『帰路』
この世で一番の幸せは、眠い時に眠ることだと思う。
適度な酒で脳を満たし、暖かな部屋に包まれ、音の無い世界でただただ目を瞑る。それだけで、不思議と体と心は平穏に保たれる。そんな気がした。
自分はいつ寝たのだろう。サンが返事をしなくなってからも、酒を数杯は飲んだ。残ったつまみの処分だと言って、スルメやチョコを摘まみ、二人から聞いた話を反芻する。
家族とは何ぞや。その答えは十人十色。模範解答と呼ばれる唯一の答えは無い。
なら、俺はメリアとどういう関係であるべきなのか。
ふとメリアの顔を思い浮かべる。
笑顔を思うと、俺もつい笑いたくなってくる。
泣き顔を思うと、どうにかして泣き止ましたいとそわそわしてしまう。
恥ずかしそうにしていると、胸の奥がムズムズしてくる。
美味しいものを一緒に食べたいし、楽しいことがあれば教えてやりたい。てかそもそも日記をちゃんと書いてることを褒めてほしい。俺には必要ないのに、メリアが言うからわざわざ書いてるんだぞ。
今日は書いてないけど。今日の分は、明日まとめて書きます。
まぶたが重い。体も動かない。指の先まで完全に眠っている俺が今考えていることは思考なのか、夢なのか。もしかしたら、起きたら忘れているのかもしれない。
朝日を見ることのないこの脳内会議は、そろそろお開きの時間だ。堂々巡りな考えは、これにて閉店。これからは、脳みそまで眠ろうじゃないか。
なに、まだ時間はある。今は何時だ?
いいや……考えるのも面倒になってきた……。
☆
優しいぬくもりが右肩に触れた。眠っていた体が、肩を中心に感覚を呼び起こしていく。
「んぁ……サン……?」
「サンじゃないわよ。リンドウさんもサンも、まだぐっすりしてるわ」
メリアの声だ。
まだ寝ている二人に気を使ってか、小声で俺に話しかけてくる。
……え、メリア?
「どうして、ここに? ここは……どこだっけ?」
中途半端に起きたせいで、記憶が混濁している。
いつものベッドじゃないし、そもそも俺の部屋じゃない。なんで俺はサンの地下にいるんだっけ……。
「寝坊助」
メリアが俺の鼻を摘まんだ。優しく摘まむせいで、くすぐったかった。
「昨日、軽いメンテナンスに行くって言ってサンの所に行ったでしょ。覚えてないの?」
メリアはそう言って、テーブルの上の惨状を一目見て苦笑いする。
「ま、覚えてないでしょうね」
「覚えてる部分もある」
「なに?」
「楽しかった」
「それは良かったね」
メリアが笑った。俺も楽しくなった。
「何の話をしてたの?」
メリアは音をなるべく出さないように、テーブルの上のごみを近くのゴミ袋に入れていく。俺も寝ぼけ眼のまま、それを手伝った。
「えっと……何の話してたっけ……」
何か、勉強になることを聞いたはずなのだが……。
「今日のプロト、ポンコツで可愛いね」
「ポンコ……!」
メリアにもポンコツと言われてしまった。最近、俺はよくポンコツと言われている気がする。こんな状態じゃ、帰ったらまたカリメロに怒られそうだ。
「よし、ゴミはこんな感じでいっかな。プロト、二人のために毛布を持ってきてくれない?」
言われた通り、毛布を持ってきて二人に……と思ったが、どんなに探しても一枚しか毛布が見つからない。そもそも、客用の寝具を用意してそうな家ではないし。
少し考えてから、サンを椅子ごとリンドウの隣へ引っ張り、二人を並べて一枚の毛布で丸めてやった。まぁ仕方ない。
「じゃあ、私たちは帰ろっか」
「おう」
メリアが手袋をはめ、先に階段を昇った。俺もすぐ後ろをついていく。
地下を出ると、外の冷気が火照った頬を心地よく冷ましてくれた。やっと寝ぼけも治って、脳内で今の時間を確認した。
「いやまて、今まだ朝の四時じゃねぇか」
「……」
いつも起きるの五時とかじゃなかったか?
たしかに、迎えが無ければ確実に寝過ごしていたけど、それにしても早すぎるお迎えではないだろうか。
「ねぇ、メリア。なんでこんな早くに迎えに来てくれたんだ?」
「……」
サンの家を出てから、メリアは何も言わなくなった。二人の足音だけが、誰もいない夜の街に広がっていく。
メリアは返事の代わりに、手袋をはめた手に息を吹きかけながら、頬を寒そうにさすっていた。
「もしかして、俺が本当に帰って来るか心配になった?」
「……」
少しだけメリアの歩調が速くなる。図星か。
「馬鹿だなぁ。帰るって言ったじゃん」
「うるさいなぁ。寒いから早く帰るよ」
体を丸めながら、目の前を歩くメリア。そんなに寒いのに、わざわざここまで来たのか。徒歩だと近くもないのに。
「馬鹿だなぁ」
俺は駆け足でメリアに追い付き、自分のスーツの上着を被せた。しっかりとした生地のものなので、これ一枚被るだけで全然違うはずだ。
「これ脱いだらプロトが風邪ひくじゃん!」
「俺は強いから良いんだよ」
そもそもアンドロイドって風邪を引くのか? でも免疫力とかウイルスなどが関係してくるのなら、理論上は風邪をひくのかもしれない。まぁ、メリアが風邪をひかないならそれでいい。
「そうやって、自分ばっかり満足されても困るんだけど……」
不満そうに膨れるメリアは、少し迷ってから、俺の手を握った。
「あったけ~」
「手袋してるからね」
メリアの手を握り返すと、ほんの少しだけメリアが握る力も強くなった気がした。
「……おかえり、プロト」
「おう」
この日は月も顔を出さない静かな夜だった。
誰にも邪魔されない、帰り道だった。
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