第8話       イシカワ ⑦ 

俺はレンゲで青椒肉絲と飯をすくい上げ、一口で頬張った。


 ………旨い。


 しみじみと旨い。


 シャキシャキとしたピーマンの苦味と、彩りに花を添える赤パプリカの甘味。そして、コリコリ感抜群のタケノコと、肉汁が染み出る細切りの牛肉。それらを甘辛いあんが包みこみ、口の中で米と共に踊る──


 まるで社交ダンスのように上品かつ情熱的な大人味。この青椒肉絲飯をまた食えるとは、夢にも思わなかった。


 そんな事を考えながら食べ進めていると、なぜか目の前に瓶ビールが置かれた。


「……え? あ、あの、頼んでないですけど」


「サービスデス。オネサン、トテモカワイイ。ソシテトテモオイシソニタベテクリルカラ、ワタシウレシデス。イヒヒ」


「あ、ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて……」


 ……マジか。なんと、チャンさんがビールをサービスしてくれた。この行動に俺は驚いた。何せ、一之瀬大作として通い続けていた時は、一度もサービスなんてされた事はないからだ。


 二十年来の常連客が、初めて店を訪れたカワイイ女の子に敗北した瞬間を垣間見た気がした。


 ローマは1日にして成らず……こんな名言すらも嘘っぱちに聞こえるぜ。


 まぁいい。俺はサービスで提供されたビールを飲み、口腔内をリセット。さぁ……メインディッシュに挑もう。


 大好物トップ3の栄えある第1位……叉焼麺だ。この満天という中華料理店が二十年続けてこられたのも、看板メニューである叉焼麺が絶大な支持を受けているからである。


 本来、ラーメンなどの汁物を食らう場合、提供された直後の熱々を頂く事が定石だが、唐揚げ同様ここのメニューはとにかく熱い。なので、比較的温度が低い青椒肉絲飯をまず三口程食べ、ほどよく熱気が落ち着いた状態の叉焼麺に挑むのだ。


 よし……ではいざ尋常に勝負!


 まずは軽く胡椒を振って、スープを一口……


 あぁ……旨い。コクのある豚骨ベースの白湯スープが、食道を脂でコーティングする。この作業が次なる工程、麺へ進む為のお膳立てとなる。


 俺は箸で麺をすくい上げ、一気にズババババ! とすすった。




 モムモム……ゴクン。




 ……旨ぁ。


 自家製だというチュルチュルの卵ちぢれ麺が、脂でコーティングされた食道で加速──急降下して、胃の中に滑り落ちていった。


 餓死を経験したからこそ、より一層旨い……涙が出そうだ。実際には涙ではなく鼻水が垂れそうなのだが、それをこらえて主役に挑む。


 そう……叉焼だ。


 旨味の塊であり、この器を支配する王様キングは、白湯スープという名の旨味マントを纏った。


 ……頃合いだ。さぁ、王よ──




 『世界線を越えてこい!』




 と、叫びたい気持ちを圧し殺しながら、俺は器という狭い世界から、虹の架け橋の如き箸さばきで、叉焼を最大限の敬意を表しながら口の中へ移動させた。




 じゅわ~ぁん。




 叉焼はたった一噛みで、爆ぜた──


 二噛み目、分散した叉焼群はピンボールのように、口腔内の壁に次々と当たり、旨味成分を塗りたくる。役目を終えた叉焼群は、喉奥へと追いやられ、胃に落ちていった。


 あああ……あ~ん、旨ぁああい。


 至福の一時。食事とは本来こうあるべきだ──悟りを開いたつもりの俺は、ビールで再びリセット。


 さぁ、二周目に参ろうぞ。スープ、麺、叉焼の極上ループを、器の底が見えるまで続けるのさ。


 俺はスープを飲んだ。




 ……あれ?




 ──何故かスープに雑味を感じる。そんな違和感がありながらも、俺は続けて麺をすすった。


 ちょ……何だコレ。


 麺に絡むエグ味──


 絶対におかしい……何やら器の中で『異変』が起きている。俺は箸で叉焼をよけ、麺を掻き分けた。すると、器の底から何やらブヨブヨした物体が浮かび上がってきた。




 は!?




 はぁ!?




 これは天かす……いや、衣……か? 更に箸で器の底をつつくと、何か弾力のあるモノが沈んでいた。


 それは長方形にカットされた肉塊だった。


 異常事態に戦いていたその時、厨房から熱い視線が注がれている事に気付いた。チャンさんが俺に向かって右手の親指を立て──「サービスネ」と笑顔で呟いた。その直後、チャンさんの隣で、しゃがみながらバイトの店員が何かを食べているのが目に入った。


 まかない……か?


 バイトの店員が食べているものに俺は注視した──


 どんぶり飯の上に何か乗せている。揚げ……物…………? まさか、この底に沈んでいる物体の正体はあれか?


 この店のメニューにあんな揚げ物は存在しないはず。ならば、可能性が高いのは近所のスーパーで購入した、まかない用のお惣菜……おいおいマジか?


 俺は温泉で入浴を堪能している最中にナマズをぶち込まれたような不快感を覚えた。何でこんな余計なサービスを……せっかくのご褒美が台無しじゃねーか。


 滝本移の美貌は、チャンさんの感覚まで狂わせてしまうぐらい破壊力があるのだろうか? しかしだ、ビールはともかく惣菜をラーメンに入れるなんて愚行を……


 ところで、コレ何の揚げ物だ?


 俺は箸で長方形の肉塊を持ち上げ、凝視した。


 鳥……いや、豚肉……っぽいな。そしてこの衣はパン粉…………?




 はぁあああ!!




 まさ、まさか……これは。


 このタイミングでまさかの発動──




 【異能:豚カツ】


 

 〈続く〉




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