第4話

 屋上に出ると昨日に比べれば温かく、風は吹いていなかった。空は快晴で、遠くに少し雲が見える程度だった。


 広い屋上のどこに座ろうが自由だが、なんとなく昨日座っていた場所に二人腰を下ろした。


「今日は温かいね」


 遠くの空の上を移動もせずに浮かんでいる雲を眺めながら彼女が呟く。


「そうだね」


 俺は地面に袋を置くと中からクリームパンを取り出した。そのビニールを開け、口に近づけ・・・口に入れずに離した。


 横で昼食を食べれずにいる人がいるのに、自分だけお腹を満たそうとすることに罪悪感のようなものを感じた。


 彼女は特に気にしているような様子はないのだが、俺はそのことが気になってパンを口に運ぶ気にならなかった。


 ビニールを開けたクリームパンを足の上に置き、袋の中身を確認する。中にはアンパンとチョコドーナッツの二つ。その二つを見た時、昨日彼女とした会話が頭に浮かんだ。


「前に何回かそれが気になって購買に並んだことがあったんだけど、全く手に入らなくて・・・」


 そのことを思い出し、俺は迷わず袋に手を入れるとドーナッツを彼女に渡した。


「秋﨑さん、これ」


 ただ広い空を見上げていた彼女が、視線を俺の方に向ける。そのまま俺の手の先にある物を見た。


「チョコドーナッツ!?え、どうして?」


 そう聞いて来る彼女の視線はずっとドーナッツを捉えている。


「いや、秋﨑さんもお腹空いていると思うのに、俺一人横で食べているのはどうかと思ってさ」


 ドーナッツに夢中だった彼女だが、ふと我に返ったように目を合わせた。


「いや、いいよ。それは高野君が買って来たものだし、それに私は・・・」


 両手を振りながら受け取るのを拒否しようとしていた彼女だが、その最中に「ぐ~っ」とお腹の鳴る音が聞こえて来た。


 彼女は恥ずかしかったのか、頬をゆっくりと赤らめながら素早くお腹を抱えた。彼女はその恥ずかしさを誤魔化すためか笑ってみせた。


「あはは・・・やっぱりもらっても、いいの?」


「いいよ」


 彼女はゆっくりと手を伸ばすと、両手でドーナッツを受け取った。


「卒業までに食べられるとは思わなかったなぁ。高野君ありがとう」


「どういたしまして」


 両手の上に置かれたドーナッツを見つめる彼女。そんな彼女を横目に足の上に置いていたクリームパンを今度こそ口に入れた。


「かなりずっしりしているんだね」


 手にした感想を口にしながら手を汚さないためにビニールを半分だけ開ける。


「いただきます」


 彼女は念願だったドーナッツを小さな口に運んだ。


「ん!」


 彼女がドーナッツを口に入れると、ドーナッツのチョコの上に乗せられた小さなチョコチップがポロポロと袋の中に落ちていく。


「チョコチップ落ちやすいから制服に落とさないようにね」


「気を付ける」


 彼女はそう答えると二口目に入った。





「御馳走様でした」


 彼女はあげたドーナッツをゆっくりと味わいながら食べていたので、俺がアンパンを食べ終わると同じくらいに両手を合わせた。


「どうだった?」


「とってもおいしかった。今からでももう一個食べたいぐらい」


「そりゃあよかった」


 彼女が横に置いたごみを勝手に回収し、他のごみと一緒に袋に入れた。


「ごめん、ありがとう」


 その様子を見ていた彼女が礼を言って来た。


「気にしないで、ついでだから」


 袋の持ち手部分を結ぶと昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。いつもより短く感じたが、ここに来るまでにいろいろあったのでそう感じるのだろう。


 俺はごみ袋を持って立ち上がったが、彼女は動く気配がない。


「秋﨑さんは戻らないの?」


 聞くと彼女は苦笑いを浮かべた。


「時間ギリギリまでここにいようと思う」


「・・・そっか」


 さっき廊下で待ち伏せていた彼のことを警戒しているのだろう。次の授業まであと5分ある。彼が粘って廊下にいる可能性は十分にある。


 もう少しだけ彼女のそばにいてあげたかったが、次の授業は理科。しかも実験をするからと前回の授業の終わりに理科室に来るように言われていた。


「次、移動教室だから俺は行くね」


 授業に遅れるわけにはいかないので俺は先にドアの方に向かった。


「うん、またね」


 屋上から出る俺を彼女は手を振りながら送ってくれた。




 授業中、黒板の文字をノートに写すものの、彼女のことが気になって頭の中に教師の言葉が全く入ってこなかった。


 屋上で別れた後、彼女は何事もなく教室に戻れただろうか?休憩中に彼に迫られていないだろうか?気にはなっても、用もなく三年の廊下を通る勇気はなかった。


 昨日会ったばっかりで学年と名前と昼に屋上にいることしか知らない彼女の心配をしているうちに、気が付けばホームルームが終わっていた。


 部活が好きなやつらがスポーツバックを持って教室を出て行き、部活のない者は教室に残って話をしたり、そうでない者は帰ったりしている。


 教室に残っていても仕方がないので、使い慣れた鞄を持って教室を出ることにした。




 他の生徒の後ろを歩きながら昇降口を出た。外に出てすぐにある五段ほどの短い階段を下りた時だった。 


「もうやめて!」


 昇降口の中から聞き覚えのある大きな声が響いて来た。その声に俺を含め、近くにいた生徒が足を止める。そんな彼らを通り抜けながら急いで出て来る女子生徒がいた。


「秋﨑さん?」


  昼より息を切らし、背負っているリュックを激しく揺らす彼女。俺がぼそりと彼女の名前を口にすると、聞こえていないはずの彼女と視線が合った。それと同時に、彼女を追いかけて来た男子生徒が昇降口から姿を現した。


「秋﨑さん待ってよ!」


 彼はきちんと履けていない靴のまま必死に彼女を追いかけて来ていた。


 彼の声ですぐそこまで彼が迫っているとわかった彼女は、目の前にある階段を一段ずつ下りる余裕はないと考えたのだろう。俺の腰ぐらいの高さで、一段の幅が広い階段を躊躇せずジャンプしたのだ。


 彼女はひらひらと短いスカートを揺らしながら、突っ立っている俺のいる方にジャンプして来た。彼女が宙を飛んだ一瞬が、俺にはスローモーションのように見えた。すぐ目の前に着地した彼女はバランスを崩して前に倒れて来た。そんな彼女を両手でしっかり受け止めた。


「大丈夫?」


 声をかけると彼女はすぐに顔を上げた。


「うん、ありがとう」


 彼女を無事受け止めた後、階段の上にいるであろう彼の方に目を向けた。案の定、彼は階段の少し手前で立ち止まっていた。唖然とした顔で俺たちを見下ろしている。


 人通りの多い昇降口だけあって、彼以外の生徒たちも周りを囲むようにしてこちらを見ていた。


「昼間の・・・」


 しばらく間が空いて、ようやく彼が発した言葉がそれだった。彼は昼間に会ったことを覚えていたらしい。まぁ、学校の階段で抱き合っていれば、記憶に残るぐらいのインパクトはあっただろう。


「秋﨑さん、もう一度僕と話を」


 しかし彼はそのことには触れず、彼女の説得をし続ける。彼女はすぐに体から離れて俺の後ろに回った。


「もう追いかけてこないで」


「僕はただ秋﨑さんともう一度話したいだけなんだ!だから」


「もうやめないか?」


 必死に彼女に話しかける彼。それを拒絶し続ける彼女。そんな終わりの見えない会話に俺は口を挟んだ。


「秋﨑さんは嫌がっているだろう」


 正義感を出す俺に対し、彼はメガネ越しに睨んできた。


「・・・君には関係ないだろ。僕は彼女と話をしているんだ。黙ってろ」


「高野君」


 服の擦れる音だけでも聞こえなくなりそうなか細い声で名前を呼ばれた。左にいる彼女を横目で見ると、不安な表情でこちらを見ながら小さく震えていた。


 彼の言う通り、この話は二人のことで俺には関係ない。本当なら周りを囲んでいるほかの生徒と同じ立場の人間。当事者ではなく傍観者なのだ。


 だけど俺は彼女を放ってはおけなかった。それに俺に対する彼の態度が無常に気に食わなかった。


 俺は彼女の方を見て笑ってみせた。そして彼と向き合った。


「会話?俺には会話をしているようには聞こえないのだが?」


 挑発気味に答えると、彼は睨んだまま不機嫌な顔をした。


「部外者は入ってこないでくれ」


 「部外者なのはお前の方だ。いつまで人の彼女にちょっかいを出すつもりだ」


 どこかのドラマやアニメに出てきそうなテンプレな言葉を口にしてみた。その言葉は当然周りを囲んでいる生徒に聞こえ、男女問わず驚愕の声がハモったように学校内に響いた。


「か、彼女・・・?」


 周りの生徒同様に彼も驚きのあまり身を固めた。彼女の方も俺の服を掴んだまま、口を半開きにした顔でずっと見ている。当たり前だ。本当に付き合っているわけでもなく、事前に打ち合わせをしていたわけでもないのだ。


 しかし彼女がそんな顔をしたのは一瞬だった。開いた口を閉じると優しい笑顔を浮かべた。


「そんなの嘘だ、そうだよね秋﨑さん?」


 彼は引きつった笑顔を浮かべながら彼女に真実を聞こうとする。


「秋﨑さん、こんな奴のそばにいちゃだめだよ。自分が秋﨑さんの彼氏だって思い込んでいる頭のおかしい妄想野郎のそばなんて」


 酷い言われようにカチンときて、彼に罵声の一つでも浴びせてやろうとした。しかしそれよりも先に口を開いたのは彼女の方だった。


「私の好きな人の悪く言わないで!」


「・・・え?」


 彼女は空いている俺の左腕に抱きついて来た。その光景に彼は鳩が豆鉄砲を食ったよう表情をみせた。


 密着した左腕には昼間のように彼女の胸の感触が伝わって来る。そのことから意識を離すために目の前の彼に目を向け続けた。


「私、彼と付き合っているから。だからもう関わってこないで」


「・・・そん、な」


  余程ショックだったようで、信じられないと言わんばかりに何度も首を横に振る彼。


 そんな彼に対し、周りでは「秋﨑さんが男と・・・」とか「あの人どこのクラス?」とかいろんな声が聞こえて来た。中にはカメラを向けて来る生徒もいた。


「嘘だ、嘘だ、嘘だ・・・僕は信じないぞ!」


 何を思ったか、彼は声を発しながら勢いよくこちらに向かって来た。


「離れて!」


 横目で彼女を見ながら指示を出す。彼女はすぐにそれに応じ、左腕から離れた。


 彼は勢いを殺すことなく左腕を前に出し、右腕を後ろに下げた。俺を殴る姿勢を取ったまま向かって来る彼に対し、俺も構える。


 殴るつもりはない。彼の動きを止めて、彼女を連れて逃げられればそれでいい。


 俺の右手が彼の出している左腕に届くまで待ってから、掴んだ後に思いっきり引っ張った。すぐに彼の制服の襟を掴み、彼に背を向ける。背中に彼の体を乗せ、引っ張ったままの勢いを利用して

 体を丸めながら彼を地面に叩きつけた。


 本来の背負い投げとは違うものになったが、ここまでやれば十分だろう。背中を痛そうに押さえている彼を見れば、さっきのイライラも晴れた。


 彼が立ち上がる前に彼女のもとに行き、彼女の手を握った。


「秋﨑さん、行こう」


 彼女の手を引きながら周りに集まっていた野次馬を退き、二人で走って校外に出た。


 



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