第5話 イシカワ ④
数日後──
不慮の交通事故で意識不明の重体に陥り、死の縁をさまよっていた滝本移は奇跡的に回復。精密検査は異常無し、軽度の記憶障害と診断され、無事に退院。
そして、家族は歓喜に包まれた──
おっさんがインストールされている事など露知らず。
そんなこんなで退院した俺は、都内にある滝本移が一人暮らしをするアパートへ向かう為、タクシーを待っていた。
両親は車で送っていくと言っていたが、一人で帰れるからと、俺は送迎を拒否した。まぁ、ベタベタとくっついてくる妹と別れるのは少し惜しかったが、なにぶんまだ充分な情報を得られていないので、面倒な状況になる事を避けたのだ。
はぁ……とりあえず煙草吸いたいな。酒も飲みたいし、味気ない病院食ばかりだったから、油っけのある料理も食いたいな。
そんな欲求で頭の中を埋め尽くしていたら、タクシーがやってきた。俺はタクシーに乗り込み、視覚ウインドを開いて住所を確認──タクシードライバーに行き先を告げた。
あぁ、タクシーなんて贅沢な乗り物、何年ぶりだろうか。最後に乗ったのはいつだったか……あれは確か競馬で万馬券が当たり、そのままタクシーでキャバクラに直行した時だったな。そんで、一皿五千円の焼きそばを食べながら、ドンペリを飲料水代わりに飲んだなぁ。思い返せば、あの万馬券が俺の人生のピークだったんだろうな……
車窓を眺めながら、そんな過去の栄光を思い出していたら、「お姉さん入院してたの?」と、運転手が話しかけてきた。
「……え、えぇ。まぁ」
出た出た。俺はこういうコミュニケーションがとても苦手だ。タクシー然り、床屋然り。くだらない会話のやり取りほどうっとおしい事はない。せめてアンタがむさ苦しいオヤジじゃなく、美人タクシードライバーだったらよかったのに。
「何で入院してたの? 病気? それとも怪我かい?」
おいおいオヤジ、何で縁もゆかりもないテメーに、プライバシーを詮索されなきゃならねーんだ?
「えっと、交通事故に合っちゃって」
あぁマジでウザい。運転に集中しろよな。
「交通事故? それは大変だったね。でも退院出来てよかったじゃないの。おじさんも嬉しいよ~お姉さんカワイイから」
「あ、あはは……」
は? お前が喜ぶ意味がわかんねーわ。大体、会って数分のお前に喜ばれた所で、俺に何のメリットがあるってんだ。
段々苛立ちが募ってきた。
その後もクソみたいな会話のやり取りは続き、ようやく自宅のアパートに到着した。
「えっと……」
ダッシュボードの料金には【五千五百円】と表示されている。たった数キロ走っただけでこの金額か。やっぱタクシーは高いな。
俺は滝本移の母親から、タクシー代として手渡された一万円を財布から渋々出した。しかし、五千五百円もあれば何が食える? 行き付けの中華料理屋だったら、叉焼メンに餃子、レバニラ炒めに青椒肉絲飯、瓶ビールも二本飲めるよな。あぁ……腹減った。
「じゃあ一万円で……」
「代金はいいよ」
「え?」
「退院祝いだよ」
は? 退院祝い? コイツ何言ってんの? 今さっき会ったばかりの人間を祝う? 馬鹿なの? 死ぬの?
「……で、でも悪いですよ」
「いいのいいの、お姉さんカワイイからね」
俺は驚愕した。『カワイイから』ただそれだけの理由で、五千五百円のタクシー代が無料になるという。確か去年、居酒屋で十円足りなくて、店長にブチ切れされた事があった──
十円が足りないだけで罵詈雑言を浴びせられた俺が、カワイイ女の子になった途端、タクシー代無料ときたもんだ。
「え~、いいんですかぁ。ありがとうございまぁす」
その申し出に当然の如く甘んじた俺は、バックミラーに向けて渾身の笑顔をくれてやった。
おっさんは後ろを振り返り、「い……いいって事よ。また乗ってくれよな」と、精一杯カッコをつけて御満悦だった。
<続く>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます