ご主人様は懐も大きかった

 私は気合いを入れ直しご主人様の書斎をノックした。

 

「お入り」

 

「失礼致します!」

 

 私が書斎の中に入ると、ご主人様は書類を見ながら流れるようなスピードでサインをしては新たな書類を読み、眉間にシワを寄せてサインをして、という【この人デキる】オーラを放っていた。

 

 仕事の出来るクマさん……ワンダホーという言葉しか出ない。

 

 といってピリピリした空気が漂っている訳でもなく、マイナスイオンがフル稼働しているような心洗われるような穏やか~な空間である。

 

 恐らくご主人様が本来持っている性格的なものといった感じではなかろうか。

 しかしご主人様は忙しい。

 領地が広い分、管理や処理する仕事も膨大だ。

 

 ここは早速本題に入ろう。

 

「ええと、君は確かサラの子守りで新しく入った子だよね? 不在の時に来てもらって悪かった。

 私がロイ・グロスロード。ここの当主であり、サラの義父になる。一番長く居てくれているらしいね、ありがとう。

 サラは体が弱いから色々と面倒をかけてしまうと思うけど、よろしくお願いするよ」

 

 柔らかく微笑んだご主人様は、まだ25歳だと聞いているが、その若さとは思えない落ち着いた口調で、声も聞いてるだけで耳に心地いい。

 

 おっと、お忙しいご主人様の時間を奪ってはいけないわね。

 

「それで、何か相談事かい?」

 

「はい……その、実はサラ様の事なのですが……」

 

 

 私は自分の考えと、親類が同様の症状だった事を伝えて、食生活を見直して運動などを適宜行えば、体調不良は改善されると思う事を伝えて、私にサラ様の食事などをお任せ頂けないか、とお願いした。

 

「新参者でございますから、前からおられるマリリンさんたちのように信頼して頂くのは難しいかと思います。ですが、苦しい思いをされているサラ様を見ていると心が痛みますし、改善できる可能性があるのにやれないというのは、個人的にも辛いのです」

 

「……そうか……確かに、前よりはふっくらしてきたとは思っていたのだが、なるほど食事か……」

 

 思わしげな顔で目を閉じたご主人様は呟いた。

 

 

 ……ふっくら? もうそういったライトな表現ではないと思いますけども。完全にボーダーラインは越えております。喉元まででかかったが耐えた。

 姪っ子に対する愛情が目を眩ませているのだろう。

 

「本当に、元気になれるのかい?」

 

「はい。少なくとも今よりはかなり良い状態にする自信はございます。……ただ、お子様ですので、体重も一気に落としてはかえって負担がかかりますし、体の弛みが出る可能性がありますので、1年ほどを目安に考えております」

 

 私は月に1~2キロ、年間で15キロ程度の減量を考えていた。急に減らそうとすればサラ様が好きな肉やお菓子などかなり制限をかけてしまう。

 

 ストレスが溜まるのはよろしくない。

 

 そして適度に運動してると思わせないように体を動かして貰えば、筋力の衰えもないだろうし、脂肪を減らした事による弛みも防げるだろう。

 まあ子供の皮膚だからそんなに心配はしていない。

 前世で読み漁った本の知識、料理の腕を活かす時である。

 

「うーん……信じたいのは山々なのだけどね……」

 

 やはり、まだ新入りだから、簡単に信用してはくれないよね。

 

「ご存知かも知れませんが、私は元子爵家でございました。両親の他界で平民になりましたけれども」

 

「……ああ、聞いている」

 

「今、サラ様は7つ。まだまだお子様でございますが、侯爵家に入られたという事は、社交界へのデビューも訪れる、という事です。ここまではお分かりでございますよね?」

 

「うん、そうなるね」

 

「もう10年もございません。そして、その時に今のまま成長された場合、体の不調が悪化している可能性が高いばかりではなく、あのお体のままでは殿方に別の意味で注目を受ける可能性がございます。

 そして、若い女性というのは自分を引き立たせる対象を見つけるのが得意です。

 かなりえげつない事をしたり、やんわりと嫌味を言ったり辱しめるのが趣味のような方もいるのです」

 

「……分かるよそれは」

 

 私はこの世界での経験談を語っている。

 家の格がどうの、髪がボサボサだの顔やスタイルが悪すぎるのと、まー驚くほど性格が悪いというか歪んでいる令嬢もかなりいるのである。

 

「お母様が亡くなられたのは残念ですし、同情もあって大抵の事は許してしまうお気持ちも分かります。

 ですが、これはサラ様の健康はもとより、この先の女同士の醜い争いや陰湿なイジメ、殿方からの冷ややかな視線を回避する目的もあるのです。

 仮にも侯爵家の令嬢であるサラ様が、そんな貶められ方をするなどあってはならない事なのです。

 今甘やかしても、この先のサラ様にいい事は何一つございませんわ」

 

 この熱意を分かって欲しいとばかりに思わず机に身を乗り出してご主人様に詰め寄る。

 

「っ、うん、分かった! 分かったから落ち着こうか」

 

 ご主人様は慌てて椅子から立ち上がり、私を宥めた。

 

「……確かに、私も心配してなかった訳ではないんだ。

 ただ仕事もあるし、不在がちでなかなか可哀想なサラの傍に居てやれないから、甘やかしていた部分はあるのは認めるよ。

 でも、だからって1ヶ月働いただけの子に全面的に安心して任せられるかと聞かれればノーなんだよ」

 

「そうです、よね……」

 

 

 ──まあ、ご主人様の仰る事ももっともで、私が養母だとしても簡単に信頼は出来ないだろうなあとは思う。

 

 

 私は深く頭を下げた。

 

「かしこまりました。私も気が急いてしまいお忙しい所を押しかけてご迷惑おかけ致しました。

 こちらでもっと働いて、ご主人様に信頼を得られるようになってから改めてお願いに参ります」

 

 仕切り直しだ。私は諦めないぞー。

 

 

 書斎を後にしようとした私に、

 

「せっかちだね君も。ちょっとお待ちよ」

 

 とご主人様が呼び止めた。

 

「……3ヶ月だけ」

 

「……はい?」

 

「1年を目安にと言っていたが、3ヶ月あればサラの健康状態が変化したり、体型とかもその、少しは変わるだろう? 君が自信を持って言うぐらいだから。

 ……ええと、君の名前は確か……」

 

「シシリアでございます」

 

「そう、シシリア。

 3ヶ月だけ時間を上げるよ。ただ絶対に泣くほどの無理強いだけはしないでくれ。

 それさえ守ってくれれば、私はシシリアにサラへ食事を作ったり、お菓子を与えたり、運動させる許可を与えよう。3ヶ月後に改善が見られたらまた3ヶ月継続で構わない」

 

「……本当ですか? ご主人様……」

 

 3ヶ月。3ヶ月あれば絶対に改善できるはず。

 

 私はその場で土下座をして涙がこぼれるのも構わずお礼の言葉を絞り出した。

 

「あり、ありがとうございますご主人様!

 私、シシリア・アークは家の名誉にかけても必ず結果を出して見せます! ああもう家は関係なかったわ! シシリア・アーク1個人として全力を尽くします!!」

 

 前世では遅すぎた勉強も、ここでは役に立つのだ。

 いや、絶対に役立たせて見せる。

 お願いしてみて良かった。

 マリリンの言う通りだったわ。何て人間の出来たご主人様なのだろうか。

 

 初めてお会いした時に私の今世のグッドルッキングガイぽちゃ部門ぶっちぎり第1位だと思ったけれど、甘かった。殿堂入りだったわ。

 

「土下座はやめておくれ、私が叱りつけてるみたいじゃないか」

 

 苦笑したご主人様は、私を立たせると、

 

「頑張っておくれよ」

 

 と頭にぽん、と手を置いた。

 それがまた絶妙な重みで、ますます私のご主人様の株ははね上がるのだった。

 

 

 それに加えて内心では冷静に考えていた。

 

(よし、言質は取ったわ……サラ様、楽しみにしてて下さいね、シシリア全力で行きますよお)

 

 と含み笑いをしつつ、あのお金を使う日が意外に早かった事に少しだけ切ない気持ちになるのだった。

 


 

 

 

 

 

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