シシリアの新たな道

 1日休みの日。

 私はイライザと町で待ち合わせていた。イライザたちの勤める伯爵家では事前に言えば休みの日を調整できるそうで、申し訳ないと思いつつも不動産屋に付き合って欲しいのだ、と伝えて日程を合わせて貰ったのだ。

 

 私は社会人としての経験値が少ないし、不動産屋で大きなお金を動かそうと言うのだから、頼れる人と一緒に行かないと不安でしょうがない。イライザは29のしっかりした大人の女性だ。16から働いているし、こういう時とても頼りになるのである。

 

「イライザ、ここよ」

 

 待ち合わせのカフェの入口できょろきょろと私を探しているイライザに手を上げると、笑顔になり私のいる席まで急ぎ足でやって来て頭を下げた。

 

「シシリア様、申し訳ありません!

 乗り合い馬車が途中で溝にはまりまして……」

 

「いいのよ、やだそれよりもイライザは怪我はしなかったの?」

 

 やって来たウェイトレスにコーヒーを頼むと、私は大丈夫ですわ、とハンカチを取り出して額の汗を拭った。

 よほど急いだのだろう。慌てなくてもいいのに。

 

 この世界は携帯もないし、突発的に何かあった時の連絡手段がないのが不便なのよね。

 日本に住んでいたならメールや電話などの手段があるけれど。でもイライザが無事であればそれでいい。

 

「──それにしてもシシリア様、お店をやりたいと言うのは以前から伺っておりましたが、随分と早くありませんか?」

 

「そうね。でもそこそこお金も貯まったし、これから先の事も考えないとね」

 

「ですが……よろしいのですか? サラ様や……グロスロード侯爵様の事は」

 

 イライザは私のご主人様への想いを知っている。

 まあ会うたびに如何にご主人様が優しくて魅力に溢れた素晴らしい方かを力説されたりすれば誰だって分かるだろう。何よりイライザは私の親友であり、幼馴染みであり家族同然なのである。

 

「サラ様にはもう子守りは必要ないもの。

 ご主人様もダイエットが成功してすっかり以前の面影もないのよ。釣書も山のようだし、惹かれている女性もおられるようだし、私のような貴族崩れの平民が憧れていた所で先はないもの。思い切りも必要よ」

 

「シシリア様は私の自慢のご令嬢ですわ。平民になった今でもそれは変わりません」


 イライザはご両親さえご健在ならば、きっと今頃は結婚してお子さまもおいでになったでしょうに……とうつ向いた。

 

「やあね、結婚してたかどうか分からないわよ。それに、私は自分が誰かの役に立てたと言うのが嬉しくて、自信にもなっているのよ」

 

 サラ様も痩せてとても可愛らしくなり、将来は確実に美人の淑女になるに違いないし、ご主人様も別人のようにスマートなイケメンになった。

 相変わらず美味しそうにご飯を食べる姿は癒されるけれど、社交界で容姿端麗、頭脳明晰、財力もあると三拍子揃ったご主人様は、若い淑女の間では恐らく【イチオシ物件】になったであろう。

 

 その手助けが出来ただけでも光栄に思わなければ。

 

「本当によろしいんですのね?……まあ奥様が来られてもお辛いでしょうしね。

 ここは一つ、お店を大繁盛させて、実業家として素敵な殿方を捕まえましょう!」

 

 私はちょっと笑ってしまった。

 

「殿方は当分いいわよ。でもお店は繁盛させたいわ。それにはまずいい物件を探さないとね。予算に合ったレベルの」

 

 私とイライザは連れ立って不動産屋を回り、何軒か見たが、その中の1つに、メインストリートからは少し外れているが、丸テーブルが3つ置ける程度のイートインも出来る元パティスリーだった小さな店舗兼住宅を見つけた。

 

 住宅といっても2階に6畳ほどのワンルームとバストイレと3畳程の倉庫に使える小部屋があるだけだが、私1人なら充分だ。

 何よりも店舗の窓ガラスが大きくて、店の中が良く見えてとても明るい印象を受ける。

 ケーキなど売り物を並べるガラスケースも大きい。厨房にもゆとりがあるしオーブンも傷みは余りない。交換は必要なさそうだ。

 

 だが聞くとやはりなかなかの金額だった。

 毎月の家賃は予想していたほど高くはないが、契約すると今まで貯めていたお金の8割方が消えてしまう。

 壁紙などの内装は若干古くさく感じるので改装が必要だし、暫くの運営費用は残さないとすぐ首が回らなくなってしまう。

 かなり惹かれるがこれはダメか……と私はため息をついた。

 

「とても素敵だけど、今の私にはちょっと無理だわ。

 イライザ、やっぱり少し狭いけど前の元パン屋さんだった所に──」

 

「シシリア様、ここは住宅街と隣接してますし、ちょっとお菓子を買いに行こうと思った時に便利な所かと思いますわ。小さいですけれど明るくて中が良く見えるし、お子さまにも見やすくて母親へおねだりしやすくなりませんか?」


 イライザはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

 

「ふふっ、そうね。ママこれ食べたい、とかね。

 でも、ちょっと予算がね……」

 

 イライザは、言い出しにくそうに続けた。

 

「シシリア様……あのう、もし宜しければ費用を半分ずつにして、私と共同経営という形にしませんか?

 私は一人で居るのが楽になってしまって、結婚する予定もその気持ちもありませんし、それなりに貯金もしております。

 でも今の仕事を辞めた後に、自分の心の拠り所になる場所が欲しい、と最近思うようになりましたの。

 シシリア様から頂くスイーツは、野菜を使った物も多くて、とてもヘルシーで美味しいです。

 きっと売れると思ってるんです私。先々店ごと買える位稼げると思いますわ。ですから先行投資という形でも構いません。

 人手が足りなくなったら、私が伯爵家を辞めてこちらに雇って頂きに参りますので、高めの給料で雇って下されば結構です。──まあこれは冗談ですけれど。

 ……シシリア様、本当にやりたい事がある時に、1つ妥協をしてしまえば、それからもずっと妥協をしてしまいやすくなります。そしていつか求めていた満足感や達成感は、別の何かに形を変えるのです。

 それにもし失敗したとしても良いじゃないですか。シシリア様も私もまだ若いんですから、失敗を糧にまた頑張れば良いんです。

 ですから妥協するのは止めましょう?」

 

「イライザ……私、いい友人を持ってるわね」

 

「嫌ですわシシリア様、今頃気づかれたんですか?」

 

 私はイライザに抱きついた。

 

「ここを借りましょう! イライザ、これから共同経営者としてよろしくね!

 イライザもメイドの仕事があるし大変だとは思うけれど、是非協力をお願いしたいわ。

 絶対に成功させるから!」

 

「当然ですわ。私は老後の資金をここで稼ぐんですから……嫌ですわ泣かないで下さいシシリア様」

 

 そういうイライザも目元をハンカチで押さえていた。 

 

 

 

 私の新たな道は拓かれた。

 

 私はメイド道からパティシエ道へシフトチェンジだ。

 報われぬ恋で後ろ向きに生きるなど私の辞書にはないのである。

 

 低カロリーで美味しいベジタブルスイーツを広めて、ダイエットに苦しむ人のサポートををするのが私の第2の任務である。

 

 れつごーれつごーシシリアれつごー!

 

 

 

 

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