聞き取りにくい声だった。砂漠の過酷な環境で生きてきたため、というより、もう何週間も声を出していなかったような、錆びついた声だった。
「
シムスは正直に答えた。今さら積み荷が惜しいとは思わなかった。見逃してくれるなら、すべてくれてやってもよかった。目的地の豪族の町で売りさばく商品をかき集めるのにキャラバンの全員が骨を折ったが、命には代えられない。
「そうか」
襲撃者はそう短くうなずき、銃口を向けた。それはあまりにさりげない動作で、用がなくなったから始末する、とわかってシムスはあわてた。
「待て! これから水場に行くところだったんだ。積み荷に水はない。補給するためにそこへ行く途中だったんだ。トラックには水を入れるためのタンクも積んでいるだろう? おれを生かしてくれたら、そこへ案内できるぞ」
雪崩のように一気に言った。必死であった。ここであきらめてたまるかと、シムスは口をつぐまない。向けられた五・五六ミリの銃口の真っ黒い穴が、まるで地獄への入り口のようだった。そこから発射される弾丸は間違いなくシムスの頭を粉砕するだろう。
「誰にも知られていない水場なんだ。洞窟のなかに清水が湧いている。あんたも水はいるだろう?」
この砂漠地帯で水を得るのは簡単ではない。他にどんな品物を持っていても、飲み水が得られなかったために干からびて死んでいく者は後を絶たない。年々目に見えて拡大していく砂漠は、生き残った人類にさらに過酷な試練を与えた。
襲撃者はライフルの銃口をあげて背中に回すと、代わりに近距離で扱いやすい
シムスは生きた心地がしない。襲撃者の目は蛇のように感情を表さず、なにを考えているかわからない。水場のことを条件に出しても、なお人間らしい心を見せないその男に、黒く塗り潰したような不気味さを感じた。
襲撃者は、シムスの両手首を後ろ手に回して麻紐で縛った。痛みに悲鳴をあげても動じない、強くしっかりと念入りに。
それからその場を離れ、トラックの荷台に回り込んだ。戦利品の整理をするつもりのようだ。
シムスはすぐに殺されないことに、どうやら交渉はうまくいったらしいと安心した。言葉もしっかり通じるらしい。
ひしゃげた運転席に挟まれていて動けないというのに、このうえ手首を縛って自由にならないようにしたのは警戒心からなのだろう──そう解釈した。
旅賊が出没し、豪族警備軍が我が物顔で睨みをきかしている世の中だ。それぐらいの用心深さは当然だろう、とシムスも思う。
だが、このままではいけない。なんとかこちらに敵意がないことを信じてもらわなければ、自由に動けない苦痛が続くわけだし、いつあらぬ疑いをかけられて殺されるかわからない。
キャラバンを襲撃したときの様子を思い返し、その容赦のなさに身震いした。
人殺しをなんとも思わない人間には幾度となく会ったことはあった。今の世の中ではそんな人間がいても少しも不思議ではない。殺るか殺られるか、の世界なのだ。
国家も警察も国連治安維持軍も、地球上にはもう存在しない。十年ほど前に発生した
病嵐と呼ばれるウイルスの全世界的蔓延が、今でも地球上で猛威をふるっているかどうかは確認できない。感染対象である女性がほぼ死に絶えてしまっては、新たな感染はどこからも聞こえてこないからだ。ほんの数ヶ月でほとんどの女性が感染して死亡した。地球人口はいきなり半分を失った。人口半減はさらなる人口減少につながった。女性がいなくなったということは、すなわち、新たな命が生まれてこないことであり、人類は未来を失ってしまったわけである。生き残った男たちも、失意のなかで自ら命を断つ者が続出し、人口はその後の一年でさらに激減し、もはや統計さえとれず、世界人口は今や二十億か三十億かともいわれているが、誰も正確な数字は知らなかった。
それから十年がすぎていた。産業が衰退し、国家に代わって豪族と呼ばれる新たな秩序が興ったが、それは群雄割拠といえば聞こえはいいが、要は武装組織が縄張り争いをする弱肉強食の過酷な世であった。
奇跡的に病嵐に感染しても死亡しない女性もいたが、それはほんのわずかであり、そうなると、女性はもう人間扱いされず、高額で取り引きされる「商品」となった。力のある者が所有する「モノ」になったのだ。こうなると、もう人類社会はかつてのようには戻れない。
病嵐がなぜ起きたのかは今もわかっていない。おそらく永久にわからないまま、人類はあと数十年で滅びてしまうだろう。
それでも命にしがみつく。どんなに希望がなくとも、それが生き物の本能であり、シムスはその本能に忠実だった。
(とにかく、やつの信用を得るのが大事だ)
強盗犯人に対し信用というのもおかしな話だが、無慈悲に殺されゴミのように打ち捨てられるのを回避するには必要なことなのだ。
積み荷の整理をする襲撃者にシムスは声をかける。
「たった一人じゃ、作業が進まないだろう? 積み荷の内容についてはおれが知っているし、手伝うぜ」
そう提案しても、襲撃者はこちらを顧みもしない。
「おれは抵抗はしないし、ここは協調しないか?」
シムスの言動を無視していた襲撃者がやっと反応した。トラックの荷台から落ちて散らばった積み荷を確認する手をとめ、シムスに対した。
「そんな言葉が信じられるか。おまえはキャラバンの仲間をおれに殺された。その恨みがあるはずだ」
聞いていないのかと思っていたから、そんな正論が返ってくるのがむしろ意外だった。
「仲間か……」
シムスはつぶやく。いっしょにキャラバンとしてあちこち旅をしてきたが、帰属意識も家族的感覚もなかった。
もともと余所者だったシムスは、仲間を思う気持ちが育っていなかった。
「おれはもともとオアシスで商売をやっていた。そこを旅賊に襲われて、たまたま居合わせたキャラバンと脱出したんだ。それ以来、キャラバンの一員にしてもらったから、それに対する恩はある。けど、命をかけて仇をとるほどの義理はねぇさ。恨みなんかない」
「その言葉を信じろというのか?」
「嘘を言ってどうする」
「敵意がないと示しておいて油断したとたん撃たれるのは、間抜け以外のなにものでもない。おまえにとっておれが脅威であるのと同様に、おれにとってもおまえが脅威だからな」
「シムスだ」
「なに?」
「シムス。おれの名だ。あんたはなんて名だ?」
襲撃者は名乗らない。シムスは鼻白む。
「フン、まぁいい。動けないおれが脅威だと言うあんたは相当用心深いとみえるが、一方でおれたちを襲撃した手並みは大胆で、ちぐはぐな感じがするな。いったいどっちが本当のあんたなんだ?」
襲撃者は答えない。手の内をさらさないのもひとつの戦略だ。そうシムスは理解した。だがそれでは他人の信用は得られない。何者かわからないから、人は他人に恐怖するのだ。フレンドリーな関係を築くのは取引の鉄則だ。取引するのがモノでも命でも。
だからシムスはしゃべり続ける。自らの安全のために。
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