第6話

 翌日、学校の登校中からやたらと周りの視線が気になった。学校に入るとそれの比ではなかった。


 こうなることは昨日の嘘をつく時点で覚悟していた。だから彼女の提案にも乗ったのだ。


 だけど実際にこうなるとすごく居心地が悪い。教室内にいるときも、授業中以外は常に視線を感じる。休憩中には他クラスの生徒が見に来たりしていた。


 そんなこんなでようやく昼休みを迎えた。いつものように購買に行こうと席を立った時だった。


 廊下に集まっている生徒の中から、一人の生徒が教室の中に入って来た。彼は11月だというのに半袖のシャツを着て、たくましく鍛えられた腕を露出させていた。


「高野という生徒はまだいるか?」


 後ろのドアから聞こえて来た低い声に、クラスメイト全員が答えるように視線を向けて来る。


 その視線を頼りに俺を見つけると、ゆっくりと近付いて来た。


「君が高野君だね」


 目の前に立った彼は俺より頭一個分高く、横幅もある。鍛えられた腕は太く、血管が全体的に浮き上がっていた。手首を握ったら中指と親指をくっ付けられる自信がない。それほどの体格差があった。


「そう、だけど」


 少し怖気づきながらも必死に背を伸ばす。


 もしこの人が秋﨑さんのことで俺を探しに来たらとしたらどうしようと、考えられずにいられなかった。


 一方の彼は顎に手を当て「う~ん」と頷きながら、顔、腕、胴、足、そして最後に全体を見まわしてきた。


「全体の筋肉量は全然だな。何かスポーツをしていた感じはしないな」


 ボソボソと独り言をつぶやきながら「ふ~ん」と音を出す。


 この人が何をしに来たのか全く分からないが、少しでも早く購買に行きたかった。今日の午前中の体育で走り込むをさせられ、そのあとから空腹で仕方なかったのだ。


「あの~?」


「いや、だがこれから鍛えれば十分可能性はあるな」


 独り言を終えると彼は俺の両肩に手を置いた。


「高野君、柔道部に入らないか?」


「え!?」


 急に何を言われるかと思えば、シンプルに部活の勧誘だった。しかも二年も残りわずかとなっているこんな時期に。


「柔道部?ですか」


「そうだ、柔道部だ。あ、敬語はいらないぞ。俺も二年だから」


 その体格で同い年なんかい!と脳内でツッコミながら、痛くなり始めた首を曲げて彼の顔を見る。


「どうして俺を?」


 秋﨑さんのことで喧嘩などを売りに来た人でないことに少し安心しながら、なぜ勧誘なんかに来たのか疑問が浮かんだ。


「君の綺麗な背負い投げに魅了されてね、柔道部に入って欲しいなと思ったんだ。それで少し君のことを先生に聞いたら部活に入ってないと言うじゃないか。なら誘わない理由はないと思ってね」


 肩に置かれた手に力を入れられる。そのまま顔を近付けて来た。


「どうかな?」


 そんな彼から目を逸らした。


「ごめん、部活に入る気はないから」


「・・・そうか、それは残念だ」


 肩から手を離すと彼はそのまま教室の出口に向かって歩いて行った。


「気が向いたら見学にでも来てくれ。歓迎するよ」


 片手をあげながら教室を出ると、

 彼の姿はすぐに野次馬たちで見えなくなった。


 彼が見えなくなった後、少しその場に立ち尽くしていた。購買に行くつもりだったことをさっきの会話ですっかり忘れていたのだ。


 思い出してすぐに野次馬たちを跳ね除け、教室を飛び出した。




 屋上に着くと今日も天気はいいが、少し肌寒さを感じた。11月に入っているのでこんなものか、とあきらめる。


 特に風が吹いているわけでもないが、ここに来るようになって三日目。俺の中では塔屋の横が定位置になっていた。


 購買のビニールをぶら下げながら定位置に向かうと、今日は彼女の方が先に来ていた。彼女の膝の上にはすでに包みから取り出した弁当箱が置かれていたが、その中身は全く減っていなかった。


 俺が来たことに気付いていた彼女は、こちらを向いてにっこりと笑顔を浮かべた。


「やっと来てくれた」


「待ってたの?なんで?」


 彼女との間にスペースを開けて腰を下ろす。彼女は俺が座ったのを確認すると、箸を持って一人で合掌した。


「なんだか一人静かに食べるのは寂しいなって思って」


 彼女は箸で米を摘まんで口に入れた。


「そっか」


 俺も袋からあんパンを取り出して、袋を開けた後に口に運んだ。


 長らく学校生活を孤立して過ごしていたせいか、そういった感情に最後にいつなったか思い出せなかった。


「それより、今朝はどうだった?」


 彼女は心配そうな顔を浮かべながら俺の方を見ていた。


 彼女が何について聞きたいのかわかった俺は、口に入ったパンを飲み込んでから答えた。


「周りからの視線が気になる程度で、それ以外は特に何も」


「本当に?絡まれたりとか、喧嘩売られたりとかなかった?」


「そういうのは全く。・・・まぁ、ついさっき部活の勧誘をされたぐらい」


「どこの部活?」


「柔道部」


「なんで柔道部?」


 首を傾げながら聞き返される。その理由をさっき聞いたまま彼女に言った。


「昨日の背負い投げに魅了されたんだって。それで俺が部活に入ってないって知って勧誘に来たらしい」


「すごいね、それ。・・・それで、高野君は柔道部に入るの?」


「いや、断った。気が向いたら見学来てって言われたけど、行くことはないかな」


「そうなんだ」と言いながらウィンナーを口に運んだ。


 さっきから俺の話ばかりしているが、俺の方も彼女の午前中に様子がさっきから気になっていた。


「秋﨑さんの方は?」


 聞くと彼女はさっとこちらに目を向けた。


「私の方は大変だったよ。昇降口で待ち伏せしていた男子に「付き合ったって本当ですか?」って聞かれてね、「本当だよ」って答えたの。そのあともみんな同じことしか聞いてこないんだもん。それがおかしくって・・・」


「大変だった」と言っていたが、今朝のことを話す彼女は笑顔だった。変な心配はいらなそうだったが、どうしても彼女に聞いておかないといけないことが一つあった。


「彼は?」


 そう聞くと彼女の顔から笑顔が一瞬で消えた。


「今日は学校に来てないみたい。クラスの子が昨日の放課後のことを話しているときにそう言っていたから」


「そっか、なら良かった」


 放課後の彼の様子からかなりのショックを受けていることはわかっていたが、まさか休むまでとは想像もしなかった。


 もしかしたら俺の背負い投げのせいかもしれないが、あれはあくまで正当防衛だ。


 今後彼が再び彼女を追いかけまわすようなことはしないと思うが、それでもいないとわかると安心感が違う。


 俺は食べ終えたごみをビニール袋に入れ、口を縛った。


「今日はチョコドーナッツないの?」


 食べた弁当を包み終えた彼女が聞いて来る。


「行った時には売り切れてた。まぁ、今日は行くのが遅れたし、ここ数日は運がよかっただけだからね」


 レアだからと買っていたが、いざ一品なくなると少し物足りなさを感じる。明日からはもう一品別のパンを買おうと思う。


「まだお腹に入りそう?」


「ん?うん」


 なぜそんな質問をしてくるのかわからなかったが、正直に答えた。


 すると彼女は自分の左側に置いていたらしい、茶色い紙袋を俺に差し出して来た。ここに俺が来てから彼女は移動していないので、その前から置いていたのだろう。俺はその存在に全く気付かなかった。


「チョコドーナッツと助けてくれたお礼。ごめんね、一緒で」


 俺は彼女からその袋を受け取る。一度紙袋に目を向けてから再び彼女の方を向く。


「開けてもいい?」


「うん」


 袋に張られたテープを剥ぎ、二回ほどおられた開け口を広げる。何が入っているのかドキドキしながら開けると、中には二つのカップケーキが入っていた。そのうちのひとつを手に取る。


「これって手作り?」


 お店の名前が書かれたケーキピックがないことや、一つずつ袋に入っていないことからそう予想した。


「あの後家に帰ってから作ったんだ。食べてくれる?」


 俺は手にしているカップケーキに目を向ける。カップケーキはよく焼けていて、甘い香りと漂わせている。


 黄色い星マークが書かれた茶色い紙を少しめくり、カップケーキに噛みついた。


 カップケーキは柔らかく、口いっぱいに甘さが広がる。噛めば噛むほどその甘みが増していくような気がした。


「どう、かな?」


 カップケーキを飲み込むと彼女は自信なさげに聞いて来る。


「購買にもカップケーキはあるけど、それとは比較にならないぐらいおいしいよ」


 彼女の顔を見ながらそう伝えると、すぐに二口目に入った。購買のカップケーキはおいしいのだが、モチモチというよりはズッシリとしている。それに比べ、彼女のカップケーキはモチモチでよく膨らんでいる。そして味わい深く、俺好みだった。


「久しぶりに作ったから不安だったけど、そう言ってくれてよかった」


 カップケーキにがっつく俺を見て彼女は微笑んでいた。


 手にあったカップケーキはすぐに姿を消した。もう一つ欲しくなり、残っている方に手を伸ばそうとすると、それを阻止するように学校のチャイムが鳴った。


「お昼終わったね」


「残りは家でゆっくり食べさせてもらうよ」


「うん」


 俺は紙袋をもらった時と同じ状態にすると、ビニール袋と共に手にして立ち上がった。彼女も持ってきた包みを手に立ち上がった。


「高野君」


 屋上のドアノブを握ると彼女に呼ばれた。


「どうかした?」


 ドアを開けながら後ろにいる彼女の方を向いた。


「・・・今日も一緒に帰ってもいいかな?」


 包みを両手に持ちながらまっすぐこちらを見ている彼女に、俺は笑ってみせた。


「恋人のふりをするって約束したからね」


「うん」


 俺と彼女は揃って屋上を後にした。

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屋上の片隅で愛を叫びたい 加藤 忍 @shimokawa8810

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