『色褪せない気持ち』

 赤ん坊の誕生日は、母親の命日でもあった。


 祝うのも不謹慎な気がして、俺は何も準備をすることはなかった。こいつだって、今日が自分の誕生日だなんて意識も無いだろうし、いつも通り遊んでやれば満足だろう。いつもより早めに散歩に出て、いつもと違うルートで歩くとかでも十分じゃないかと考えていた。


 だが、今日は朝から賑やかになった。


「遊びに来たわよ~!」


 朝一のミルクを温めていると、近所迷惑を疑いたくなるくらいに騒々しいノックが部屋を襲った。奇跡的に赤ん坊は起きてこなかったが、俺は慌てて玄関へ向かった。


 玄関を開けた先に居たのは、やっぱり児童相談所の女だった。満面の笑みに、両手に大きく膨れたレジ袋を提げた女は、せっかく濃い化粧をしているのにうっすら浮かぶ汗で崩れそうになっている。


「近所迷惑だぞ」

「あら、最近は夜泣きとかの通告が無いからって言うようになったわね。良いことよ」


 家族みたいなものなんだから、言いたいことは言ってよね。

 女はそう言って、レジ袋を俺に押し付けた。


「いつ俺たちが家族になったんだ。勘違いされても困る」

「長い付き合いだけど、そこだけは一回も譲らなかったわね」


 当然だ。勘違いしてはいけない。

 俺は毎日、自分に言い聞かせているのだから。


「俺たちは皆、他人だ」

「はいはい。わかりました。そんなことより、あの子は元気かしら? たくさん玩具を買って来たのよ! 誕生日プレゼント~」


 女は俺の言葉なんか気にも留めず、ズカズカと家に入ってきた。毎度のことなので、俺も特に何かを思うことは無くなった。これが良い傾向なのか悪い傾向なのかは分からないが、悪い気はしなかった。


「あうあう!」


 女の声に反応したのか、赤ん坊が起きてきた。

 まだ歩けないこいつは、もう追い付けないくらいのハイハイで女の元へ向かうと、抱っこしろと両手を掲げる。これをされては、女は抵抗することが出来ない。今日も赤ん坊に骨抜きになりながら、言われた通り抱き上げて心地よく揺らしながら鼻歌を歌った。


「どうしよう、本当に可愛い」

「まぁな」

「持って帰りたい」

「連れて帰るつもりか」

「あんた、いつも無表情のくせに、こういう時だけ怖い顔するんだから」

「してないわ」

「してるわよ。ねぇ?」


 女が赤ん坊に問いかけると、赤ん坊は知った顔で大きく頷いていた。


「ところで、何かお祝いの準備とかしてないの?」


 女が台所で煮物を作りながら、振り向かずに聞いてきた。


「あぁ。誕生日と命日が重なってるんだ。両手離しに賑わうわけにもいかない」

「それは表向きの礼儀よ」


 包丁が軽快な音を立てて野菜を切っていく。白菜を切っているのだろうか。重厚な音が響いた。


「誰の命日か知らないけど、この子にとっては人生初めての誕生日なの。それを控えるなんて、考えられないわよ」

「そんなもんか?」

「後悔するわよ」


 女がコンロに火をつけた。


「私は、自分の子供の誕生日を祝ってあげられなかったから」

「子供は覚えちゃいないさ」

「あなたは覚えていくのよ。祝ってあげなかった日のことを」


 また別の野菜を切り始めた。今度は根菜だ。重々しい音が響く。


「後悔って、いつまでも過去にならないの。何年たっても、今なのよ」


 そう呟く女の背中は、いつもより小さく感じた。

 

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