『機械の体が抱きしめる命』
俺が初めて起動したのは、もう十何年も昔の話だ。
最初は、身体の弱い両親が自分の子供の面倒を見れるようにと、俺が作られた。この両親は、長い間お互いの間に子供が出来ないことにずっと悩んでいたらしい。
一番の原因は、母親も父親も生まれつき子供が出来づらい身体だったということ。簡単にいえば、運が悪かっただけだ。
どうしても欲しいということを互いに口にせずに数年過ごした二人は、ある日、涙を流しながらどうしても子供が欲しいと抱き締め合ったのだ。
その理由は、父親の病である。
元々身体が弱かった彼は、仕事の過労が祟って病気を患った。最初は本当に小さな腫瘍だったのだ。初期の段階なら、薬で治るくらいの軽いもの。
だけど、彼は自分の身体よりも仕事を優先した。
その頃から彼は、妻が彼に隠れて不妊治療を行っていたことを察していた。
いつの時代になっても、治らないものもある。治る技術が安いわけではない。痛みも伴う治療を陰ながら耐えている妻を少しでも守るため、癒すため、一円でも多く稼ごうと毎日働きづめていたのだ。
そして、彼は少しずつ貯蓄と腫瘍を育てていき、数年が経つ頃にはどちらも立派に大きくしていたのだ。もう、取り返しがつかないほどに。
努力が招いた、不幸な展開。彼らは泣くことでしか人生に歯向かうことが出来なかった。
そんな地獄の中、幸か不幸か、母親のお腹に一つの生命が宿った。奇跡というほか無い。二人は泣いて喜んだ。そして、父親は子供のためにアンドロイドを作る決意をしたのだ。
生まれる頃には死んでいる、自分の代わりになるアンドロイドを。
☆
アンドロイドを作るには、様々な申請がいる。
なぜ必要なのか。用途は何か。戸籍はどうするか。生活環境はどうなのか。
挙げていけばキリがない。
だが、それは当然だ。命を創り出すことの大変さは、この二人が一番知っている。
どんなに面倒な書類にも、どれほど莫大な価格にも、どこまでも厳しい審査にも、二人は挑んだ。
そして、やっと申請が通り、アンドロイドが作られることになった。
それを見届けて、父親は眠るように死んでいった。
残った母親は、今まで自分が旦那に注いでいた愛情と、旦那に注いでもらっていた愛情を全てお腹の子に捧げることにした。
旦那が命を懸けて蓄えた貯蓄は、アンドロイドの資金で削ってもまだ余りあるものだった。母親はそれらを子供用の服や、おもちゃ、教育の本、靴に絵本など、周りのママ友や親に聞きながら、全て買い揃えた。部屋いっぱいに溢れる子供用品を眺め、毎日仏壇の前でお腹をさすってみせた。
この頃になると、赤ん坊は母親のお腹を蹴るようになっていた。
☆
そこから少ししてから、俺がこの家に来た。
俺は、少し大柄でふっくらとした肉付きで作られたから柔和な外見をしていた。赤ん坊をあやすのには、筋肉質よりもこちらの方が都合が良いのだろう。
「あなたが、私たちの赤ちゃんを育ててくれるアンドロイドさんね」
初めて俺と顔合わせをした母親は、病院のベッドで点滴を打っていた。鼻には呼吸補助機も付けている。心電図がいつも弱弱しい音を奏でている。
あぁ、これはダメだな。初対面ながら、そう思った。
出産には、相当な体力がいる。健康な母体だったとしても、ある程度は死ぬ可能性を秘めた、壮大な行為なのだ。俺はアンドロイドだし男性型だから詳しく理解をしているわけでもないが、この母親がいかに不可能なことをしようとしているのか、傍目でも想像できた。
母親がいない所で、担当をしてくれているドクターに出産の確立を聞いてみた。
三パーセントだと、発言するのも辛そうに教えてくれた。きっとドクターは、三パーセントも成功するなんて思っていないんだ。
俺は、どうしようか考えた。せっかく作られたが、その家庭が無くなってしまうのなら、俺の居場所はここに無い。
そんな場合は、施設に戻って事務職をしながら、自立できる資金を蓄えて独り立ちしていくのが基本的らしい。殆どはそんなことが起きないので、誰もしないのだが。
簡単にいえば、俺も運が悪かったのだ。
そう思っていた。
☆
俺が母親と始めて会った日の夜に、母親が産気づいた。
俺はドクターの許可を得て、母親と同室で寝ていたのだ。静かな夜の闇の中、突然母親が苦痛に顔をゆがめ、声にもならない声でもがき始めた。
「だ、大丈夫か!?」
俺が見た時は、涙と涎で布団を汚しながら、痛みを必死に噛みしめながらナースコールを力の限り握っていた。備え付けのナースコールが割れて、母親の手から血が流れていく。
それからすぐに看護師とドクター、助産師が集まってきた。さすがは専門家だ。俺は何も出来ずに立ちすくむことしか出来なかったのに、ものの数分で出産の準備を終わらせてしまった。
「邪魔だから、どいててください!」
看護師の一人に部屋から追い出され、俺は廊下で一人になってしまった。
聞こえるのは、苦痛で泣き叫ぶ母親の声と、周りで励ます看護師の声だけ。
俺は、その壮絶な状況に……怖くなって耳を塞いでしまった。
俺はアンドロイドだから、お金と許可が下りれば機関が作り出してくれる。誰かがこんな風に命を削りながら産み落とされることはない。
あぁ、人間とアンドロイドは、全然違う存在なんだ。
そんな意識がずっと、俺の頭を鈍器のように殴りつけてくる。
☆
気が付いたら、窓の外が明るくなっていた。
ずっと耳を塞いで蹲っていた俺は、いつの間にか寝てしまったらしい。看護師に肩を叩かれ、やっと目が覚めた。
「産まれましたよ」
その言葉に、鳥肌が立った。
返事もおろそかに、病室へ入る。
看護師さんも殆どいなくなっており、居るのは助産師さんと、ドクターだけだった。
「赤ん坊は……?」
「いるよ。ちょっと頼りないが、元気な男の子さ」
助産師さんは、生まれたばかりの赤ん坊をふわふわの毛布で包み、ずっと背中を叩いていた。
そして、赤ん坊が泣いた。産まれたよ、と言われた気がした。
助産師さんが渡してくれた赤ん坊を俺は自分の指先まで神経を研ぎ澄ませて、抱き留めた。
腕の中で、あまりに小さすぎる命は、力強く声を上げて泣いているのだ。
自分の子供ではないのに、涙が止まらなかった。
「よく頑張ったな……赤ん坊も……母親も」
ベッドで横たわる母親は、あんなに苦しい顔をしていたのに、今となっては安心に満ちた表情で眠っていた。
「彼女は頑張ったよ。赤ちゃんの顔を見た途端、満足したように眠ってしまった」
ドクターが教えてくれた。とても悲しそうな顔をしながら。
「そうか……」
赤ん坊は、自分がいかに素晴らしい存在なのか知っているのだろうか。
母親と父親が、いかに自分を愛していたのか知っているのだろうか。
「お前のお母さんが起きたら、ちゃんとありがとうって言うんだぞ?」
俺は赤ん坊を抱きながら、ゆりかごのように優しく揺らしてあげた。
母親の心電図は、ずっと止まっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます