第22話 友情の証明
「サダムさん!!」
司法院の罠。警備隊に包囲されたサダムは、ルークを逃すために孤軍奮闘する。
サダムの魔法が、闇で覆われた森を、鮮やかな炎で覆い尽くす。ルークの声はサダムには届かず。
彼はサダムの発動した魔法に巻き込まれてしまわないために、この場を離れざるを得なかった。
ルークはもはや、その場から逃げるより他なかった。サダムの犠牲を無駄にしないためにも。
(ごめんなさい…!)
自分は一体誰に謝っているのだろう?何に申し訳なく思っているのだろう?
罪悪感を感じるぐらいなら、初めからサダムに加勢すればよかったのだ。でもそれは、「この場」において″正しい″選択ではない。
″納得はできる″選択肢であっても、それは″正しくは″ない。サダムが自分の職務や使命を果たすために、ルークは絶対に今ここで捕まってはならないのだ。
だから、走る。他人に犠牲を押しつけて。
そしてサダムは、己の使命を全うするために、自ら犠牲となる。
(私としては、ここで死ぬつもり、などありませんがね…)
サダムも決して、死を選ぶつもりだったわけではない。願わくば、生き延びる。とはいえ死も覚悟する。いずれにせよ、自分が出来ること。その最善を尽くすだけだ。
敵兵の数は100名を優に超える。
サダムは、魔道士の中でもかなり戦闘慣れしている魔法使いではあったが、それでも単独で武装した兵士多数を相手にするのは、容易ではない。いかに魔法使いといえども、肉体は普通の人間と変わらない。
ただ「魔法が使える」だけ。銃で撃たれたら、すぐ死に至るし、怪我だってする。
「戦い」において重要な要素は、冷静な判断力と思考。そしてその″思考″に対して肉体が追いついていくか。それが出来なければ、すぐに「死」はそこまでやってくる。
サダムは騎士団達のように、超越した身体能力を持っているわけではないが、それでも彼の優れた魔法能力は、兵士達にとって脅威だった。
「魔法抑止法」では、そもそも魔法の戦闘利用は禁じられている。「正当防衛」という名目以外では。故に、一部の例外を除いて魔法を戦闘行為に「応用」できる魔道士は、稀な存在である。優れた魔法使いは魔法の応用能力が高いので、自らの魔法能力を「攻撃」に応用させることも、必然として並の魔法使いより巧妙に行えるのだ。
(しかし、これだけの数を相手にするのは…)
サダムは敵兵の銃撃を、氷の壁を発生させて、防ぐ。
(さすがに、骨が折れる!)
そしてすかさず「攻勢」に転じる。巨大な氷柱の固まりを複数発生させ、巨大な氷の「槍」のごとく、氷柱を兵士達に飛ばす。無数の氷の固まりが兵士達の胴体を貫く。兵士達が再度発砲しようとした際には、炎の渦を発生させて、兵士の視界を奪った。
「随分と、戦い慣れした魔法使いだな…」
司法院長官のデュランは、サダムの強力かつ正確な魔法攻撃に、感心したような声をあげる。
「…デュラン様。このままでは、下手をすると部隊が全滅してしまう可能性もあります。奴はただ者ではなさそうだ。…隊の指揮は警備隊長に任せて、我々はここを一旦離れましょう。」
デュランの副官であるフランソワが、彼に撤退を持ちかけるが、デュラン長官はフランソワの言葉を一蹴する。
「…いや。警備隊に全てを押しつけて、司法院の我々だけ撤退するわけにもいくまい。
それに、警備隊は″魔法使い″との戦い方を知らない。私は″戦争″のプロではないが、魔法使いの″取り扱い方″は、幾分かはわかっている。少なくとも、彼らよりはな。」
デュランは部下からの忠告を拒否し、なおも自らが部隊の指揮を執るつもりだった。しかしそれは、無謀な戦いというわけではなく、勝算があるからに他ならない。
「…しかしデュラン様。あの魔法使いを仕留めるのは、大変ですよ?」
「…仕留める必要は、ないんだよ。フランソワ」
ルークは、森の中を走っていた。ただひたすらに。
できるだけ遠くへ。
サダムの行動を無駄にしないためにも、絶対に捕まるわけにはいかない。
だが兵士達も、ルークを後方から追っている。
「止まれ!止まらないと撃つぞ!」
兵士の怒号。そしてルークの背後から銃声が聞こえる。その銃声は、紛れもなくルークを狙っているものだった。
ルークの顔面の横を、銃弾がかすめた。
今ここで、捕まるわけにはいかないし、死ぬわけにもいかない。恐怖と焦り、後悔。いろんな感情が交錯し、ルークはひたすら走り続けた。
ルークが必死の逃走を図っていた中、彼の眼前に、突如として現れたのは——
地を颯爽と駆ける馬。その馬に乗っていた人物は、ルークの体を引っ掴んだ。馬に乗っていた人物は、敵兵士ではない。
「ハーヴィー副騎士団長!?」
「探したわよぉ、ルーク?
この付近で爆音が聞こえたから来てみれば、ドンピシャだったみたいね。
あなたを無事″回収″できてよかった。
さあ、早くここから離れるわよ。」
馬に騎乗していたのは、キーラ・ハーヴィーだった。思わぬ人物の登場にルークは安堵したが、彼はキーラに、サダムが敵部隊相手に孤軍奮闘している状況を伝える。
「キーラさん!サダムさんが、一人で戦ってるんです!早く彼を助けに…!」
ルークは、期待を抱いていたのだ。騎士団がいれば、サダムを救出することが出来る。彼を救出して、また一緒に首都へと向かう。期待を抱いていた。…だがキーラの言葉は、ルークにとってひどく冷淡なものだった。
「サダムを、助けに行く?
…なーに言っちゃってるのかしら。
私達の任務は、あなたを首都まで移送すること。…なんでわざわざ、そんなリスクを取る必要が?」
リスク…?
だって彼は、僕達の仲間——
ルークはそう言いかけて、サダムがルークに放った言葉を、ふと思い出した。
(キーラ様は、私のことを本心から仲間だとは思っていません。ウッズ様やグレンヴィル様だってそう。
私は騎士団の一員でもない、ただの魔道士です。そんな人間を心から仲間だと思っている騎士団のメンバーなどいません。
私は所詮、彼らの″仕事仲間″でしかないのです。そこには個人的感情は一切入らない。だから、私が死んでも、彼らは悲しまない。)
サダムがルークに語ったこと。その悲壮な言葉は、紛れもなく現実なのだということを、ルークは今思い知らされたのだ。
「で、でも…キーラさんの強さなら、サダムさんを助けに行くことだって…」
それでもルークは、サダムを諦めきれず、キーラを説得しようとしていた。
「…ルーク君。可能かどうか、の話をしてるんじゃないの。
…向こうは、司法院の″長官″がいるのよぉ?
騎士団の人間が、もし司法院の最高幹部に手を出したら、シャーロット王女にどれだけの迷惑がかかると思う?
今言ったでしょう、リスクは取らないって。
何のために国境付近のルートを通ってきたと思っているの?司法院に目をつけられないためよ。大神院の配下たる″法″の執行者に目をつけられることがどれほど面倒なことか…あなたにわかるかしらぁ?」
王室の配下たる″騎士団″の行動は、必然的に
″王室″の責任に直結する。その″責任″の連座こそ、ある意味では「戦闘狂い」たるキーラ・ハーヴィーの行動の抑制装置にもなっているのだ。
それ以前に、キーラ・ハーヴィー副騎士団長は、決して猪突猛進なタイプではなく、一定の損得勘定やリスクヘッジを重視する、かなり″打算的″な人物であることも事実なわけだが。″シャーロット王女″がこの人物を重宝するのも、そういう理由があるのかもしれない。
「そんな…」
何かを成し遂げるために、誰かが犠牲になる。
ルークはサダムを助けたかったが、キーラにそれ以上は言わなかった。それ以上言うと、ルークを突き刺す言葉が、彼女の口から出てくるかもしれなかったからだ。それはいみじくも、今のルークにとっては残酷な言葉となり得る。
(でも結局、あなたはサダムを見捨てて逃げてきたんでしょう?)
そう言われるような気がしたからだ。
事態を打開したければ、結局自らが道を切り開くしかないのだ。「無力」な者は、強者に何かを期待し、すがることしかできない。
それが、現実だ。
闇夜の下、燃え盛る森の中では、魔法使いと警備隊達の攻防が依然として続いている。
サダムは、敵部隊に反撃の隙を与えないよう、ひたすらに攻撃の手を緩めなかった。
一人で多人数の部隊を相手にするならば、防戦に終始すると敗北する。
…しかし、どうにも敵部隊の動きが変わってきている。
敵兵士達は、積極的に「仕掛けて」こないのだ。
″たまに射撃をしては、後退″。
発煙弾でサダムを撹乱させ、多少の攻撃を仕掛けた後、また後退。
はたから戦場を見れば、サダムが一方的に攻撃をかけて、兵士達が防戦一方、のように見えるが、実際はそうなってはいないのだ。
事実、サダムは炎術や電撃、氷術などあらゆる魔法を駆使して攻撃を続けているが、兵士達が「少し攻撃してまた後退」を繰り返すため、なかなか兵士を仕留めることができていなかった。
「…いかに強力な魔法使いといえど、相手はたった一人。ならばその対処は容易い…」
これは、部隊を指揮するデュラン長官の作戦だった。
「強力な魔法使いを仕留める単純な方法…それは、まず魔法を出来るだけ″使わせる″ことだ。ありったけ魔法を使わせて、″消耗″させ疲れさせる。
…早期に決着をつける必要はない。こちらには大勢の戦力がある。あの魔道士が消耗しきったところで、一気に決着をつければ良い。」
兵士達が防戦にまわっているのは、サダムにとってまずい状況であった。連中がもっと前線で積極的な攻勢に出てくれたら、サダムの圧倒的な火力で一気に仕留めることも可能だったのだが。しかし、その「守勢」にまわって、サダムを撹乱しつつ、彼に魔法を「無駄に使わせる」ことこそが、デュランの戦法。
魔法使いといえど、有限に魔法が使えるわけではない。大規模な魔法を長時間使用すれば、身体的疲労や負担が増大する。
兵士達は、あまり攻撃してこない割には、数にものを言わせてサダムを包囲して、彼の退路も防いでいたので、やはり戦うほかはなかった。
「はぁ、はぁ…」
段々と、サダムの息が荒くなっていく。規模の大きい魔法を使いすぎて、体力も限界近くにきている。ずきずきと、酷い頭痛がサダムを襲う。
サダムの周囲に、再度発煙弾が投げ込まれる。
(くそ、また撹乱か…!)
消耗戦になれば、単独で戦っているサダムが不利なのは明らかだった。
煙が立ち込める中、サダムは視界を作るために、″風術″の魔法で力づくに煙を吹き飛ばそうとする。しかし敵兵の動きが、また″異変″した。煙の先から、兵士達がこちらに走破してくる。
「守勢」を保っていた敵兵が、「攻勢」に転じた兆候。
発煙弾で撹乱してからの、攻撃。しかしサダムにとってはチャンス。強力な魔法攻撃を浴びせて、この一団を一気に仕留める。
(こいつを、喰らえ…!)
サダムは、強力な炎の波を発生させる。大きな炎の波は、兵士達目掛けて向かっていく。
しかし、煙が晴れた時サダムが目にしたのは、その渾身の一撃が兵士達によって防がれていた光景だった。
なぜなら兵士達は、横一列綺麗に陳列し、全員が姿勢を落として盾を構えていたからだ。
つまり、サダムの渾身の一撃も、″誘発″されたのだ。最初から兵士達は、攻勢に転じるつもりはなく、サダムが攻撃を「出す」よう誘導したのだ。
「くっ…!」
決死の一撃。これも防がれた。魔法を使い過ぎた反動で、いよいよサダムの体力はピークに達する。
巨大な盾を構えた兵士達が、サダムを包囲するように少しずつ距離を詰めてくる。
(ここまでなのか…!)
意識が朦朧としてくる。サダムは、もうこれ以上戦況を打開できない。このまま殺さてしまうのか。
だが、十分だ。もとより死ぬのは怖くない。
なにより、ルークを逃すことは出来た。
(任務は果たしましたよ。)
今ここにはいない、自らの″恩人″たる老人に、サダムは心の中で言葉を放つ。
「…まるで、死ぬのは怖くない。と言うような顔だな。」
デュラン長官が、もはや戦意を無くしているサダムに、ゆるりと歩み寄る。
「…君は、ここで死ぬことはない。償いをしてもらおう。君は″法″によって裁かれなくてはならない。″司法院″は、処刑人ではないのだ。
…君が″死″に値するかどうかは、″大神院″に決めてもらうことにしよう。」
デュランは、あくまで個人的感情は挟まず、自らの″職務″に従事する。殺さずに、捕らえることが出来るならば、司法院としてはそれが最善なのだ。
「殺せば、いいものを…!」
サダムが吐き捨てるように言うが、デュランは穏和な口調で、言葉を返す。
「…君のような自殺志願者は、全てを滅茶苦茶にして、あとはもう死ねばいいと考える。
だが、そのようなことが許されるはずがない。何十人の警備兵を殺し、その魔法の力で森も焼き払ったな…
自らが起こした行動の結果を、考えたことは?
その″罪″を、受け入れ後悔する時間が、君には必要なんだよ。」
サダムの放った魔法の影響で、森は火災の様相を呈していた。煌々と燃え盛り、その炎は次第に拡大して、隣接する木木を侵食していく。デュランは部下に命じて、負傷者の手当てをさせる。
「フランソワ。…町にいる魔道士を動員させて、森林火災の鎮火作業に当たらせなさい。これは、司法院長官命令だ。…早くしないと、森が消失してしまう。」
「…デュラン様。ルークはどうします?」
「周辺地域の治安維持部隊に連絡して、大規模な捜索網を出しなさい。…もう既に、騎士団に回収されているかもしれないが。…フランソワ。ミールウォルズの町で、騎士団員の出入りはあったかね?」
「…はい、調べさせましたが。キーラ・ハーヴィーが町に出入りしていたとの報告が。」
「…ほう。ならばルークを護送していたという騎士団のメンバーとは、彼女である可能性が高いな。」
キーラという名前に、フランソワはあからさまに嫌な顔をする。
「キーラ・ハーヴィー、あの女が関わっているとなれば、いろいろと面倒ですね。
捕縛対象が、ルークであるとはいえ。警備隊や治安維持部隊では、報復を恐れて彼女に手出しは出来ないでしょう。
…私も極力、あの″暴れ馬″とは関わりたくはない。」
「…大元は、王女の指示だろう。キーラはシャーロット王女の最側近で、基本的に王女の言うことしか聞かない。
理由は不明だが、ルークという人物が王女にとって重要な存在である、ということだ。」
デュランは、明確な根拠がないながらも、妙な胸騒ぎを覚えていた。
(面倒事を抱え込むと、長生きしない…)
その胸騒ぎは、ルークという人物を起点とした、「良からぬ」予感そのものである。
(されど私達はいつだって、面倒事を抱え込むしかないのだ…)
しかしデュラン長官は全ての職責を受け入れる。
選択の余地など、ないのだから。
ルークはキーラに回収された後、ミールウォルズからの森を抜けて、グレンヴィル達と合流する。
「キーラ様!ルーク殿は無事ですか?」
「見ての通りよ、グレンヴィル。」
グレンヴィルの心配をよそに、キーラは冷静に返答する。しかしルーク自身は、サダムを犠牲にして逃げたことに対する、やはり悲痛な心苦しさを感じでいた。
「ルーク殿、大丈夫ですか…」
ルークの悲痛な面持ちを察して、グレンヴィルがルークに声をかける。
「…サダムさんが、僕を逃すために。一人で…兵士達と戦ったんです。」
ルークの掠れたような声は、彼の悔しさと辛さが滲み出ていた。
「選択の余地はなかったのかもしれない。任務を全うするために…そうすべきだったのかもしれないけど、それでも僕は…サダムさんを見捨てたことに変わりはないんです。」
誰かに許しを乞いたいわけではない。独白することで何かを変えられるわけではない。だからと言って、それを吐き出さずにはいられない。「後悔」の言語化とは、ルークの自省ではなく、自らの心の均衡を保つための、彼の「自己防衛」そのものだった。
「…ルーク殿。あなたは最善の行動をしました。あなたが生きて逃げ延びることこそ、最良の結果なのです。サダムの行動は、とても意味があり価値のあることなのです。彼は職責を全うしたのです。…だからあなたは、自分をどうか責めないでください。」
グレンヴィルの言葉は、「冷淡」を絵に描いたようようなキーラ・ハーヴィーと違い、他者を慮る優しさが含まれていた。
彼は、目の前で悲しみ傷つく人間を、無碍に突き放すような類の人間ではない。
それは、少なくとも今のルークにとっては、救いだった。何よりもグレンヴィルの言葉に内包されているのは、サダムへの「承認」と「尊重」だった。
サダム自身が、自分は騎士団から仲間と思われていないと語ったことの真偽は、少なくともキーラには当てはまるのかもしれないが、グレンヴィルの場合は、必ずしもそのかぎりではない。彼はサダムの犠牲に感傷的になっている風でもないが、少なくともサダムのことを「任務達成のための道具」とは思っていない。「仲間」と呼ぶほど強固な絆の関係ではないが、少なくとも一定の信頼関係が存在していた。そう思えることが、ルークのサダムに対しての悲哀な思いを、少しは和らげた。
「ルーク、無事で良かったよ!」
マーカス・ジョンストンがルークに抱擁する。この数日間、かなり危険な命の″綱渡り″を続けてきた。生きて無事に会える。もうそれだけで価値があることのように思えた。
「ルーク、大丈夫?怪我はしてない?」
メアリー・ヒルはルークの頬に触れ、彼の身体を案じる。ルークからしてみれば、夜通しラスカー先生を看病していたメアリーのことが心配だったが、メアリー・ヒルという人物もまた、そのか細い体からは想像できないようなスタミナと忍耐力を備えている人物だった。
「ありがとうメアリーさん。僕は大丈夫です…」
無論、今は誰一人として弱音を吐いていられるような状況でないのも、事実だが。
「さあ、もたもたはしてられない。もう夜が明けるわよぉ?今からは、休みなしで首都アルベールへ向かう。もうアルベールまで、目と鼻の先なんだから。」
一難去ってまた一難。ミールウォルズの町で司法院長官に出くわすのは完全な予想外だった。元々デュラン長官は、「守護者」の式典に参加するため首都へと向かっていた。その途中停泊地としてミールウォルズに滞在していただけなので、キーラ達はかくも不運に遭遇しているわけなのだ。
キーラ達は、ミールウォルズから西へと進み、ソルディーヌ湖水地方へと出る。
透き通るような美しい湖と、青々しい豊かな緑に囲まれたその地方は、訪れる者に閑閑たる安らぎ与える。
「…美しいところだ。」
マーカスは、湖を擁したソルディーヌの町を一望し、感嘆の声をあげる。シンプルな造りながら、青や橙色、赤や緑など色彩豊かな家々に囲まれた町だ。
「随分と、お洒落な町ですね。」
メアリーも、カラフルな町の景観にやや心が弾んだ。
「ここからは、馬は乗り捨てます。…事前に手配した、魔道士の″移送屋″の手を借ります。」
首都アルベールへ残り僅かという距離ではあったが、それでも馬を駆ってこの複数人で都市部へ入るのは目立ちすぎる。なので、ここからは騎士団が独自に依頼した「運び屋」にアルベール内部まで、移送してもらうことになる。
「…キーラ様、お久ぶりです。今回の積荷は…人間、ですか?」
その運び屋たる魔道士。そこそこ身なりの整った壮年の男が、ルーク達に挨拶する。
「よろしくお願いします、私は魔道士のライアン・ボガートと言います。お見知り置きを。」
「じゃ、頼むわねぇボガート。…ここに来るまでかなり割を食ったけど、もうそろそろアルベールに到着しないと、困るからね」
いよいよ、首都アルベールへと向かう最後の道中だ。
ルークはなんだか、妙な緊張感を感じていた。
それは、自分が司法院に追われているからではない。
シャーロット王女と会う事。それがどのような意味をもたらすのか。
…その期待と、不安。不安のほうが、大きいが…それでも今は、前に進むしかなかった。自分の″真実″に近づくために…
————
——果てしなく広がる草原。
空色は、灰色の怪しい雲に覆われている。
そよぐ風と、緑一杯の草原。その一見穏やかな土地は、人気のない静けさと、陽光一つ刺さない空で覆われていることと相まって、どこか不気味な様相を呈していた。
そんな草原の中に、ぽつんと一軒だけ佇む、小さな小屋があった。
古い木造様式のその小屋の前に、一人の老人の姿がある。老人は小屋の前に立っていた男に、声をかける。
「…では約束通り、彼と面会をさせておくれ。」
老人は男に通され、小屋の中へと入った。
小屋の中は、とても静かだった。灯りもなく薄暗いその室内は、ひどく不気味で、身の毛のよだつような冷たい風が流れていた。まるでその空間だけ世界から″切り離され″たかのような、異質さ。
だがその空間の中に、一人ぽつんと椅子に座っている人影があった。
椅子に座っている人物は、生気が抜けたように脱力し、その全体重を椅子に預けている。まるで年老いた老人のように、動く気力も一切存在しないかのような、その人影…
だがそれは決して老人などではない。
恰幅の良い、若い男だった。
椅子に座っていた男は、部屋の中に入ってきた老人の姿に気づき、少しばかり生気を取り戻したように、老人に声をかける。
「ああ、お待ちしておりましたよ…」
その若い男の声は、少しばかり上擦ってはいたが、随分と憔悴しているようだった。まるで、生きる意思を失くした人間が、必死に声を絞り出すような、辛さ。
「…会うのは初めてになるな。…気分は、どうだね?」
老人は若い男に尋ねる。
「…いえ、何も変わりありませんよ。
ここでは毎日が同じです。
外に出ることも出来ないので、毎日窓から景色を眺めるんですよ。
そして、いろいろと考えるのです。
″自分のしたこと″は、正しかったのだろうか?とね…」
そう言いながら、若い男は窓から外の景色を見やった。外の景色は、相変わらず薄暗く、暗澹としている。
「…後悔、しているのか?」
老人が、その男に尋ねる。
「…いえ、そうではありません。
ただ、ずっと考えているんです。もし…もし過去に戻ることが出来るなら、自分はどうしていただろうかと?違う選択肢もあったんじゃないか?と…」
「…それは、後悔している、ということだ。自分のした行いを本心から″正しい″と思っているなら、君は思い悩む必要など、ないはずだからだ。
だが君は、苦悩している。
本当は″ああすべきじゃなかった″と、心のどこかで思っているのだ。
違うかね?スヴェン・ディアドールよ…」
老人が語りかけた、椅子に座っている若い男。それは、ルークの親友。
魔法学校時代に苦楽を共にした、かけがえのない友であり、ルークの″命の恩人″でもある少年。
「…たしかに、そうかもしれない。
だって俺は、もう二度と魔法を使うことが出来ないから…
ずっと、魔道士になるのが夢だった…
ルークを助けたことで、俺は法を犯したんで
す。だからもう…魔道士にはなれない…
家族にも迷惑をかけた…親父は仕事をクビになり、お袋とは別れた…俺は、犯罪者だから…
でも…でも……親友を助けることが出来たんなら…それでも俺は、良いって思います。
自分のしたことは、″間違い″ではなかったって思えるから…!」
「ならば、なぜ君は苦しんでいる?」
「それは……」
スヴェンの悲痛な叫びを、老人はいとも容易く打ち砕く。その、欺瞞を。
「後悔していない、と言うのならばなぜ…君がそこまで苦しむ必要があるのだ?」
「…でも、親友を… 親友を、助ける。
…それは、当たり前のこと、でしょう…?」
スヴェンが必死に絞り出した言葉に対し、やはり老人は冷冷たる口調で返した。
「…君がルークのことを親友と思っていたとしても、ルークは君のことを、本当に親友と思っているのかね?」
「……………!!」
老人の言葉に…スヴェンはまるで傷を抉られるような、苦しさを感じた。
「君がそこまでの犠牲を払って、ルークは君に何をした?ルークは君に面会に来たかね?
ルークから手紙は?
…君のルークに対する思いと、ルークの君に対する思いとは、果たして釣り合うものなのかどうか…」
スヴェンは必死に、老人の言葉を取り消そうとする。
「3年間、ずっと一緒だった…… 俺とルークは…かけがえのない友です…!友情に、嘘偽りはありません…!」
「…では、それをどうやって証明するのだ?」
証明…?
「友情に、証明なんて……」
言葉を詰まらせるスヴェン。
「いや、必要だよ。人の心など、誰にもわからないからな。ルークが君と仲良くしていたのは、都合が良かったからではないか?
学校というものは特殊な環境だ。″孤独″を避けるために、誰かとつるむ必要がある。君はそのための、″道具″にされていた可能性は?」
「そ、そんなの…」
「君がルークと過ごした時間は、たかだか3年ではないか。その3年間で築けた絆とやらを、どうやって証明する?
永遠の友情など、そうそう存在しないものだ。
人は新たな環境で、新たな人間関係を作り、
″過去″のことなど忘れるのだ。
スヴェン…君はもう、ルークにとって″過去″の人間でしかないのではないか?」
老人の言葉が、スヴェンの胸の中をじわじわと侵食していく。老人の言葉を否定するために、彼は必死にルークとの思い出の記憶を掘り起こす。
自分は、ルークと親友だ。
魔法学校時代、毎日一緒だった。寮でも生活を共にし、授業の時も一緒だった。共に苦難を乗り越えて、切磋琢磨し、お互いを励まし合い…
いや、ルークのほうが、優秀だった。
いつも、彼は優秀だった。
ルークはいつも、出来損ないの生徒だった俺のことを励ましてくれた。
でも、俺がルークを励ましたことはなかった。
本当はそれが辛かった。
辛い、って思わないようにしていた。
だって、″劣等感″を意識してしまえば、″友情″は破綻する。
だけど…
それでもルークは、俺にとって大切な…
「…あなたに、何がわかるというのです?
ゲーデリッツ長官」
「…君が嘘をついているからだ。ルークと同じだよ。」
そう告げられたスヴェンは、僅かに驚いたような顔を見せる。
「ルークと、同じ…?」
「そうだ。私はルークと会って、彼と話をしたのだ。
君とルークは似ている。
己に嘘をつき、その時その時で言葉を
″つぎはぎ″して、自分の本音から逃げている。
怖いからだ。自分の本心を知ってしまうことが。
君が狼狽し、今必死に言葉を″つぎはぎ″しようと焦っているのが、その証拠だ。
スヴェン…君自身が疑っているのではないのか?ルークとの友情を…」
それは、遠からず近からず。スヴェンの心の奥底に潜んでいたもの。だからこそ、とうとうスヴェンは、逃げられなくなった。
「…スヴェン。自分に正直になって、全てを吐き出しなさい。これ以上″逃げ″続ければ、君は永久に自己欺瞞の渦から抜け出せなくなる…」
それは、誘うようなゲーデリッツの甘言。
「…ルークは、魔法学校ではいつも優秀だった。俺は…俺は心のどこかで、そんなルークのことを妬ましく思っていたのかもしれません。」
「ならば、それこそが君の本心ではないか…
″ルークを越えたい″、ということだ。」
それは、スヴェンにとって全てではない。
全てではないが、心の一部。
その一部を肥大化させたら、それは心を覆い尽くして、悪魔の如く心に巣食い続けるのだ。ルークの″友情″に僅かな疑問符を持ったスヴェンの心の、その「空いた僅かな隙間」に、その「一部」が入り込んできた。
その「一部」とは、魔法使いとしてルークを越えたい、という願い。だがその「悪魔」は、次第に侵食を広げていく。この時のスヴェンは、まだそのことには気づいていなかったが。
「友情を証明することは出来ないが…
″力″を証明することなら出来る…それは至極単純なこと。君は、自分がルークより優れた魔法使いであると、証明することは可能なのだよ。」
「たしかに、魔法使いとしてルークを越えたい…それはあります。でも、俺はもう罪人で、魔法を使えない身だ…」
「法の下では、な…」
ゲーデリッツの言葉の意味が、スヴェンには分からなかったが、それはとても不吉な語気を孕んでいた。
「…スヴェンよ。よくぞ本音を話してくれた。私は、お前を責めようとしていたのではない。お前自身が楽になってほしかった。そのために、本音を吐き出してほしかったのだ。」
「…ありがとうございます、長官。俺も少しですが、自分の心に向き合って、良かったと思います…そうだ。逃げ続けるから、苦しくなっていくんですよ、ね…?」
ゲーデリッツは笑顔で頷く。
「…長官。本来なら俺は、″魔法抑止法″に違反した罪で、監獄に入っていた身です。
長官の口添えがあったから、俺は監獄行きにはならず、この地での100日の監視、という処分だけで済んでいる。
…なぜです?なぜ一介の魔法学校生でしかなかった俺に、魔法院長官たる貴方が、そこまでしてくれるのですか?」
ゲーデリッツはほんの僅かに笑みを滲ませながら、スヴェンに答える。
「私は魔法院長官という要職を務めてはいるが、″一人一人″を救いたいのだ。
君のような、″可能性″のある若者の芽を潰したくはないのだ。
老人がすべきことは、若者に未来を与えることだ。
スヴェン…君には無限の可能性が広がっている。絶望することはない…
私が力になろう…」
絶望の淵にいたスヴェンにとって、長官の言葉は、ある種の光明のように思えた。
「ありがとうございます…俺なんかの、ために……」
「君なんか、ではない。
″君だからこそ″なのだ。
だからスヴェン。もし私が困った時は、お前の力を私に貸してほしい…」
「はい…力になります」
ルークへの疑念を抱きつつ、それでもまだ、スヴェンはルークの友情を信じていた。信じていたが…その信じる心に、″隙間″が生じた。その隙間に入り込んだ″毒″…
それは次第に、心そのものを深く侵していく。
それは、無意識のうちに。
「…雨が、降ってきたな」
窓の外には、水滴がぽたぽたと落ちだす。
それはやがて土砂降りとなり、スヴェンとゲーデリッツのいた小屋に激しい豪雨を降らせる。
雨はすぐに止んだ。
でもやはり、空は晴れなかった。
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