『機械の心が軋みだす』
玄関でけたたましいノック音がした。まるでドラマで見る借金取りのように殴られたドアが、悲鳴をあげている。
「スターチスさん! いるんですよね? 開けてください!」
年配の女性が怒鳴っていた。児童相談所の人だ。嫌になるほど聞いてきた声だったから、顔すら脳裏に浮かんでくる。不愉快な目覚めだ。
起きてから、自分がベビーベッドにもたれ掛かっているのに気付いた。昨晩の記憶も曖昧だ。バックアップが行われる前に、意識が異常なシャットダウンしたらしい。
頭がはっきりしないまま、俺は壁に手を突きながら玄関へ向かった。
「います。近所迷惑なので静かにしてください」
そう言いながら、玄関の鍵を外した。いつも開けている鍵のはずなのに、指先がもたついて上手く捻れない。
「早く開けてください!」
児童相談所の人がやけに急かしてくる。
夜は夜泣き、朝は訪問。常に襲われる騒音に、俺の中の苛立ちがどんどん膨れ上がって抑えきれなくなっていった。
……夜泣き?
そこで、思い出した。俺は昨日、夜泣きの最中に眠ってしまったんだ。
そんなことを考えていると、やっとドアの鍵が開いた。
それと同時に勝手に開けられ、いつもは玄関先でしか話をしない児童相談所の人が靴をほっぽり出して上がり込んできた。
「ちょっと、なんだお前は!」
咄嗟に叫ぶが、俊敏にすり抜けられて家の奥へ行かれてしまった。
その背中を追いかけると、彼女はベビーベッドがある部屋で立ちすくみ、口元を抑えながら演技混じりに小さく嘆いていた。
「何、この環境……こんなの、子供が可哀想すぎる……」
そして、初めから用意していたのか、ポケットから取り出したデジカメで部屋の様子を撮影し始めたのだ。
いくら疲れて思考が鈍っている俺でも、その行為がおかしいのは判断できた。
「勝手に何をしているんだ!」
強引に肩を掴んでやめさせようとするが、女はやめようとしなかった。
「証拠を撮ってるんです」
「証拠? 何のだ!」
「育児放棄の現場のです」
女はそんなことを言いながら、構わずシャッターを押し続けた。
俺と女のシャッターの音が大きくて、赤ん坊がまた泣き出す。また騒音が増えた。
「お前のせいで、また泣いたじゃないか!」
「私のせい?」
女は振り向き、カメラが捉えた家の写真を俺の顔にめいっぱい押し付けられる。
「これが、育児の正しい現場ですか!?」
そこに映っているのは、どこの誰にみせても恥ずかしくないほどに綺麗に保たれたベビーベッド。
そして、その周りが合成じゃないかと思うほどゴミや洗われていない洗濯物が散乱した、見るも無残な部屋だった。空になった粉ミルクの袋や、俺が最近食べたままのカップ麺の袋など、ゴミが散乱していた。
「たしかに赤ちゃんの生活環境は清潔に保たれています。ベビーベッドの中という狭い空間の中では、水準を遥かに上回る状態を維持しているでしょう。しかし、その周りの状況はどうです? ゴミ屋敷も良い所です。これが悪影響以外の、何だと言うのですか!」
突然の剣幕に、言葉を失う。
「あなたの事は、色々と調べさせていただきました。この子とあなたは、血の繋がりのない関係だというではありませんか。どういう流れであなたがこの子を引き取ることになったのかも、確認済みです。その責任感や使命感は認めます。それでも、これ以上あなたにこの子を預け続けるのは、もはや危険なのです」
危険だと?
俺は、完璧にこなしているじゃないか。
お前はミルクを俺より早く用意できるのか?
オムツだって俺の方が手際がいい。
古臭い考えを信条としているような、お前みたいな女に指図されるほど、俺の技術は間違っていないはずだ。
「あなたは、子育てを分かっていない」
女は続けた。
「あなたが悪いのではありません。誰だって初めての育児は不安と負担で、身体の前に思考が疲れてきます。夜泣きで睡眠時間も削れ、朝も昼も夜も起きているのか寝ているのか曖昧な生活が続けば、当然正常な判断は出来なくなっていくのです」
「俺はアンドロイドだぞ。人間と同じじゃない」
「同じですよ。現に、あなた今、ひどい顔をしていますよ」
心配そうに告げられた。
そんなことは無いと思いながらも、ここ最近自分の顔を鏡でみていないことを思い出した。
そうか、自分の身だしなみに気が回らないほどの生活をしていたのか。
「大変な時は、友人や親御さんに助けを求めるものです。ですが、あなたは製造されたばかりの身。頼れる方もいなかったのでしょう」
女はデジカメをポケットに戻し、悲しそうな顔を浮かべた。
「私は……あなたは十分に努力したと思いますよ?」
女が赤ん坊の顔を撫でた。泣いていた赤ん坊が泣き止み、不思議そうな顔で女の指を見ていた。
夜泣きのまま残った目垢を取り、鼻の先をくすぐった。
「でも、努力だけでは解決しないこともある」
そして、数秒の沈黙のあと、女は俺に尋ねるのだった。
「この子の名前、何て言うんですか?」
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