寝耳に水

【ロイ視点】

 

「……辞める?」

 

「はい、今週一杯で。マリリンには1ヶ月以上前にはその旨伝えて了承を得ておりましたが、ご主人様やサラ様にも直接お礼を申し上げねばと思いまして」

 

 ある晩、夕食の席でチーズハンバーグが出たので私とサラがご機嫌で食べ終え、食後にまさかのチョコレートムースが出たので、サラと何かおかしいぞと顔を見合わせた時にシシリアが辞めると言う話を始めたのだ。

 

「ど、どうしてやめちゃうの? シシリアは家にずっと居てくれると思ったのに。

 私、もっとチョコレートをがまんしてシシリアに怒られないようにするからやめないで!」

 

 サラが半泣きでシシリアに飛びついた。

 何の確約がある訳でもないのに、私もサラの言うようにシシリアがずっと家に居るものだと思っていた。

 給料か? 給料の問題であろうか?

 

「シシリア、もし給料がいい所に変わりたいからと言うのであれば私の所でも──」

 

「まあとんでもない! この屋敷では使用人に対して厚遇過ぎる、ともっぱらの評判ですのよ?」

 

「だったらどうして……」

 

「私は思いましたの。

 サラ様とご主人様のダイエットに関わりまして、御二人とも輝くような美少女と美丈夫の紳士淑女に変わられましたでしょう?

 それで、他の痩せたくてもなかなか上手く行かないと言う方々のサポートをしつつ、ご主人様やサラ様のように甘いものも大好きという方にも手を伸ばしやすい、ちょっと食べすぎても大丈夫というヘルシーなスイーツを提供できれば、と」

 

「……そうか。シシリアにはもう次の目標があるんだね」

 

 それじゃ今から体重を戻すからもう一度……と思ったが、それではシシリアの何年もの努力が水の泡だ。

 それに、以前亡くしたという大切な友人の事もあるのだろう。

 

「……シシリア……うぇ……」

 

「まあサラ様。淑女ともあろう御方が鼻水垂らして泣くのは頂けませんわ。せっかくの可愛らしいお顔が不細工になってしまいますもの」

 

 ポケットからハンカチを出してサラの顔を拭うシシリアは、そんな事を言いながらも自分の方が目を潤ませていた。

 

 それがシシリアの夢ならば、身勝手な自分の欲で引き止める事は出来ない。

 

「シシリア……4年もの間、本当にありがとう」

 

 私に言えるのはそれしかないではないか。

 

「私の方こそ、貴族崩れの平民を雇って頂けてありがとうございました。私が今まともに生きていけるのは、ひとえにご主人様のお陰ですわ。

 ご恩は一生忘れません」

 

 シシリアはそう言って微笑むと、メイド服のスカートの裾をつまみ、見事なカーテシーを披露した。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 シシリアが屋敷を出て3週間。

 

 私は書斎でぼんやりと外を眺めては、今までなら木にゴムで縛られたサラが、シシリアに励まされてほふく前進をしながら当たりのおやつに向かってずりずりと進んでいるのを見られたのになあ、などと思い苦笑する。


 普通はもっといいシチュエーションを思い出すものなのだろうが、私が思い出すシシリアは、食べ過ぎた私を怒っていたり、サラをからかって遊んでいたり、れつごーれつごー言いながら私たちに運動をさせている飄々とした顔である。

 

 

 はあー……。

 

 

 無意識にため息がこぼれる。

 

 その時、コンコンとノックの音がして、

 

「おじ様、いいかしら入っても?」

 

 とサラが呼び掛けた。

 

「お入り」

 

 カチャ、と扉を開けて入ってきたサラは、グレーの運動着姿で、額に汗が浮かんでいた。

 シシリアが居なくなってサボるかと思っていたが、サラはキチンと運動も食事の食べ過ぎも気をつけている。

 

「ねえおじ様、どうしてシシリアをそのままやめさせちゃったの? おじ様は私と同じでシシリアを好きなのかと思っていたのに」

 

「──好きだよ。でも、シシリアはやりたい事があるって言ってただろう? 邪魔をするのは良くない事だ」

 

 私の好きは、サラの言う好きとはちょっと違うかも知れないけれどね。

 

「……前にね、シシリアにも聞いたの。太っててもおじ様が好きなの? って。

 そしたらとってもすてきだし大好きだけど、身分が違うんだと言ってたわ」

 

「……そうか」

 

 別に好きで侯爵なんて爵位になった訳じゃないけれど、代々受け継がれてきたものだから、こればかりはどうにもならない。

 

「私も勉強して少しは分かったのよ。……でもね、私はシシリアといたいのよ。なかなかチョコレートくれないし、ゴムでくくられるし、謎のお宝の地図とかいって私をえんえんと屋敷の探険させたりして、結局見つかったのがアーモンドチョコ2粒だったりしたけれど、それでも楽しかったのよ」

 

「うん、分かるよ」

 

「──平民だと、本当にダメなの? おじ様がシシリアを好きでもどうにもならないの?」

 

「……うーん、本音を言えばね、私はシシリアが平民だろうと貴族だろうとどっちでもいいんだ。親族の反対が起きたって構わないんだよ。だってこの領地は私が守っているんだもの、私の意見が最優先だろ?」

 

「それならっ──」

 

「だけど、シシリアはそれではいけないと思っている。貴族たる者、相手には相応しい立場というものがあると。彼女は頑固だろう? 私がプロポーズしても絶対に断られるのは目に見えているんだ」

 

「……そうね、とてもガンコだわ」

 

「だから困っているのだよ」

 

 シシリアさえ頷いてくれれば、後は私が何とでもするものを、恐らくこのままで彼女が頷いてくれるとはとても思えない。

 

「シシリアに会いたいわ……」

 

「私もだよ。……そうだ、会いに行こうか、変装して?」

 

「へんそう?」

 

「そう。そっと店で働く彼女を陰から見に行くくらいなら許してくれるだろうシシリアも」

 

 店の場所はマリリンから聞いていた。

 

 ご主人様やサラ様が来るとやりづらいから内緒にしてくれと言われていたそうで、最初はかなり渋られた。

 

「私はいつも一生懸命なあの子が好きなのです。

 ですから、ロイ様が本気であの子を特別に思っていて、大切にするつもりがないのであれば、知らないままの方がよろしいかと思います。

 不幸になるのはもう充分経験してますからね。心穏やかに暮らして欲しいのです」

 

 マリリンはそう言って私の頼みを最初は突っぱねたが、何とかそうならないように努力をしたいんだ、と何度も頼み込んでようやく教えて貰ったのだ。

 

「店を外から眺めるだけだよ? それでも行くかい?」

 

「行く! シシリアが元気な姿が見られればそれだけでもいいわ! 急いで支度するから待ってておじ様!」

 

 サラはパッと身を翻すと書斎を飛び出して行った。

 

 

 まだどうアプローチすればいいのか思いつかなかったが、私も無性にシシリアに会いたかった。

 

 

 

 

 

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