第5話
皇歴1821年3月16日
リローケ大陸
アリーイタ皇国領 南東部
皇国都市【アブローン】郊外 シリギア王国軍第2軍本営
皇国・王国国境線のムストゥフ河から約150㎞皇国に入り込んだところに位置する地方都市アブローン。ここより東に街と言えるほどの人口密集地は、皇国にはない。
その郊外に王国軍前衛を務めている第2軍は司令部を前進させていた。
「攻勢再開は何時になる」
がっしりとした体格の割には短躯の高級将校が言葉を発した。
その視線は質問をした相手ではなく窓の外に向けられている。そこには下士官にどやされながら駆けている若者たちがいた。
王国軍第2軍参謀長ブルーノ・デ・バラッツァ少将は、下で唇を濡らしながら上官の質問に答えた。
「部隊の集結はともかく、弾薬、魔鉱石、食料、これら兵站物資の備蓄が足りません。集積に長くても3週間といったところでしょう」
切れ長の目、高く秀でた額。知性を感じさせるその顔は同時に親しみより近寄りがたさ……怜悧さを感じさせた。
短躯の男が、息を吐き出しながら振り返る。
その表情がブルーノの視界に入った。意外なことに第2軍指揮官ダニエレ・ロ・ヴェスプッチ大将は微笑みを浮かべていた。苦笑に近い。
「まさか皇国が避戦条約を律儀に守っていたとはな」
ブルーノは首肯した。
ブラントン避戦条約。約30年前の皇国の外相ジャック・ブラントンが締結まで持ち込んだ条約であった。皇国・王国・帝国の三国家間での大規模戦争……大戦とブラントンは呼んだ……を避けるための『戦略輸送手段制限条約』であった。
内容は、それぞれの国境線から100km以内に鉄道、舗装された幹線道路、大型船舶の接岸できる港湾の建設を禁止するというものであった。
面白いことにこの条約、国境付近への兵力の移動・駐留は禁じていない。
ブラントンは、侵攻に足るだけの軍事行動は、戦略輸送力を封じてしまうだけで実行できなくなると考える男だったのだ。
(もちろん批判はあった。反対者たちはむしろ積極的に各国を経済的に結び付ければ戦争など起こせないと述べたが、ブラントンは「人間の損得勘定は金だけでするものではない。他人から損にしか見えないことでも多くの人間は平然とやるものだ。」と反論している。)
とはいえ、締結から10年以上経つと王国と帝国はなんやかやと言い訳を作り、鉄道を建設。国境線までの輸送力を確保していた。
皇国だけは違った。
北方の帝国領へは、接しているのが同盟国(事実上の属国)のプーケ共和国であったからその首都までは鉄道線を確保していた(帝国臣民の皆さん。誤解なさらないでください。プーケとの平和と発展のために建設したのです。と当時の皇国首相ケネス・マーチンは弁明している。)が、アブローン以東の王国国境線までの約150kmはまったくの手付かずであった。
これは元々人口密集地が少ないこと、この付近が雨季に泥濘となるため建設・維持費用が高くつくこと、皇国内の自然保護活動家たちが、東部の湿原開発に反対運動をおこし社会問題化したことなど様々な要因があってのことなのだが、侵攻以後、そのせいで補給が滞っている王国軍にとっては誠に笑えない現実であった。地面の下のブラントンが笑っているのか悲しんでいるのかはわからないが。
王立諜報庁は戦前にこの事実を正確に報告していたのだが、政府も軍も皇国の欺瞞工作だと断じていた。人間は自分の常識でしか相手を測れない。
「まぁいい。今更どうしようもない」ダニエラは何かを振り払うように腕を振った。
「はい。海軍は既に第三次輸送隊を派遣しています。来週には南の港町……ズウィーシに到着するでしょう。第四次も物資を積載中のはずです」
「頼もしい限りだ」ダニエラの口の端はつり上がっている。
欺瞞行動のためにシリギア海に主力を派遣していた王国海軍に動ける船は大してない。一度に出せる輸送隊の規模は知れていた。
「海軍も努力はしていますよ、ダニー」
上官を窘めるようにブルーノは言った。
「努力」そういうとダニエラは口の端を震わせた。
「是非ともこれからも一層努力をしてもらいたいものだ。なにせ、戦争なのだからな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます