第6話 龍人族

龍人族ドラゴニュートの長であるドラゴ・フブリス男爵は、魔王城近郊に進軍拠点を構え、その龍神族特有の翼を以って遠巻きに進軍を眺めていた。


地上から見れば雲の遥か上空より隊列を組んだ軍隊が突然現れる光景。雲を貫き現れるその姿は魔族領の軍らしからぬ神々しさがあった。


武力の成り上がりで男爵位を得たフブリスは、実力主義を謳う中央機関セントラルの中で発言力としては左程高くなかった。他の種族や領主には決して遅れは取らない自信が彼とその領民達にはあった。その立場が彼の中に小さな火として燻り続けていたのだが、5年ほど前に魔王の永い眠りからの覚醒の話が議会にて上がった。


元々領民らには『魔王は深手を負っているためお隠れになられている』という情報を広めた上で人間族との戦争を続けていたのだが、中央機関内部では『魔王は討たれ、転生体として受肉したが眠り続けている』という情報は周知されていた。


もしも魔王がこのまま成長し、先代魔王の様な力を得た時には中央機関の存続はおろか、我々龍人族の権利も危ぶまれる。


かつての龍人族は龍の血を引く者として、その身は生身で刃を弾き、魔術に耐える、誇り高き戦士であったが、先代魔王は我々を戦争の鉛玉として使い捨て、数多の同胞の亡骸は龍麟鎧(スケイルアーマー)として再利用され、当時は加工が困難とされていた魔鉄と同等の強度とそれ以上のしなやかさを持つ上に、加工のし易い装備素材として扱われ続けた。


その待遇に反発しようものならその場で処刑され、新たな鎧としてその身を捧げる事になる。そんな過去の汚点も、男爵位などという爵位と心ばかりかの資源しかない領地の割譲、そしてかの魔王の敗走で無かったことにされようとしており、新たな魔王がまた同じ事を繰り返されないとも限らない。


そんな状況の中で二つの情報が入った。


一つは魔王軍の飛行大隊全てが人間の町へ飛び立った事。我々の様な航空戦力としても機能している種族に対し、地面を這いつくばる劣等種族達にとって、同様の航空戦力が伴わなければ無傷による制圧も可能である。


二つは魔王が一人の人間を相手に手傷を負わされていたこと。それも手傷などと生温い物ではなく致命傷になりかねない物であったという情報。これは魔王がまだ人間という翼どころかその身に魔力を留められない劣等種族に後れを取る程度の力しか持たないことを意味する。


ならば、ここで乱を起こし、魔王の首を掲げ、魔王の称号と力を我が物にする好機なのではないか?

とフブリスは考え至り、龍人族の機動力を生かし、早朝から魔王領まで掛け空を翔けた。


最高速は音速をも超える事ができる機動力を持つが、道中跨ぐことになる他種族が管理する領地には悟られないよう、体力温存も含め、雲の遥か上空を時間をかけたどり着いた。


(大した航空戦力も残さず、突然空から現れた我が軍に畏れている事だろう。今日はその首を頂くぞ、魔王)


フブリスは勝利を確信していた。今の魔王城の守りでは精々が地上からの火球か、投擲による手段しか持たない彼らだ。その程度の攻撃で我々の龍麟を通すはずもない。この身こそが最強の盾であり、この機動力からなる空中攻撃こそ最強の矛。


そんな折、伝令兵の一人が音を切りながら舞い戻って来た。


「閣下。第一から第四隊、魔王城上空を占拠しました」

「いいぞ。元よりあちらには我々をどうしようも無いのだからな。魔王が自らその首を差し出す様であればあちらの兵隊共には手を出すな。我が物となる兵たちの死に場は別に用意しようではないか」


高らかに笑いながらフブリスは地上に降り立ち、野営地の中でもひと際豪華な装飾のかかった天幕の中へ入る。


ポンッ、という軽快な音とともにフブリスは葡萄酒の栓を開ける。


「一人で飲むのもなんだ、一緒に飲まんか?」

「いえ、そのお心だけいただきます。警護の身ですので勝利の酒は王の首と共に味わうことにしますよ」


自分を護る親衛隊の隊長に素気無くフラれ、一人で酒の味を舌で転がす。


「どうせ時間の問題だ。魔王の首を持ってきた奴には褒美を与えるとも言っているのだ、奴らも張り切っている事だろう」


後は待つだけだ、とグラスの葡萄酒を空気と遊ばせるフブリス。そんな中どよめきが野営地の中に広がる。


「ま、魔王が城上空に現れました!」

「ならば重畳。なおの事その首も討ち取り易いというもの、さっさとその首を―――」

「伝令!魔王に戦闘の意思はなく、会話での交渉が行いたいとのことです!」

「は?会話での交渉?」


先代魔王であればあり得ない申し出。今代の魔王というのは先代とは人格から違うのか?という疑問がここにきてフブリスの中に浮かぶ。


転生という事で同じ人格と思考回路を持ったままだと考えていたフブリスには会話での交渉など最初からあり得ないと考え、陳情を送ろうものなら領地丸ごと更地になるものと思っていた。


「……いや、あり得ん。罠の可能性が高い。その出てきた魔王を名乗るものが影武者の可能性すらある。こちらを油断させて地上に降り立たせようという魂胆かもしれん」


戦略や戦術的な問題であれば総隊長にでも任せておけば良いが、魔王が直接交渉を望む、などという状況になればこの反乱の長である自分が直接出向く必要がある。その状況で直接奇襲にでもあえばその後の中央機関の掌握もままならず魔王と共倒れになってしまう。とフブリスは思考を巡らす。


「そうだ、奴らは今あくまでも劣勢であり、最低限の対等な立ち位置を手に入れようとしているに過ぎない。その交渉に乗る必要はない。さっさとその首を討ち取る様に総隊長へ伝えろ。何なら自ら一騎打ちでもなんでもして武功を稼ぐが良いとな」

「はっ!」


伝令兵は改めて音を切り飛び立つ。


(まったく、何が交渉だ。脳の中まで血と暴力に染まっていた魔王が小狡い真似をしてくれるものだ。やはり魔王の資格はあるまい)


グラスに注がれた葡萄酒を一口に呷り、追加の酒をなみなみと注ぎこみ、それも一息に嚥下する。


音を切り空気の爆ぜる音、鳴り響く金属音。それが数度鳴り響き音が止む。


それと共に絶叫にもにた遠吠えが響き渡る。


「やっと討ち取ったか。勝鬨は良いが、魔王の首を早く持って来させろ……いや、私自らその首を掲げ勝利と共に王の襲名を――――」

「か、閣下……総隊長のオルムガンド殿は……戦死した模様です……」

「なななな、なに!?ど、どういう事だ!?」


盃を傾け、上機嫌になっていたところに冷や水をかけられたようなフブリス。

そして改めて鳴り響く、空気のはぜる音。響く金属音。それが無数に鳴り響く。


「た、ただいま残された小隊長達が応戦……いえ、討ち取られた模様!残された兵士達は……どう動くべきか計りかねている模様です」

「どう動くかではないだろう!?全軍で魔王の首を討ち取れ!!」

「は、ハッ!」


(どうしてこうなった。魔王の首は容易かったのではないのか。総隊長を任せたオルムガンドは決して飾りではなく、その実力は本物だぞ)


そのオルムガンドが音を聞く限り数合の打ち合いで負けた事になる。如何に魔王が飛べたとは言えそう簡単に討たれるとはにわかに信じられないフブリス。だがその後小隊長が討ち取られたとなるとその力を見誤っていたことを悟る。



そうして舐めてかかった事に後悔の念を抱いていると、拠点の近くで爆音が響いた。



「今度は何事だ!?」


大慌てで天幕を飛び出すフブリス。周囲を見渡すと近くの丘に龍人族軍の槍が土煙を巻き上げながら刺さっていた。


「な、なんだアレは……」

「わ、我々の得物をこちらに投擲した模様です……」


フブリスは誰がそんなことを、とは言わない。分かりきっていた。魔王は全軍の攻撃を受けながら武器を奪い、こちらに向かってその槍で投擲を行ったのだ。


(地上からの投擲なぞ畏れるに足らない……?この距離をあの威力で投擲する事ができるなど、最悪ただの石ころでも当たり所が悪ければ……)



 更なる爆音が響き渡る。今度は更に近づいている。徐々に的をこちらに絞っている証でもあった。


(ま、まずい、直接こちらを討ち取る気か!?)


フブリスが戦慄を抱き、親衛隊でさえ思考が硬直していたところに、今度は先ほどまでいた天幕に槍が突き刺さる。


「ひ、ひぃいいいい!?」


フブリスの情けない悲鳴、親衛隊達の慄く声。その場に居合わせた者たちは皆死を覚悟した。


だが、次の槍が降る事はなかった。


魔王城での戦闘音も無く、魔王を討ち取れたか?という淡い期待は土埃が晴れると同時に消えた。


『あと10秒以内にこねーと次は当てる』


槍に括られた布には汚い文字で書きなぐられていた。


ここまで幾度となく思考を停止させた彼の思考を改めて取り戻させたのは、凄まじい魔力の奔流によってだった。





***



「十秒以内って書いておいてなんだけどあの土埃晴れる前に10秒経っちまうな。もう一発やってやろうかな」


空をながら、明らかに目立つ天幕に3本目の槍を投擲した魔王は独りごちた。


魔王は50人近い龍人族を屠った結果、怒りの絶頂の只中にあった。


元より平和的解決を行いたいと考えていた魔王が無駄な殺生をさせられた状況、そして総隊長の想いを知ってしまった今、なおさら怒りでどうにかなってしまいそうであった。


その怒りで誰かの命を奪う事は、命を奪いたくないという気持ちとの矛盾が魔王の中でどうしようもない炎として渦巻く。


「あ、あり得ないだろ……数十人がかりでも殺せないなんて……」

「そもそも一方的にやられていただけにしか見えなかったのに、気づけば総隊長も、ウチの隊長も、仲間も……」

「俺たちが手を出しちゃいけない相手だったんだ……」


2000人前後はいる龍人族の兵だが、前線に近い者ほど目の当たりにした結果、降伏する者たちが現れ、その場に集まった兵たちによって捕虜として拘束される。


「お、おい、前線では何が起きたんだ?」

「わ、わからねえよ!総隊長が成す術なく殺されたっていう情報も来てる!」

「さっき、うちの野営地に魔王が攻撃してドラゴ閣下が討たれたっていう話が……」

「俺たちの軍は半数が魔王様に殺されて、もう前線は崩壊してるみたいだぞ……」

「いや!だが、我々全軍で攻めれば王一人、討ち取れないはずがないだろう!これはもう総力戦をするしかないんじゃないか!?お前らが行かないなら俺が行くぞ!?」


この状況に、後方部隊は前線で起きた事が中途半端に伝わり、話を大きくさせて伝わっていた。

その中でも闘士を灯していた一部の龍人兵が発破を賭け、彼らの恐怖を無理矢理に蛮勇へと染め上げようとする。


その瞬間、この場が凍りつくような、それでいて燃え盛る炎に身を焦がされているような

凄まじい魔力がこの一体を染め上げる。


「いい加減にしてこっち来いよな……」


10秒の空白であっても魔王の怒りはその体感時間を引き伸ばしていた。

そして、10秒を過ぎ去った時、なんの音沙汰もない敵軍の将に対しての殺意が膨れ上がった。


魔王から溢れ出る、余りに痛烈な魔力と殺気にあてられ、近くにいた龍人兵は泡を噴いて失神し、落下する者達が出る。


空中にいた魔王は、空を蹴り着地する。


「ヴォルフ。もうアイツ殺していいか?」

「……お、落ち着いてください、陛下。その魔力にあてられますと、死ぬ者が我々の中からも出てしまいます」

「……チッ」


一つ舌打ちをし、深呼吸をする魔王。


その最中に一人の龍人族がかっ飛んでくる。

到着と同時に五体投地で地面に体をめり込ませ、震えながら声をあげる。


「ここここ、この度は、大変申し訳――――」

「てめぇが龍人族の長か?」

「は、はい!ドドドドラゴゴフブブリスで、です!」

「あぁ……?ドドドドド……ラゴフブブブリス……?わかりにくい名前だなオイ」

「」


完全に恐怖し萎縮したフブリスは名乗りすら震えてしまい思うように口が動かない。


「もも申し訳ありませ――――」

「申し訳ありませんじゃねェだろ」

「ヒッ!」


ドスの聞いた魔王の言葉に逆に震えは止まり、数秒の沈黙が数時間に感じられるような錯覚を覚えるフブリス。


「オレは言ったはずだよな?お話しましょーって。言ったよな?言ったんだよ。なのに結局戦う選択肢とりやがって。てめェの指示で何人死んだと思ってんだよ!?何人オレが殺したと思ってんだ!!」


もう、問答をすることもできずに意識を保ち、言葉に耳を傾けるので精一杯になっている彼は相槌すらも打てない。


「ったく、クソが。知りたくもなかった事を知っちまったし、攻めてきた理由も分かった。また先代が相当なことをやらかしてくれたお陰じゃねーか」

「…………」


恐怖に染まったフブリスの脳には自分の死の未来しかもはや映っていない。いま生きているのはただの魔王の気まぐれであり、先ほどの槍の一撃で死ねていたほうが余程幸福だったのではないかとまで思う。それほどまでにあの一瞬の殺気と魔力に心は折られていた。


「あああもう、胸糞が悪い!ここでお前を殺すのもただの八つ当たりにしかならねえんだ、殺すつもりはない!だが、オレに殺すつもりの無かった48人の兵士の償いはお前にもとってもらうからな」

「…………」

「オイ、わかったのかブブブリス!!」

「ハハハハイッ?!」


言葉の意図が全くつかめないフブリス。助かる?自分が?と思わず見上げ、彼の目に映った魔王の顔は怒りながら悲しんでいる、そんな顔だった。


「あと。オレに申し訳ないとかいう話じゃねえだろ。今回の無駄な戦いで死んだ奴らに言え。あの命についてはお前のミスもあるんだからな」

「ハ……イ……」


そう言い残すと、魔王は城内へ向かう。


「ヴォルフ」

「ハッ」

「すまないが、ちょっと付いて来てくれ。多分、他のやつではダメだ」

「了解致しました。ご一緒いたします」


その帰路、声を掛けられたヴォルフは追従する。


「よろしかったのですか、陛下。本来謀反は重罪。死罪は免れませんが」

「なんだよ。殺してオレの鎧にでもしろってか?」


目を見開き、言葉に詰まるヴォルフ。


「ご存知だったのですか」

「いや。さっき知った……いや、見た」

「……?」

「まあ、そんなことは良い……とりあえず、あいつらは一人も殺すな、殺させるな。街への被害確認と状況確認を頼む……」


魔王は、矢継ぎ早にそう言うと、最後にか細い声で呟いた。


「すまん、疲れたから少し寝る。オレを抱えて行ってもらえるか…………」

「陛下!?陛下!!しっかりしてください!」


魔王の意識は途切れ、その場に崩れ落ちた。

そんな魔王をヴォルフは抱え、誰にも目にも触れさせる事の無いように王城へ走り込んだ。


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