『機械の身体が人を育てる』

 ご飯は哺乳瓶で作ったミルク。コンピューターの知識を使えば、それを準備するのなんて造作もない。世間の母親よりも手際よく作り、適温である四十度を寸分違わず調節できる。赤ん坊の口に合わせて適切な角度に固定し、模範解答のような授乳を、間違いなくこなせた。

 

 おしめの交換も危なげなく出来た。常に替えのオムツを持ち運び、どこに行くにも二分以内に交換ができる俺は、この世を探してもかなりレベルの高い育児スキルではないだろうか。


 赤ん坊の成長に伴って、必要な玩具は何か、教えるべき知識は何かを毎日更新していった。言葉の理解や運動能力を他の赤ん坊に後れを取らないように、様々な絵本やテレビ番組を提供した。玩具や絵本は、検索したものは全て母親と父親が買いそろえていたので問題なかった。


 技術や備品において、子育てで不備は何一つない。完璧な状態だ。


 それなのに……子育て自体が順調に進んだ試しは殆ど無かったのだ。


 まず、なぜ赤ん坊が泣いているのか分からない。

 ミルクを用意しても飲まないし、オムツは汚れていない。それでも赤ん坊が泣き続けるのは、さすがに頭を抱えてしまった。ベビーベッドで寝かしていると、一時間に一度くらいは必ず泣き喚き出す。原因不明の泣き声は、抱き上げても揺らしても収まることは無い。泣きつかれて寝てくれるまで、この騒音は続く。

 朝も夜も関係ない。赤ん坊は、俺のことなんか考えずに自己主張を繰り返すのだ。


 抱き上げてずっと話しかけると、ときおり俺の胸を揉み、また一層大きな声で泣いたりもした。アンドロイドの俺では、母親の代わりは出来ないのかもしれない。


 赤ん坊に大事なのは、子育ての技術でも玩具でも何でもない。

 母親だ。そして、父親だ。


 俺は、親ではない。


 ☆


 ある日、児童相談所から連絡があった。相手は年配の女性だった。

 近所から、泣き声が酷いと口コミがあったらしい。色々と体裁の良い言葉を並べて子育ての悩みは無いかとしつこく聞かれた。

 だが、児童相談所の人が言いたいことは一つ。


 お前に子育ては出来ないのではないか、の一言だ。


 連絡は様々な手段で行われた。

 最初は電話。次は文書。その次も電話。だいたい三日に一回のペースで二か月は電話がかかってきた。そして三か月目に、玄関先に来た。


 その頃になると、赤ん坊も生後四か月だ。

 授乳の回数が減ってきたものの、未だに意思疎通が取れない。何を言っているのか分からないのに、俺を責め立てるかのように遠慮なく泣き喚く赤ん坊を、俺は義務だけで育てていた。


 父親の気持ちを考えると、見捨てられない。

 母親の気持ちを考えると、無視できない。


 じゃあ、俺の気持ちは蔑ろでも良いのか?


 この頃になると、それを考えるようになってきた。

 俺は、この子を育てることに義務があるわけではない。親のいない子供なんて、この子が初めてというわけではないのだ。それに対する補助も世間には存在する。それこそ、児童相談所に一言いえば、引き取ってもらえるのではないか。

 俺が育てるよりも、赤ん坊は幸せになるのではないか。


 そんなことを、起きている時は考えていた。

 そういう事を考えている時は、決まって赤ん坊は気持ちよさそうに眠っている。

 どんな夢を見ているのか、時々笑いながら、立てない足を必死に動かしていた。



 ……また赤ん坊が泣いている。

 時計を見るが、脳がはっきりせず、時計が見つからない。

 今は朝なのだろうか。夜なのだろうか。


 足元に転がるゴミを踏みつけながら、ふらつきながらも真っすぐベビーベッドに辿り着く。


「本当に……元気だな……」


 抱き上げると、最近座った首を必死に動かしながら顔をくしゃくしゃにして泣き喚く。何が気に食わないんだい、毎晩毎晩。


 「お腹が空いたか? おしめが汚れたか?」


 尋ねてみるが、泣くだけだ。

 口元に指を触れさせても吸ってこない。オムツも臭くない。またいつものように、原因不明の夜泣きだった。


 泣く赤ん坊を抱いて体をゆすりながら、カーテンを閉めた窓に近づき、少しだけカーテンを開けた。

 

 外は真っ暗で、近所の家も電気一つ点いていなかった。また苦情が児童相談所に届いてしまうのかな。そう考えると、俺も泣きたくなってきた。


「なぁ」


 赤ん坊に声をかける。


「俺もお前も、生まれてきたことは正しかったと思うか?」


 赤ん坊は、泣き止んだ。

 そして、何を思ったか俺の身体をよじ登ろうとしてきた。危うく手を滑らして落としてしまいそうになりながらも、赤ん坊は真剣な顔で俺の顔に手を伸ばす。


 そして、俺の頬に触れた。

 撫でるでもなく、何度もぺちぺちと叩いてきた。


「何がしたいんだ、お前は」


 俺は赤ん坊を引きはがし、泣き止んだのでベビーベッドに再び寝かした。

 すると、また泣き出した。このループだ。


「疲れたよ、俺は」


 泣き続ける赤ん坊を再び抱き上げることなく、俺はベビーベッドにもたれ掛かるようにして倒れた。

 赤ん坊の泣き声が、俺の意識の中で反響し、不協和音になっていく。


 そして、俺は気を失った。

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