第23話 アルベール

「…では、レンバルト校長。お気をつけて。」

「ああ…留守を頼むぞ。コネリー先生。」


レンバルト校長他一部の魔法学校教員達と、一部の生徒達は、来る「守護者」生誕20周年の記念式典に出席するため、学園を離れて首都アルベールへと向かう。


(ルーク達も今首都へと向かっているはずだ…)


校長は、ルークの身を案じていた。


「留守は私にまかせてください。レンバルト校長。」

レンバルト魔法学校の教務主任たるロージー・コネリーは、校長達が不在の間、学校内の管理を任される。コネリー先生は、甲高い声に、少し小太りで背の低い老婆といった風体。教務主任である以上は、魔法使いとしては確かな実力者だ。


「しかし校長。アルベールにはルークが…」


「そうだな、コネリー先生。騎士団の任務が成功していれば、既に彼はアルベールに到着しているかもしれん。成功していれば、だが…」


(無事を祈るぞ、ルーク。ラスカー…)


しかし校長はまだ知らない。魔法学校の内部に、ルークの「黒き魔法」を司法院に密告した者がいることを。








「少し揺れますが、どうか辛抱を。」


ルーク達は、魔道士ボガートの操縦する輸送車に揺られながら、首都アルベールを目指す。


「…荷物、というのはあながち間違いではないようだ…」


マーカス・ジョンストンがやや参ったように呟く。

彼らは輸送車の後部積載部に押し込められていた。


「…結局のところこれが、安全にアルベールに入り込む方法ですよ。…目立つわけにはいかないのでしょう?」


魔道士のボガートは、やはり自らが召喚した使い魔に、輸送車の牽引をさせていた。この輸送車には大量の荷物箱が積まれており、箱の中には、カモフラージュの如く塩や砂糖が大量に押し込まれている。


「…ルークさん。この調子なら、今日中には首都へと到達します。どうか心の準備をしておいてくださいね。」


グレンヴィルがルークに声をかける。


しかし心の準備と言っても、一体何をどうしろというのだろうか。

ルークの心中に漂白していた不安感情は、図らずともグレンヴィルの一言で、余計に増強された。


だからと言って、やめるつもりもないが。

首都へ向かうと決意したのは、自分自身でもあるわけだし。


「ボガートは、私達騎士団も重宝している、魔道士の″運び屋″よ。彼は都市部周辺のルートに詳しいからね。」

キーラがルークに、ボガートのことを説明する。


「ああ、わざわざご紹介をどうも。ルークさん、と言いましたか?

出来るだけ近道であなたを届けるので、どうぞゆっくり休んでいてください。

…といっても、そのギュウギュウな空間じゃ、休むに休めないでしょうがね…」


「いえ…大丈夫です。」


ボガートは使い魔を駆って、湖水地方から脇道を抜けて、複雑な森林地帯を抜けていった。その森は霧で覆われており、明らかに視界が遮られていた。


「…大丈夫なんですか?こんなところを通って。霧で、まるで前が見えません。」


メアリー・ヒルが言う。


メアリーは相変わらず、傍にラスカーを置いて、彼女の脈を測ったり、体温を気にしたりと、看護を続けている。

ラスカーの意識も若干戻っていたが、まだ意識朦朧としており、言葉も話せない状態だった。


メアリーは介助し、ラスカーに水を呑ませる。


「首都へ行くのに、普通この経路は通りません。しかし私の使い魔は、優秀でね。視界が遮られていても、″感覚″で、首都アルベールまでの道のりを理解しています。」


ボガートが、自らが使役する使い魔の説明をする。輸送車を牽引していたボガートの使い魔は、合成獣のような奇怪な容姿をしている。牛の角が生えた犬の顔面を持ち、サイのような寸胴とした肉体に生えた8本の足は、強靭な馬の足。その8本もの逞しい足が、重力をものともしない強力な走破力を生み出す。


「私の使い魔は、見た目は気味悪いが、逞しい。大人50人程度でも、楽に牽引できますよ。」


「それは凄い…」


マーカスが感心する。


「それが″使い魔″の力ってやつですね…魔法使いの特権ですよ…

まあよく言われますけど。魔法使いであるあなたが凄いんじゃなくて、使い魔が凄いだけじゃないか?ってね。


しかし魔法使いと、使い魔の能力は比例するものです。だから、使い魔が凄い=私が凄いってことですよ、ハハ。」


自慢、というより半ば冗談めいた口調で、ボガートは言う。

とはいえ、優れた魔法使いは往々にして、優れた使い魔を使役することが多い。

使い魔が十分に力を発揮できるかどうかも、魔法使いの能力に依るところが大きいからだ。

しかし優秀な魔法使いであっても、使い魔を使用しない者も、中にはいる。


(ラスカー先生の使い魔も凄かったな…)


ルークがこれまで見てきた使い魔の中では、ビアンカ・ラスカーが使役していた、白銀の首長竜「アーク」が最上だった。

ラスカーとアークのコンビネーションもそうだが、紛れもなく彼女の魔道士としての能力の高さと、使い魔の優秀さが一致している一例だろう。



「さあ、霧を抜けますよ。」

輸送車が進むうちに、やがて霧は晴れて、明確に舗装された石道を走る。


「あれは…!」


ルークが外を見やると、遠い目線の先に、広大な外壁に囲まれた、巨大な都市が見える。


「あれが、首都…」


マーカスは、その初めて目にする″アルベール″の姿に、若干の興奮を覚える。


浮ついた気持ち、というよりも。

田舎者の医者が直面する、都市への″畏怖と憧憬″そのものである。


平な石道を抜け、アルベールへの距離が次第に近づく。街に近づくにつれて、自然に道を行き交う馬車や人々の集団が増えていく。


「…やはり、守護者様の式典があるからか、アルベールを目指す人間が多い…」

ボガートが呟く。


「それだけ人が集まって…お尋ね者の僕は、大丈夫なんでしょうか…」


ルークが不安を口にした。


「…むしろ、群衆で人だかりが出来れば、かえって目立ちにくいかもしれません。…とはいえルークさん。あなたには、アルベール到着後すぐに、シャーロット王女のいる″エストリア城″に向かってもらいますが…」


グレンヴィル騎士団長がルークに説明する。


「エストリア城…」


ルークは街を見やると、都市に一際高くそびえ立つ、優美で荘厳な城の光景が目に入る。



あれが、エストリア城か…


あそこに、シャーロット王女が…


「さあ、まもなくアルベールに着きます。…キーラ様、どの検問所を通りますか?」


「第3検問所のところに行ってちょうだい、ボガート。あそこの検問官は王女の″指示″が通ってるから、そこから街の中に入れる。」


「了解しました」


ボガートはキーラに指示され、首都アルベールに入都するための通過口の一つ、第3検問所に向かう。

検問所の入り口に到達した輸送車は、検問官からの精査を受ける。


「…名前と身分証を。」


「…騎士団の特務任務よ。王女の勅令。合言葉は、″雲の中の爪″」


「…ああ、キーラ・ハーヴィー副騎士団長。王女が″積み荷″をお待ちです。どうぞお通りください。」


検問官はそう言うと、ルークを乗せた輸送車を、街の内部へと通した。


「…意外と、簡単に入れるんですね。」

ルークが尋ねる。


「…王女の、事前の根回しのおかげよ。


本来なら、積荷の中身を調べられるんだけど。王女は第3検問所の検問官に、″特殊任務″のために入都してくる騎士団が″指定された合言葉″を言った際、通すよう指示していた。


…まあ、司法院はこういうやり方は許さないけどね。不正の温床になるから。」


「じゃあなぜ、検問官はそんなリスクを犯して?」


「あの第3検問官だけよ。彼は、王室の″支持者″だから。大神院や司法院を嫌っているの」


「はあ…」


ルークはもやもやとした。「王室」と「大神院」の対立がもたらしている余波は、どうも当事者達の間だけではなく、首都の行政運営における″末端″にまで、そのセンシティブな影響が及んでいるのかもしれない。


ルーク達を載せた輸送車は、街の検問を抜けて、巨大な外壁に囲まれた都市の内部へと入る。


「停留所に輸送車を停めますので、そこから先は歩いて、エストリア城まで行きますよ。」


グレンヴィルがルーク達に説明する。


「それとルークさん。あなたはこのローブを被っておいてください。司法院の人間は、アルベール内部にもいますから。彼らに見つかるとまずい。」


そう言われルークは、グレンヴィルから渡された大きなローブを被る。小柄なルークには、随分とサイズが大きめだったが、ローブのフードで、ルークの顔は巧妙に隠すことは出来ていた。


「さあ、停留所につきました。車から降りましょう。」


ルークは、後部積載部から降りて、ついに首都の地を踏むことになった。



「すごい…」


初めて目にする、首都の光景。

それは今まで見たことがないほどの、絢爛っぷりだった。


白を基調としたバロックで優美な建物が無数に乱立し、街の至るところには、天にも届くかというような高さの塔や大聖堂が点在。


何より驚きなのが、街を行き交う人、人、人——


油断していると、人の″波″に呑み込まれてしまいそうな勢い。その群衆の喧騒っぷりは、あるゆる″個人″が主役になれず、この都市の群衆の中の″一部″にしかなれないことを証明していた。


「すごい人だかりだ…!」


「…都市部へ来るのは初めてですか?ルークさん。…守護者様の式典パレードが近づいているので、今の時期は特に人が多い。なんせ国中から人が集まりますからね。」


「…都市なんて、何もいいことがない。騒がしいのは嫌いだな。」

久しぶりにジェイコブ・ウッズ騎士団長が口を開いた。″死人″のごとく寡黙なジェイコブにとっては、やはり都会の喧騒は不快なものなのだろう。


「あらぁ、ジェイコブ?あなた起きてたのぉ?″静か″すぎて、眠ってるものだと思ってたわぁ…」


ジェイコブを面白おかしく煽り立てるキーラを、やはりジェイコブは無視する。


「…さあ、ここからはエストリア城へと向かいます。」

グレンヴィルが言う間に、一人の見知らぬ女性が、ルーク達のところに歩いて来た。



「…みなさん。ようやく到着したようですね。エストリア城でシャーロット王女がお待ちですよ。」


その女性は、身なりの良い絢爛な衣装を着ていた。彼女の胸には、エストリア王国旗の紋章がつけられている。


「はじめまして…あなたが、ルークさん?

私は″王室付き″魔道士のソフィア・ニコラウスといいます。」


殊更″王室付き″という言い方を強調したような、話し方だった。


その女性は、見た目はかなり若い。ルークと同じか、下手をすればそれよりも歳下かもしれない。女性というより″少女″といったほうが適切だろう。マニッシュで所々カールがかった黒髪に、宝石のような緑色の瞳。


″若さ″というか、どこか″幼さ″も残る高い声は、しかしそれを打ち消すように、力強さと″自信″に満ち溢れていた。


ルークはソフィアに挨拶して一礼する。


「はじめまして。ルーク・パーシヴァルと申します。」


「ではルークさん。私がエストリア城まで、あなたを案内しますね。」


「じゃあ、案内頼むわねぇソフィア。私とジェイコブはちょっと″エストリア騎士団″の本部に用事があるから、ここでお別れ。じゃあねールーク君。長旅楽しかったわぁ。また会いましょう」


キーラ・ハーヴィーはそう言うと、ルークの額にキスして、早々にその場を去る。ジェイコブ・ウッズも同様だ。


「あ、あの!ジェイコブさん!」

キーラと共に行こうとしていたジェイコブに、メアリーが声をかける。


「なんだね?メアリー・ヒル」


「あの…国境付近の町では、いろいろ助けてくれて、ありがとうございました。」


「…お嬢さん。今度は、銃ぐらい自分で撃てるようになることだ。

…では、また会おう」


ジェイコブはそう言って、わずかに笑みをこぼしながら、メアリーに別れを告げる。


(銃ぐらい、か…)

ジェイコブにとってそれは単純なことかもしれないが、メアリーにとっては重いものだった。技術的な意味で、ではなく。それは決心の問題。


″威嚇″ではなく、″殺意″を持って人に銃を向ける。それは、″人を助ける″ことに従事してきた薬剤調合師のメアリーにとっては、簡単なことではない。だからこそ彼女は、「あの町」でジェイコブに、″殺し″を「代行」してもらった自分の卑劣さを思い出し、胸がじわじわと苦しくなる。

そして今も彼女のバッグには、国境付近の「薬物で汚染された町」で入手したガンビラ(違法薬物)の顧客リストが入っている。


「キーラさん達、行っちゃった…」


「彼女は、エストリア騎士団の副騎士団長ですからね。騎士団長に代わって、あらゆる実務を担ってますから、いろいろと多忙なんですよ、ルーク殿」


エストリア騎士団は、王国に存在する″13″の騎士団の中で、最も序列の高い騎士団。キーラ・ハーヴィーの戦闘能力の高さを以ってしても、彼女はナンバー2なのか。


「…グレンヴィルさん。キーラさんが副騎士団長なら、騎士団長はどこに?」


ルークの単純な疑問に、グレンヴィルが答える。

「ああ…″シャーロット王女″ですよ。彼女は王室のトップであると同時に、エストリア騎士団の″騎士団長″も兼任しているんです。」


「王女が?

でも騎士団は、指折りの精鋭集団なんですよね?」


「ですから、シャーロット王女はキーラ様よりもお強いのです。

キーラ様ですら、戦って勝てなかったのですからね。…全騎士団内で、キーラ様を制御できるのは、王女だけなんですよ」


「へ、へえ…そうなんですね…」


あのキーラ・ハーヴィーより更に上を行く実力者… シャーロット王女は、一体どのような人物なのか…


「でもジェイコブさんは、″ロータス騎士団″の団長ですよね?なぜ彼も、″エストリア騎士団″の用事に同行していったんですか?」


ルークからの問いかけに…″ランスロット騎士団″の騎士団長たるグレンヴィルは、少しばかり苦虫を噛み潰したような表情を見せた。


「…ジェイコブ・ウッズ騎士団長は、キーラ様と同じ″派閥″ですからね。」


グレンヴィルの答えに、ルークはそれ以上は聞かなかった。


「騎士団」内も、一枚岩ではないのだ。おそらく。その明確な理由はわからないが。



ルーク達はソフィアに案内され、街の中心に位置している″王家″の城へと向かう。


「″守護者″様の式典があるとはいえ、これだけ人が多いと警備も大変では?」


マーカスが、街に行き交う人々の多さを見て、口にする。


「その通りです。最近は地方から人の流入が激しくて…ここの治安も悪化しています。」


「人の流入…」


「…ええ。10年前の戦争が終わった後、エストリア王国内では、物価が高騰して失業者が溢れました。仕事を求めて都市部を目指す者が爆発的に増えたんですよ。」


10年前の戦争…


エストリア王国は、近代の間で「2つ」の大きな戦争を経験した。50年前の、魔法使いと人間の間で起きた「エストリア内戦」。

そして10年前の「世界大戦」。


10年前の戦争は、世界中に存在する大小さまざまな国々が同盟を結んだ「解放連合軍」と、エストリア王国との戦争。その戦争は、世界規模で行われた戦いのため、「世界大戦」と呼ばれている。


当時世界最大クラスの大国であったエストリア王国は、世界中に植民地を保有していたが

、この「世界大戦」に敗れ、多くの植民地を失った。

強大な軍事力を誇っていたエストリア王国も、この数多の国々が結束した「解放連合軍」には勝てなかったのだ。


この敗戦から、エストリア王国の衰退が始まった。敗戦による混乱、物資不足。

「戦勝国」への多額の賠償金など、あらゆる要素が振りかかって、王国には大量の失業者が生まれた。「敗戦」の責任は、戦争を主導した「王室」に降りかかり、「王室改革」という名の下、「王室」の権限は弱められ、財政難からあらゆる「予算」が削られた。


王室直属の精鋭部隊たる「騎士団」も、現存する13の騎士団を除いて、その多くが解体されたのだ。当然ながら、国の「軍事費」も削られた。


この「王室改革」を主導したのは、皮肉にも「大神院」だった。


「法の番人」たる大神院は、「敗戦」による混乱を利用して、狡猾に事を進めたのだ。敗戦直後、王室や騎士団が機能不全に陥る中、大神院が主導したこの「改革」は、粛々として進められた。


王室が暴走しないように、その権限を弱めて、王室政府の決定に「大神院」が介入できる法を作った。


そして国の″財政″の紐を握ったのだ。


何をするにも「カネ」が必要。この重要性を認識し、あらゆる国家予算の承認は、「大神院」の許可がなければ降りないようにした。


そして王室の配下たる「騎士団」の解体を推し進めるため、騎士団内の″穏健派″を懐柔し、騎士団解体に抵抗する″抵抗派″との対話を続けさせた。


″穏健派″は、大神院から脅されたのだ。

もし騎士団を解体しなければ、戦争犯罪人として「戦勝国」にお前達を突き出す、と。

これに怯えた″穏健派″の騎士団長達は、″抵抗派″を説得した。

「騎士団をなくすべきだ。さもなければ、我々は″戦勝国″の国々に突き出され、処刑となるだろう」と。


だが騎士団内の″抵抗派″達は、断固としてそれを拒否した。彼らは「敗戦」の事実を受け入れず、徹底抗戦の構えだったのだ。


話し合いが不可能となり、騎士団の″内紛″が始まった。騎士団同士の戦いで、また大勢が命を落とした。″抵抗派″の勢いは凄まじく、穏和に事態を収拾できないと悟った大神院は、

「騎士団を完全には失くさないが、その数を減らす」という譲歩案で落とし前をつけることにした。


″騎士団を完全に解体する″という至上目的は果たせなかったが、騎士団同士の内紛と、″譲歩案″によって、50あった騎士団の数は13にまで減らすことが出来た。

その結果、今日に至る。


このような背景があるため、伝統的に「騎士団」と「大神院」は非常に対立関係にある。無論、騎士団内も様々で、大神院に追従するか否かでは、さまざまな意見が割れている。とはいえ大神院にとっても騎士団という存在は、「迂闊に手を出せば暴発する」非常に危うく厄介な存在ではあったのだ。



「…世界大戦後は、失業者が溢れましたが。相変わらず魔法使い達は重宝されたのです。魔法を使えば、安価な労働力で″人間″以上の労働効率を得られますからね。特に″富裕層″達は、都市部を中心に多くの″魔道士″達を雇いました。」


「…魔法使い達は、世界大戦後もある程度は職にあぶれることはなかったのですね…」


ルークの問いかけに、ソフィアはうーんと少し考え込む。


「まあいろいろですよ!職を得られない魔法使いもいるし、″私みたいに″高級な地位に就く魔法使いもいます。

″安い賃金″で雇えるからって理由で、彼らを雇う人々も多いですし…


一つ確かな事実は…」


ソフィアは確信的に、その言葉を放つ。


「魔法は便利だってことです!だから、なんだかんだ言っても必要とされる」


魔法は便利…

たしかに、それに尽きるかもしれない。


「魔法院が主体になって、この数十年であらゆる″魔法使い優遇策″が実施されました。その旗振り役になったのも…」


「…ゲーデリッツ長官ですか?」


ソフィアの答えを、ルークが先取りする。

…彼の名前が出てくることは、なんとなくルークにはわかっていた。


「ええ…そうですね。長官が旗振り役となって、魔法使いの″優遇策″に奔走したのです。」


優遇…

ルークはその言葉に違和感を感じた。


ゲーデリッツ長官の魔法使いへの″献身″っぷりは、長官の行動を体現していると言ってもいいかもしれない。なにせ彼は、一魔法学校生を救うために、″不正″も辞さないような人物だから。


だが、魔法使いを優遇することと、魔法使いが住みやすい社会を作ることは、イコールとはなり得ない。むしろ魔法使いだけを特別に優遇することは、人々の反発を招きかねない。それは結果的に魔法使いの「居場所」がない社会を作ることに近いのだ。あの聡明なゲーデリッツ教授が、どういう考えの下自らの施策を実行しているのか、ルークにはわかり得ないが。


(スヴェン…)


ルークは長官から、親友のスヴェンが監獄行きになったと聞いた。ゲーデリッツ長官は、スヴェンの潔白を訴えるために尽力してくれたが、叶わなかった。″魔導士″の称号を持たないスヴェンが、魔法を使って「魔法抑止法」に違反した。


そして彼の人生は崩壊した。


無論、スヴェンが収監されたというのは、ルークに行動を促すための、ゲーデリッツ長官の嘘。だがルークにそれを知る術はない。


「…ルークさん、どうしたのですか?浮かない顔をして。」


「あ…いえ。」


ルークはソフィアに言われて、自分が深く動揺していることに気づき、平静を装う。


「…本当は前ばかり向いて生きていきたいけど…そういうわけにもいかない。″過去″というものは、どうしてもついてまわってくるから…」


「はあ、私にはよくわかりませんね、ルークさん。私は、あまり過去を見ないようにしていますから…」


「でも、ソフィアさん…自分の行動に対して、こうすべきでなかったとか…後悔することは、ないのですか?」


ソフィアはまたうーんと悩み出す。


「…後悔するよりも、自分にとって何が利益になるか。それだけ考えていれば、良いと思いますが?」


ソフィアの答えは、どこか浅慮のように、ルークには感じられた。

利益ばかりを追求できるほど、人の心は単純には出来ていない、とルークは考えているからだ。それとも、このソフィアという少女とは、根本的に考え方が違うだけなのか?

それはわからないが。


「…さあ、今はとにかく城まで急ぎましょう。」


首都アルベールの城下街を歩いていくルーク達。都会は優美で華やかではあるが、当然の如く、この世に″綺麗なだけ″のものは存在しない。道中には、やはり″スラム″らしきものもあって、浮浪者や貧困層らしき人々が、ぐったりと密集している光景。


「…汚らしい」


ソフィアがぼそっと呟く。そのような言葉を平気で口に出来る神経が、ルークやマーカス達には理解できなかったが、だからといってそれを指摘するほど、自分達が出来た人間ではないことも知っている。

特にルークやメアリーは、ここ数日間で″自分自身″の独善性を直視した。だからこそ、他者の″醜さ″について論じることが出来る″余地″が、ほとんど自分達には残されていないことを実感する。


「…ああいう人達は、みんな排除するべきなんです。人々を不安にさせるし、都市の景観を損ねます。」

ソフィアの辛辣な言葉に、マーカスが我慢できずに言葉を返す。


「ソフィアさん…彼らも必死に生きているんだ…そんなことを言うべきでは…」


しかしソフィアは反抗的に、マーカスの言葉を打ち消そうとする。


「…彼らが必死に生きている?いいえ、彼らは物乞いし、″施し″を与える人々への感謝すらありません。自分達の″汚さ″を理解せず、愚かにも″生″にしがみついている。


必死に生きているのは、私達ですよ。


私達の仕事は、″責任″があり、社会にとって有用なものです。誰でも出来る仕事ではありません。私達は″特別″なんですよ?

彼らとは違います」


このソフィアの選民意識は、マーカスらにとって明らかに不快なものだったが、人の″考え方″を変えることは、簡単なことではない。

彼女自身がこの先、あらゆる苦難を経験して、その考え方を改めてくれるといいが…

マーカスはそう思っていた。


「おい!冗談じゃねえぞ!立ち退けってのはどういうことだ!!」


道中、一人の浮浪者らしき男が、街の衛兵に怒鳴り散らかしている光景に出くわした。


「いえ、ですから…8日後に″守護者″様の式典パレードがあるので。この辺にテントを立てられると、困るのですよ。ここは公道ですよ?」


「…俺達にスラムに行けってのか?

あんなところに行ったら身ぐるみ剥がされちまう…

今の今まで、この辺に住み着いていたのを容認していたのに、今更立ち退けってのはあんまりじゃねえか?

仕事もねえ、住む場所もねえ…一体どうしろって言うんだよ!」


衛兵が、違法に住み着いた浮浪者が立てたテントの立ち退きを命じ、浮浪者がそれに抵抗していたのだ。


「困りますね…早く同意してくれないと、無理やりにでも立ち退いてもらうことに…」


「ああもう、まどろっこしいわね。」


押しの弱い衛兵の対応に業を煮やしたソフィア・ニコラウスが、衛兵を押しのけて浮浪者へと近づいて行った。


「…わかりませんか?ここに住み着くのは違法なので、″とっとと失せろ″と言っているんですよ。」

「なんだよお前、いきなり現れて?ガキが口出しするんじゃねえ!」


ガキ、という言葉にソフィアは憤ったのか、あからさまに彼女の声の調子が不穏になっていく。


「ガキ、ですって?…私を誰だと思っているんです?王室付きの魔道士ですよ。

…低脳のあなたに…わからせて、あげましょう」


ソフィアはそう言うと、右手を高く掲げた。


(何を…?)

しかしルークはすぐに理解する。その動作が意味することは、魔法の発動——


(まさか、丸腰の人間に魔法を使うつもりか!?)


ルークは本能的に、彼女を止めようと咄嗟に動いた。


「ソフィアさん!やめ——」


しかし、間に合わなかった。


浮浪者の脳天に、強烈な雷が落ちた。

それは紛れもなく、ソフィアが発動させた魔法そのもの。


頭に強力な電撃を受けた浮浪者は、その場に倒れこみ、口から嘔吐しながら体をビクビクとさせている。


医者であるマーカスと、その助手のメアリーは、浮浪者の男を助けるために、やはり咄嗟に動いていた。


「まずい!けいれんを起こしている!メアリー!!彼を安全な場所に運んで、気道の確保を!吐瀉物で窒息死してしまう!!」

「はい!!」


マーカスとメアリーが、男の救命処置をしているのを無視して、ソフィアはその場を去ろうとする。


「…ソフィアさん。あなたは何てことを…!無抵抗の人間に、魔法を使うなんて…!!」


「無抵抗?いいえ、彼は私を恫喝しました。そして今にも…殴りかかってきそうな…そんな″雰囲気″がありました。だからこれは、正当防衛です。″魔法抑止法″に違反はしていません。そう、ですよね?衛兵のみなさん。」


周辺にいた衛兵達は、ソフィアに逆らえずに、無言で頷いた。


「殴りかかりそうな雰囲気って…そんな言い分を…どう信じろと?」


「ルークさん。あのような浮浪者が一人死んだところで、誰も悲しみません。彼らはこの世に″必要のない″人間なんです。」


あくまで冷たく言い放つソフィア。


悲しむ人間などいない…果たして本当にそうだろうか?


(死なないでお父さん…!)


マーカス達が男を運ぶ最中、そのような声が聞こえたような気がした。声を耳にしたソフィアは、少しばかり動揺しているように見えたが、その声の主すら″見ないふり″をした。


「い、行きますよ!ルークさん!」


ソフィアが吐き捨てるように言って、彼女はさっさと歩いて行った。


なんて酷いことを…


ルークはこの時、魔法学校の卒業式の際に演説していた、ベルナール副校長の言葉が頭に浮かんでいた。


(首都アルベールで王室付きの上級職に就く魔法使いもいるが、中には横柄な態度で、市民から酷く嫌われている魔道士もいる)


その言葉が、実体験を以って、ルークの頭の中で鮮明に思い出される。


(魔法使いの身であっても、地位を手に入れれば人は傲慢になる。自らの力に″魅了″され、自分は特別な人間なんだと思い込む。それは魔法使いが陥る危険な兆候だ。…だからくれぐれも、誤った道を進まぬようにな。)


副校長の言葉は、たしかに真実だったのかもしれないと、今理解できる。

それは決して、誇張した表現ではなかったのだ…


(こんなんじゃ…)


そしてルークは、悔しくもなった。


(こんなんじゃ、魔法使いは余計に憎まれるだけじゃないか…!)



ベルナール副校長の言葉は、いとも容易く実証されたのだ。

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