第10話      イシカワ ⑨

午後7時都内某所──




「はぁはぁはぁ…………」


 何とか現地集合に間に合った俺は、肩で息をして疲労困憊に陥っていた。


 その理由は、遡る事数時間前──可愛絆(ビッチ)との電話を切った直後から現在に至るまでに、様々な試練を乗り越えたからだ。




 試練その一。


 『化粧メイク』




 着ていく服装は適当に見繕ったものの、化粧はそうはいかない。当然だが俺は生まれてから餓死するまで、化粧など一度もした事はない。部屋に滝本移のメイク道具は鬼のようにあったが、当然メイク術などは持ち合わせてはいない。


 なので、俺は動画投稿サイトにアクセスし、『誰でも簡単メイクアップ講座♪』という動画を参考に化粧を施した。


 幸い、滝本移の美貌は薄化粧でも充分映える。更に、俺は一ノ瀬大作時代、ガ○プラ製作代行のバイトを経験していた為、手先は器用なので意外と難なくメイクが出来た。


 まさに『芸は身を助ける』だ。ヲタ技術が役に立った。




 試練その二。


 『店の場所』




 可愛絆(ビッチ)が、『いつもの店で』と告げ、詳細な店舗データを言わぬまま電話を切りやがったせいで、『いつもの店』を調べるはめになった。


 俺は滝本移のLINE、Facebook、Twitter、Instagram等、SNSにアクセスし、情報や画像を徹底的に調べあげ、よく行く店舗の統計を取った。その結果、導き出されたのが『大衆居酒屋 魚類魚(ぎょるぎょ)13』という店だ。




試練その三。


 『飲み代』




 『いつもの店』は判明した。が──飯を食い、酒を飲むには当然『金』がいる。一応、可愛絆(ビッチ)が快気祝いと銘打っている以上、あわよくば奢ってもらえる可能性もあるが、ワリカンだった場合、持ち合わせているのが浮いたタクシー代の残金では心許ないので、俺は滝本移の預金通帳を確認した。


 そこには一之瀬大作時代には見たこともない、驚愕の数字が印刷されていた──俺はその預金残高を見た瞬間、手が震え過ぎて、通帳を破りそうになったが、深呼吸をして、缶チューハイを一本空けて心を落ち着かせた。


 しかし──肝心な情報を俺は知らない。そう、『暗証番号』だ。


 親御さんに電話して聞く手段もあるが、今のご時世、特殊詐欺を疑われるかも知れない。面倒な事になったら困るので、その選択は却下。待ち合わせの時間は刻一刻と迫っていた。


 俺は滝本移のあらゆる情報から暗証番号に関する可能性が高い数字を割り出し、メモに書き留めた。そしてコンビニのATMに出向き、キャッシュカードを財布から取り出した。




 一か八かの勝負──




 覚悟を決めた俺は、キャッシュカードをATMに挿入した。しかし、そこでイレギュラーが発生した。緊張と切迫のあまり、『裏面』を上に向けてカードを挿入してしまったのだ。エラー音と共に戻されたキャッシュカードを手に取り、再び挿入に挑もうとしたその時──俺は衝撃的な光景を目の当たりにした。


 カードの裏面に油性マジックで四桁の数字が書かれている。


 『まさかそんな事……いやいや、いくらなんでもありえない、ありえない。アハハハハ』と、心の中で笑いながらキャッシュカードを挿入し直し、裏面に書かれていた四桁の数字を入力してみた。




 暗証番号だった。




 どうやら滝本移の危機管理意識は、昭和のご老人レベルだったようだ。きっと彼女は、『お醤油お借りしたいんですけど~』と言えば、簡単にオートロックを開けていたんだろう。


 という試練を乗り越えた俺は今、『大衆居酒屋魚類魚13』の前に居る。




<続く>

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