第5話

「はい」


 学校から少し離れた公園のベンチに座る彼女に、近くの自販機で買った温かいココアを差し出す。


「ありがとう」


 受け取った彼女は、それを両手で握ると太ももの上に置いた。


 俺は彼女と少し距離を空けて同じベンチに腰を下ろすと、自分用に買った微糖の缶コーヒーのプルタブを開けて一口飲んだ。


 公園にはランドセルを遊具のそばに置いて遊ぶ学校帰りの子供たちや、小さな犬を連れて散歩をさせている近所のおばさんがいた。


「ごめんね、面倒ごとに巻き込んじゃって」


 そんなどこにでもある風景を眺めていると、彼女が俯きながら謝ってきた。


 しかし、この件は彼女に関係があっても、彼女は被害者側。彼女が直接俺に何かをしてきたわけではない。


 それよりも、俺も彼女に対して謝らないといけないことがあった。


「俺の方こそごめん。その場しのぎとはいえ、あんな大勢の前で「彼氏」とか言わせて」


「あの場ではあれが一番効果的だったと私は思う。ただ走って逃げても彼は追いかけてきそうな感じだったし・・・」


 彼女の言う通り昼休みも放課後も、彼は懲りずに彼女を追いかけて来ていた。そんな彼ならありえそうなことだった。もしかしたら彼が諦めるまでこれが続く可能性もあった。


 そんな可能性に嫌悪感を抱いていると、彼女が笑顔を浮かべながらようやくこちらを向いた。


「でもビックリしちゃった。まさか高野君がいきなりあんなこと言うなんて思わなくって」


 俺の行動はかなり以外だったらしい。自分でも似合わないことをしたと思う。だけどそれは彼女も同じ。


「秋﨑さんのほうこそ、まさかみんなの前で堂々と抱きついて来るとは思わなかったよ」


 彼女は自分が取った行動を思い出したようで、顔を赤らめながら目を逸らした。


「みんなの前で付き合っている、って言っちゃったわけだし・・・それに高野君がせっかく私を助けるために考えてくれた作戦に、私が乗らないわけにはいかなかったから」


 あれは彼女なりに考えての行動だったらしい。そのおかげでみんなが信じたし、あの場から逃げるきっかけを作ることができた。


「それで、ね・・・」


 さっきまで見せていた表情とはうってかわって、真剣な表情を見せた。そんな彼女を見て身構える。


 彼女は視線を再び缶の方に向ける。手に持った缶を手でいじり、少し間を空けた。


「・・・もし高野君さえよければ、私を彼女のままにしておいてくれない、かな?」


 彼女は手遊びをやめ、ぬるくなり始めているであろう缶を両手でギュッと握った。


「もし彼が嘘だと知ったらまた迫られそうで・・・」


 缶を持っている彼女の手が震えているのが見えた。


 昇降口の時もだが、彼女は本当に怯えている。それに彼女が言ったように、もし彼が俺たちの嘘に気付けば、間違いなく彼女を追い回すだろう。俺としてもそれは阻止してあげたい。


「・・・わかった。卒業するまででいいんだよね」


「ありがとう」


 彼女はようやく安心したように肩の力を抜いた。手にずっと握っていた缶のプルタブを開け、冷めたであろうココアを口にした。


「ココア冷めちゃったな」


 俺も最初の一口しか飲んでいないコーヒーを口にする。コーヒーは彼女のココア同様に冷めていた。


 俺たちの前で楽しそうに遊んでいた小学生たちが遊具のそばに置いていたランドセルを背負うと、みんな揃って公園を出て行った。


 まだ5時にはなっていないが、東の空に浮かぶ雲が赤みを帯び始めていた。


「飲み終えたら帰ろう。近くまで送るから」


「ありがとう」


 俺たちは急ぐことなくそれそれの缶を空にして、公園を出るついでに缶をごみ箱に入れた。





 薄暗くなり、電灯が付き始めた住宅地内を二人で歩く。秋﨑さんの家は俺の家に近いようで、彼女について歩く道は見慣れた通学路だった。


「高野君大丈夫?」


「ん?何が?」


 急に彼女に心配された理由がわからず、俺は首を傾げてみせる。すると彼女は足を止め、暗い空を見上げた。


「もう暗いし、高野君の家が遠いならここで別れようと思って。私の家、この先まっすぐだから」


 彼女は俺の後ろにある今通っている道より細い道を指さした。


「ああ、そのことなら心配しないで。俺もこの付近だから」


「え!?そうなの」


 彼女は驚いた顔を見せる。


「ルリーチェって喫茶店わかる?」


「え?うん。この先にあるお店だよね?行ったことはないけど・・・」


 彼女は店のある方向に視線を送る。その会話で彼女は察したらしい。「え!」と声を上げた。


「もしかして高野君の家ってそこなの!?」


 俺は答える代わりに頷いてみせた。


「そうなんだ!じゃあお店の手伝いとかしてるの?」


「まぁ、たまにね」


 俺の母さんがオーナーをやっているお店、喫茶店ルリーチェは祝日でも満席になるようなお店ではない。住宅地にポツンと立っているので、待ち合わせ時間を潰すために使われたりもしない。


 お客は近くの住民ばかりで、繁盛しているとはとてもいいがたいが、母さん曰く「誰かの憩いの場になればそれでいい」という事だった。だから基本は母さん一人でも余裕があるぐらいで、俺が手伝うまでもないのだ。


「ってことは本当に近くなんだ」


 そう言いながら彼女は俺の後ろの道に駆けていった。


「でも今日はここまででいいよ。ありがとうね、送ってくれて」


「本当にいいの?」


「うん。今日はいろいろ助けてもらっちゃったし、これ以上は迷惑かけたくないから」


 彼女は笑顔を作って見せる。


「じゃあ、また明日」


 小さい手を振ると、家のあると言う方向に走って行った。


 電灯に照らされなだら遠ざかって行く彼女をしばらくその場で見届けた後、俺も自分の家の方向に足を向けた。

















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