『そんなものまで庇うのか』
俺の拳が届くことはなかった。
子供の鼻先に手が届いた瞬間、重く鈍い衝撃が俺の顔を横から抉り、そのまま棚まで吹き飛ばされてしまった。
何が起こったのか理解できなかった。顎が軋むような感覚に襲われながら、痛みを帯びた頬を撫でる。舌で口の中をまさぐると、一部に裂傷を見つけた。中が切れた。
「何なんだよ……」
血のような液体が混ざった唾を吐き、再び立ち上がる。人間だったら脳震盪は起こしていただろうが、アンドロイドの俺には問題ない。
「懐かしいなぁ、この痛み」
頬を抑えながら子供の方を睨みつける。
そこに立っていたのは、寝間着姿のメリアだった。急いできたのだろう。裸足のまま来たメリアは、強い眼で俺を睨み返した。
「何をしているのよ、プロト!」
声が反響する。後ろにいる子供すら、その音圧に身を縮こませた。
「お前こそ何をしてんだメリア。そいつは泥棒、それに危険物所持だ。拳を向けるのは俺じゃないだろう」
「この子は子供でしょうが!」
「勘違いするな、正当防衛だ」
頭に血を昇らせたメリアに、刺された左腕を掲げて見せた。滴る血がスーツに染みて気持ちが悪い。指先が冷たくなっているのが感覚で分かった。
それをみてメリアは一瞬、心配そうな表情を浮かべた。
それでも、すぐに怒った顔に戻る。
「……だとしても、あなたの攻撃はやりすぎでしょ?」
「刃物を持った相手に拳がやり過ぎ? どんな理論だよ」
俺とメリアが言い合う隙に、子供が走り出した。いつの間にか開けられた食糧庫の入り口ががら空きだった。
俺は近くに散乱したジャガイモを掴んで子供めがけて投げつけようとする。その前にメリアが立ちはだかり、それを妨害した。さすがに投げられない。
「ご安心ください、プロト様。こちらは私が対処しますゆえ」
入り口に現れたのは、今度はカリメロだ。この間みた寝間着と違って、ショートパンツにスポーツブラという目のやり場に困る姿である。騒動を聞いて動きやすさ重視で来てくれたのだろう。ありがたい。
「気を付けろカリメロ! そいつは刃物を持っている!」
「ご安心ください」
小さく微笑んだカリメロは、氷のように冷たい視線で子供を見下ろした。
「子供が持ってて良いものではありませんよ? 怪我しちゃいますからね」
「う、うるせぇ!」
子供は大きな声でナイフを構えた。
それを、まるで手品のように滑らかな手つきで払い落とし、遠くへと蹴り飛ばす。
「な……え……?」
「あと三本もってるでしょ? 渡してください?」
カリメロはしゃがみ込み、今度は優しい顔で子供に言った。その表情の変化にうすら寒いものを感じ、俺は生唾を飲んでしまった。子供なんて、目の前の異常事態に言葉すら出てなかった。
「聞こえなかったかな?」
カリメロは子供を撫で、すっと懐へ手を伸ばした。そして、服の下から錆びたナイフを三本、奪い取る。
「没収しますね?」
「……」
子供は座り込んでしまった。反撃には出ない。本当にあの三本で全てだったのだろう。その様子を見たメリアは、表情を緩めて俺に声をかけた。
「見たでしょう。あの子はもう刃物を持ってないわ。だから、拳を降ろして?」
「……危険には変わりないだろうが」
手に持ったジャガイモを放り捨てた。食べ物を粗末にして怒られるかもしれないが、この荒れようだ。どのみち食い物としては使えない。
「メリア、こいつがしたことは犯罪だ。どのみち捕まって、長い時間を牢屋で過ごすだろう。戸籍に傷が残り、一生まともな仕事には就けない。そんな奴を庇ってどうする」
俺の言葉に、子供の顔色が変わった。いきなり涙を流して、カリメロに掴みかかった。
「待って! 牢屋は嫌だ! 俺は帰らないといけないのに!」
「静かにしなさい。決めるのは私ではありません」
子供を諫め、何かを訴えるようにメリアに視線を移した。
「おい待てって。何を感傷的になってやがる!」
どこか同情を帯びたカリメロの目に、嫌な予感がした。こいつらは優しい。
優しすぎる。
「どうせ初犯じゃない、他所でもやってるし、これからもやるはずだ! 刃物を容赦なく刺すような奴だぞ、被害者は俺で何人目だろうな」
「……」
子供は何も言い返せず、俯いた。図星か。
「罪は拭えない。性質上繰り返すものだ。改心しても前科は前科。自分のしたことに対する環境に不公平を感じ、最終的には復讐を帯びて再び罪を犯す。こいつだってそうだ。犯罪者なんてそんなもんだろ!」
子供は、俯いて無言のまま、涙を流した。可哀想だなんて思わない。自分が蒔いた種じゃないか。
「……この子の処分は私が明日決めるわ。今日は泊まっていきなさい」
「正気か、メリア!」
詰め寄って怒鳴りつけるが、メリアは一切怯まなかった。
「ここの主は私よ。私の判断に任せて」
「それじゃお前らが危ないって言ってんだよ!」
「なら、今日はプロトは私の部屋で泊まって。それなら安心でしょ?」
怪我をしていない方の腕を掴み、いつものように優しい口調になったメリアに、反抗する心が揺らぎそうになる。
「それに……これ以上あの子の前で酷いことは言わないで?」
メリアの目がほんの少し、潤んでいた。何もメリアが憂いる必要なんてないのに。
これ以上反発しても意見を曲げないだろうし、ただメリアが悲しむだけだ。それは……まぁ望まない。
「……分かった。もう夜も遅いからな」
「うん、ありがとね」
メリアは少し頑張って笑みを浮かべ、カリメロに振り返った。
「カリメロ、その子をお願いしていい?」
「そのつもりです。今日は私の部屋で一緒に寝ましょう」
子供の頭を撫でながら答える。子供はもう何かしらの抵抗をしようとはしなかった。そりゃカリメロに歯が立たなかったんだ。逃げられないと諦めたか。
「寝込みを襲われないようにな」
「ご安心ください。眠りが浅いのが自慢なので」
「寝込みを襲わないようにな」
「たしかに……我慢します」
「……ガキ、気を付けろよ」
カリメロとの同衾は、また別の危険がありそうだが考えないようにしよう。
食糧庫の片付けも朝になってからということで、俺達は各自寝室へと戻った。
カリメロらが戻ったのを見送り、俺は軽く自分の腕の処置をした。とはいえ、ナイフを抜いて血を洗い流し、包帯で巻いただけ。それ以上の処置は専門でないと出来ない。
「ごめんね、プロト」
包帯を巻きながらメリアが言った。元気のない、弱弱しい声だ。
「甘いんだよ、メリアは」
しょんぼりとしたメリアの頭を、怪我をしていない方の手で軽く撫でる。メリアは抵抗することなく、黙って撫でられた。
「優し過ぎ。怒るぞ」
「ごめん」
「まるで、俺が悪者みたいじゃないか」
「プロトは悪者なんかじゃないよ」
ふとメリアが顔を上げた。いつもは大人びてるのに、妙に子供っぽく感じた。
「格好良かったよ」
「へいへい」
「やりすぎだけどね」
「……へいへい」
そのまま、二人とも無言になる。包帯を巻く、布が擦れる音だけが心地よかった。
「……ありがと、プロト」
「……おう」
そしてまた、静かな時間になっていった。
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