第21話 命の価値は
マーカス・ジョンストンは、ミールウォルズの美術館を出た後、宿への帰路についていた。
しかし、どうにも町中は不穏だった。
なぜなら、銃を携えた町の警備兵達が大勢、町中を歩哨していたからだ。
(一体いつの間に…)
美術館に入る前は警備兵など見えなかったのに、この様相は一体何事か、とマーカスは思う。だが彼の胸の中で悪い予感が渦巻いていた。
(まさか、ルークを探している…?)
国境地域を通ってから西進、首都を目指すという騎士団達の計画。ルークの存在を大神院や司法院に見つからないようにするための案だったが、その成功の可否は、魔法学校の「誰か」が、司法院にルーク移送の計画を漏らしていない、という前提があって成立するものだ。
(ルークが危険かもしれない…早く戻らないと…)
ルークには騎士団達がついているとはいえ、「司法院」が絡んでいるとなれば、事態は非常にややこしい。騎士団といえども、この国における「法」の執行機関たる司法院に、迂闊に手は出せない。
だからこそ騎士団達は、「ある程度」の無茶が出来た国境地域のルートを好んだのだ。司法院の監視の目が届きにくいが故に。
そして今、ルークに危機が迫る。
「…ルークさん、まずいことになってますね。」
魔道士のサダムが宿の部屋に戻ってきた時、彼は外の状況をルークに伝える。
「…何が、あったのです?」
「…町の警備隊がこの旅亭に押しかけてきてるのです。」
「…まさか、僕目当てで?」
司法院の目を掻い潜って首都アルベールへと向かう計画。しかしそれは、レンバルト魔法学校からの″密告者″の存在によって、窮地に晒されていた。
「…ルークさん。もしあなたの″黒き魔法″の存在が司法院に知れ渡っているのなら、この町の警備隊は司法院の指示で動いているのかもしれません。つまり、あなたがここにいることがばれている…」
「…でも、宿の台帳には偽名を記載しています。僕がルーク・パーシヴァルであるという証拠はないはず…」
「…たしかに。いくら密告があったとしても、あなたの外見的特徴だけで、あなたをルーク・パーシヴァルと断定することは出来ないはず…
であるならば…連中には、あなたがルークであるという何らかの確信があるのかもしれません。
…ルークさん。あなたはひょっとして、この宿で司法院の人間に知らず知らずのうちに顔を合わせたのではないのですか?」
「…それは…」
ルークには、一つだけ心当たりがあった。
宿の廊下で接触した、燕尾服を着た紳士…
「…何か心当たりがあるようですね、ルークさん。」
まさか、あの一瞬で自分の正体がばれた?
そうは俄かに信じ難いが、いずれにせよ、今ここで捕まれば、今までの苦労が水の泡だ。
「…ルークさん。キーラ様からは、警備が厳しくなる前に、早々にこの町から脱出せよとの命令です。国境地域とは異なり、ここではあまり騒ぎは起こせません。つまり、キーラ様達もあまり目立つわけにはいかないということです。
私があなたを護衛します。」
「騎士団とは、合流しないのですか?」
「…今の状況下では、極力目立つことは避けるべきでしょう。司法院が動いているとなれば、なおさら。
騎士団とは町を出た後に合流する算段です。無論、無事に町を出れたら、の話ですが…」
「ラスカー先生やマーカスおじさん…メアリーさん達は…?」
「彼らは騎士団とともに町を出ます。」
国境付近では散々戦闘に巻き込まれていたので感覚が麻痺していたが、国境地帯を離れると、騎士団とて慎重に動かねばならないようだった。もちろん、司法院にルークの存在を気付かれることなく、首都アルベールまで到着出来たら、それが最良だったのだが。
「ルークさん、私についてきてください。警備隊に見つからないように、この町から脱出しましょう。」
そう言った後、サダム達のいる部屋にノックが入る。
「ミールウォルズ警備隊の者だ。ここを開けなさい。」
「…来ましたね。ルークさん、早くここから出ましょう。警備隊に捕まる前に」
サダムはそう言うと、部屋の窓から外の様子を伺う。
「警備兵が3名いますね…彼らとの戦闘も避けたい。ルークさん、兵士に気づかれないよう、屋根伝いに脱出します。」
サダムは窓を開け、屋根へと飛び乗るために、力を溜める。足の裏に電気を発生させ、そのエネルギーの作用で高く跳躍。屋根へと飛び移る。えらく身軽にやってのけたが、魔法のなせる能力そのものだ。
「ルークさん、一緒にきてください。」
ルークはサダムがやったような、身体の「動的」運動を補助するような魔法の使い方は得意ではない。どちらかといえば、魔法を器用に「操作」するほうが得意だ。
ルークはサダムとは違う方法で、屋根へと移る。彼は人間大サイズはある「水」の球体を発生させ、自らその中に入り込む。水の球体は、シャボン玉のように、屋根上へと上昇する。屋根上へ到達すると、水の球体は弾けて、球体の中に入っていたルークは、屋根へと降り立った。
サダムと比べてひどく不恰好な方法だが、魔法使いには、それぞれの得手不得手や、やり方というものがある。
「さあ、急ぎましょう」
「…デュラン様、ルーク・パーシヴァルの行方は依然不明です。
…貴方が顔を合わせたという少年が、本当にルークだという保証はありません。
第一、″禁じられた魔法″を使うような重罪人が、この平和な町に潜伏するでしょうか?」
司法院長官のデュランは、町の警備隊と付近の治安維持部隊を総動員し、ルーク・パーシヴァルの捜索に当たらせていた。
しかし問題は、誰もルークの顔を知らないことだ。金髪で青い瞳という以外に、明瞭な情報は少ない。
「フランソワ。私はありとあらゆる罪人をこの目で見てきた。たしかに、宿で会ったあの少年が、渦中のルーク・パーシヴァルであるという保証はない。私の直感でしかない。
だが時には…″直感″が全てを左右することもあるのだよ…」
デュランだけは、違っていた。彼だけは、ルークと直接顔を合わせている。もちろんその時点では———デュランはルークのことなど何も知らない。
彼はレンバルト魔法学校″関係者″からの密告書を受け取った時はじめて、ルークという「罪人」の存在を知ったのだから。しかし、その何気なく顔を合わせた″一瞬″で、デュランはあの少年がルーク・パーシヴァルであると半ば確信していた。
それはひとえに、ルークが醸し出す″異質″で″焦燥″的な雰囲気が、彼を″最たる怪しい人間″であると確信する、デュラン長官の直感そのものだった。そしてその直感は、紛れもなく当たっていた。
「…警備兵達がルークを見つけ出すことなど期待してはいない。兵士達には…ルークを焦らせて、彼をあぶり出してもらえればいい。ルークに逃げ道を与え…我々は、その逃げ道の″出口″で、彼を迎えればいいのだ。」
ルークは、誘い込まれる。その罠にも気付かずに。
「…どこもかしこも、警備兵だらけですね。」
宿を離れた後サダム達は、町中を巡回する兵士隊に見つからないように、町の出口を目指す。サダムとルークは、建物の影に隠れて裏路地から町中を移動していく。
「…駄目ですね。西側のゲートは封鎖されています。」
しかし、町から出ようにも四方に警備兵が常駐しているため、見つからずに逃げ出すことは、極めて困難を極めた。警備兵の一団を見やると、兵士達に指示を出している黒服の男がいる。胸にはエストリア王国の紋章が飾られており、その黒服の男達は、警備兵とは明らかに異なる位の人物に思える。
「…あの黒服の男達。警備兵とは違いますね。」
「彼らは、司法院の″検事官″ですよ、ルークさん。法の執行機関たる司法院には、あらゆる役職がありますが…検事官達は通常、罪人の罪の証拠を集めて、裁判所に起訴するのが仕事です。しかし彼らは、必要に応じて警備隊や治安維持部隊に命令を下すこともできる。絶大な権限を有しているのです。」
騎士団達が、司法院を警戒するのも無理からぬことだった。王室直属の精鋭部隊たる騎士団といえど、法を逸脱すれば「司法院」の手にかかって囚われる。それは、あの暴虐なキーラ・ハーヴィー副騎士団長とて例外ではない。無論彼女も、決して馬鹿ではないので、「暴れていい時」と「そうすべきでない時」の分別はつけているということだ。
「ルークさん、司法院の人間には極力手を出さないでください。警備隊兵士に攻撃するのと、司法院の者を攻撃するのとでは、罪の重さが全く違いますから。」
サダムがルークに釘を刺す。
「…兵士100人を殺すのと、司法院の人間1人を殺すのとでは…司法院の者を殺すほうが遥かに罪が重いのです。」
「そんな滅茶苦茶な…彼らは同じ人間ですよ、サダムさん?兵士100人の命が、司法院の人間1人と等価値だと言うのですか?」
「…人の命に優越はない。たしかに、それが理想の社会です。だが現実はそうなってはいない。人の命には、″優越″があるのです。この世界は平等ではありません。」
そう淡々と語るサダムに、ルークは胸の奥に不快な絞扼を覚える。
ルークはもはや「人殺し」だ。国境付近で難民達を殺した。それは、自分とラスカー先生を守るための正当防衛であったが、ルークもたしかに人の命に「優越」をつけていたからだ。
…自分の大切な人間を守るためならば、彼は10人でも、20人でも殺したかもしれない。ルークにとって「大切な人間」は、他の人間とは等価値ではない。その自覚がルークにあったからこそ、彼はサダムの言葉にこれ以上反抗することが出来なかった。
「ルークさん、あなたもそうですよ。あなたは特別な人間です。シャーロット王女が呼び寄せるほどの人物ですから、きっとそうなのでしょう…
…私とは、違います。
私の命には、たいした価値はありません。」
「そんなこと言わないでください、サダムさん…」
サダムの言葉は、自らの卑下でも皮肉でもなく、彼の本心そのものだろう。サダムのそんな言葉が、あまりに悲しく、自己犠牲的な色を帯びていたように、ルークには感じられた。
「だから私は、あなたを生かすために、最後まで役割を全うしますよ、ルークさん。」
サダムはふと、魔法学校時代のことを思い出す。
(魔法使いなんてものには、ろくなやつがいない。魔法の力を使って、この国に災厄を起こすつもりなんだろう?テロリスト予備軍め。)
魔道士になって、魔法の力を社会の役に立てたい。そう思っていた矢先に、自分の元に届いた手紙。
ある時は、家に放火もされた。家に戻った時には、既に火の手があがっていた。咄嗟の判断で、水術魔法で消火したが、その後「魔道士の資格もないのに魔法を使ったのは、″魔法抑止法″に違反します」という理由で住民から陳情が学校側に寄せられたらしい。
放火した人間が一番悪いのに、なぜか自分は「魔法抑止法」に違反したからという理由で、休学処分になった。
それ以外にも、多くの理不尽や脅迫、嫌がらせがあった。だからと言って、その苦しみを吐露する人間もいなければ、場所もなかった。あの頃はまだ、魔法学校に対する風当たりも強かった。今現在は、あの頃に比べたら大分ましになっていると、多くの魔法使いは言う。
でもサダムには、そんなことは信じられなかった。魔法使いを嫌悪している人間は大勢いる。
それは特に、保守的な地方地域で顕著だ。人種の多様性に寛容な都市部だって例外ではない。
表立って「魔法使い嫌い」を口にする人間は少なくなったが、口にするかしないかの違いでしかない。もし「魔法使い」を攻撃できる口実があれば、人々の「抑え込まれた嫌悪感情」は一気に爆発するのだろう。それこそが、いつ暴発するかわからない危うさを抱えたエストリア社会の現実だろうと、サダムは考えている。
変えられることは何もない。変わらないものは変わらない。ならば自分は、自分の信じられるものに従うまでだ。
(ルークさん、あなたも…自分の信じるもののために、戦ってくださいね。)
サダム達は警備兵の監視や捜索を抜けられるルートを探すが、どこもかしも兵士だらけの状態であった。
「…西も東のゲートも、封鎖されている…」
町の外で騎士団と合流する手筈になっているが、肝心の町から抜け出せない状態だった。
サダムは考える。
(南のルートも、広場を通らなければならないから、人目につきすぎて危険だ…あとはもう、北側のルートのみ…)
消去法的にサダムは、町の北側を目指した。公道のゲートは兵士達に封鎖されているため、残された手段としては、警備の手薄そうなところから脱出することのみ。
…幸いにも、町の北側は警備兵達の歩哨が少なく、そのルートを通っての脱出が最善であると、サダムは判断する。
「…ルークさん。北側から、この町を出ます。一気に突っ切りますから、ついてきてください。」
サダム達は、建物や障害物の影に隠れながら巧妙に、巡回する兵達の目を躱していった。
町の最端にたどり着いたが、そこには町を囲う4〜5メートルほどはあろうかという外壁があった。町から出るには、ここを乗り越えなければならない。
「ここを乗り越えますよ。」
「でも、この高さはさすがに…」
ルークが自信なさげに言うより早く、サダムが先程やった動きと同様に、足裏に電気を発生させ、高く跳躍し、外壁の上へと跳び乗った。
「ルークさんも、魔法を使ってここを乗り越えることが出来るはずです。」
サダムと同様の魔法の使い方が出来ないルークは、氷術魔法を利用した、無数の氷柱を発生させる。氷柱は一本ずつ壁に突き刺さり、それは「氷柱の階段」を作り出した。サダムのように、雷術魔法を利用して「ひとっ跳び」出来ればよかったが、ルークにはそれが出来ないため、半ば強引とも言えるやり方となった。
ルークは氷柱の階段を登り、外壁のてっぺんへと到達する。
「では、下へ降りましょう」
「サダムさん。この高さから飛び降りたら危険です。」
ルークはそう言うと、地面付近に水の円状物を出現させる。
「あそこに飛び降りてください。飛び降りた衝撃を吸収してくれます。」
サダムとルークは、水術魔法で発生させた、水の「クッション」へと飛び降りる。そのおかげで、4〜5メートルはある壁から飛び降りても、いっさいの衝撃を受けなかった。
「さあ、警備隊がやってくる前に、急いでここから離れましょう。」
北端から、町からの脱出に成功したサダムとルーク。町の北側は広大な森林地帯だった。時間はすっかり深夜となっているので、視界は悪かったが、逆に言えば敵からも見つかりにくくて好都合ではある。
「ルークさん…」
改まった調子で、再度サダムはルークに声をかける。
「なんですか?サダムさん。」
「…もし、私が敵に捕まったとしても、構わずに逃げてくださいね。あなたは、首都へと辿りつかなければならないのですから…」
「そんな…仲間を見捨てるなんてこと…」
ルークが懊悩とした表情を浮かべる。
「ふふっ…私のことを、仲間だと言ってくれるのですか?ルークさん。
そんな言葉…騎士団から一度も言われたことないのに…」
サダムは僅かに笑みを浮かべる。それは、喜びの笑みなのか、皮肉の笑みなのか、ルークにはわからなかったが。
「口には出さなくても…騎士団だって、サダムさんのこと、仲間だと思ってますよ、きっと…
だって、キーラ・ハーヴィー副騎士団長は、あんなにサダムさんのこと可愛がってたじゃないですか…」
「…ルークさん。キーラ様は、私のことを本心から仲間だとは思っていません。
ウッズ様やグレンヴィル様だってそう。
私は騎士団の一員でもない、ただの″魔道士″です。そんな人間を心から仲間だと思っている騎士団のメンバーなどいません。私は所詮、彼らの″仕事仲間″でしかないのです。
そこには個人的感情は一切入らない。だから、私が死んでも、彼らは悲しまない。」
サダムの言葉は、現実を見据えた強さと、ほんの僅かな″寂しさ″が垣間見えた。
その微細な感情を、ルークは読み取ることが出来た。だからこそルークは、そのサダムの寂しさに、応えたかった。
応えなければならないと思い、自然と言葉が出てきたのだ。
「だったら…僕が、サダムさんの仲間になります。」
ルークの唐突な言葉に、サダムは呆気に取られた。
「ふふっ。ルークさん、あなたは面白い人ですね。いいんですよ、気をつかってくれなくても。
仲間なんてのは、作ろうと思って作れるものではないのです。その人間に危機が迫った時、自らの危険を犯してまで、その人を助けたいと思えるか。
″心の底から″その人を救いたいと思えるか。それが″仲間″というものです。ルークさんには、本当の仲間が…大切な人間がいるはずです。
それは、私などではない。」
それは拒絶、というよりも、ある意味では真理だった。人の絆とは、そう簡単に安売りするものではないし、そうあるべきでもない。
「…サダムさんには、大切な人がいるんですか?」
我ながらおこがましい質問だと、ルークは思った。
サダムは魔法学校時代に、ひどい嫌がらせや脅迫を受けたと聞いた。その経験こそ、この青年の人間不信につながっているのかもしれない。だからこそ、どこか希望に縋りたかったのかもしれない。この青年にも、大切なモノがあるはずだ、と。
「大切な人……
定義は異なるかもしれませんが、″尽くすべき″人間ならいます。私を絶望の淵から救い出し、導いてくれた、我が″師″です。彼は魔法使いではないただの人間ですが…
もし、私が誰かのためにこの身を捧げるのだとすれば、″彼″以外には考えられません。」
サダムはそう言いながら、一人の老人の姿を思い浮かべる。
(サダムよ…この世界には、人の痛みや苦しみを何とも思わない人間がたくさん蔓延っておる…)
その老人の声言葉は、どこか耽溺の念を覚えるような、不思議な力があった。
(たとえ全ての人間が、お前を苦しめても…お前のことを嘲笑っても…私だけは、死ぬまでお前の味方だ…)
その老人は、自分のことを認めてくれた。魔法使いとしての自分を信じられなくなり、他人も信じられずにいた。そうやって自暴自棄になっていた自分を、彼は優しく受け入れてくれた。
(お前の苦しみや喜び…失敗も…全てはお前を形作るピースの一つだ。だから、自分のことを恥じてはいけないよ。
サダム・イブラヒムという人間は、これから始まるのだ。
サダム…お前の人生はこれからなのだ。他人にどう言われたかは問題ではない。
お前自身がどうしたいか。
それこそが、お前の人生を決めていくのだ…)
その老人の存在こそ、サダムの力となった。
彼の期待に応えたい。
何も信じられなかった自分を、信じてくれた人間。そしてサダム自身が唯一、信じている人間。
サダムは、暖かな気持ちでやはり笑いながら、ルークに言う。
「今は、任務を全うします。
ルークさん、あなたを最後まで守りますよ。」
ルークとサダムは、必死に走って森を駆け抜ける。とにかく今は、町から極力離れなければならない。
しかし、警備の厳重だった町中と比べて、森の静けさは嫌に不気味だった。
(なんだか、妙ですね…)
サダムが脱出ルートを確保する途上——町のゲートが封鎖されていたとは言え、北区だけは妙に警備が手薄だった。
(偶然か…いや、まさか…)
サダムがそう思ったのも束の間——
突然、サダムとルークの周囲に煙が発生した。
「これは!?」
「まずい…発煙弾ですルークさん!煙を吸い込まないようにしてください!!」
周囲一面に発生した煙で、ルークは咳き込み、視界を奪われる。
(…罠か……!)
自分達は、退路を確保できたのではない。誘い込まれていたのだ。そのために、北区の警備を「わざと」手薄にされていた。
自分達が、そのルートを通らざるを得ないような状況にするために。
気づいた時には遅かった。
煙が晴れるとルーク達の周囲は、無数の警備隊兵士達によって包囲されていた。
(囲まれた…!)
「うまく罠にかかってくれたようで、助かったよ…」
警備隊達の奥から、男が歩いてきた。
その男は、見立ての良い燕尾服を着た、長身の男。
サダムは冷や汗をかきながら、男の姿を見て呟いた。
「ロベール・ド・デュラン……」
「法」の執行機関、「司法院」の長官。
「デュラン?」
「…司法院の長官ですよ、ルークさん…まさか、この町にいたなんて……」
サダムは思わぬ大物の登場に、焦燥の色を隠さなかった。
「君は、ルーク・パーシヴァル君、だね?町の宿で一度顔を合わせたね。君は覚えているかどうかわからないが…私は、覚えているよ」
デュランの顔を直視したルークは、たしかに町の宿でこの男と面識があったことを、思い出す。
「あなたは…あの時の……!」
「覚えていてくれて光栄だよ、ルーク君。」
デュランは、まるで緊張感のない朗らかな様子で、ルークに言葉を返す。
「…デュラン長官。…人違い、ですよ。彼はルークなどという人物ではない。」
サダムは、往生際悪くデュランに嘘を吐いた。
「…ではなぜ、夜中にこんな森の中を走っていたのかな?何かから逃げるように。」
デュランはたしかに、ルークの顔を知っていたわけではなかった。だが偽名を使っている「お尋ね者」をあぶり出す方法はいくつかある。あえて町に警備隊を動員させて、まず「お尋ね者」を焦らせる。
焦った「お尋ね者」は、どうにかして町から脱出する。「罪人」でもなければ、焦って町から出る必要などないからだ。そして、町から出て必死に逃げてきた者を、後は捕らえるだけでいい。
「…私達を、まんまと罠にはめたわけか。」
サダムが舌打ちした。
「…密閉空間にいるネズミを駆除する方法を知っているかね?
…中に火を放つんだ。ネズミは慌てふためいて、必死に逃げ道を探そうとする。そこで我々はあえて″出口″を作っておくんだ。
ネズミが逃げ出せるような出口を。
まんまと罠にかかったネズミは、我々の作った出口から姿を見せる。そこを捕らえればいい。
…実に簡単なことだ。君達が、ネズミのように単純で、助かったよ。」
嘲るようなデュランの言葉に、サダムは語気強く言い返す。
「…私達は、ネズミじゃないかもしれないぞ?もっと凶暴な生き物だったら、どうする?」
「それは結構なことだ。だが君達はどこまでいっても、ネズミでしかない。″犯罪者″なんてものは所詮、ネズミだよ。こそこそと逃げ回って、人々に″疫病″を広めるんだ。
…そんな人間達は、さっさと捕まえなくてはならん。」
警備隊兵士が、ルーク達に銃を構える。
「…さあ、観念して投降しなさい。…お互い無駄な血は、流したくはないだろう?」
デュランの呼びかけにしかし、サダムは動じずに、ルークに声をかける。
「…ルークさん。ここは私が引き受けます。あなたは、どうか逃げてください。」
「…そんな、僕一人で逃げるなんて…!」
「…今ならまだ間に合う。首都アルベールへ行って、王女に保護してもらってください」
「でも、サダムさんはどうするんです?…あなた1人で警備隊と戦うつもりですか!?」
サダムは少しばかりほくそ笑み、不敵な様相でルークに言葉を返す。
「…ルークさん、さっき言ったことを覚えていますか?″司法院″の人間1人の命は、兵士100人の命より価値がある、と…」
「何を言って…?」
「…今眼前にいるのは、″法の執行機関″である″司法院″のトップたる長官です。…彼の命の価値は、100人、などという比ではありません。
…そんな大物相手に抵抗しようというのですから、それはとても罪深く荷が重いことです…もし彼を殺したりなんかすれば、歴史に名が残りますよ…」
それは、サダムの悲しき自己犠牲だった。彼は、自らが捕らわれても…最悪の場合命を落としても、自らの任務を全うするつもりだった。だからこそサダムは、ルークに懇願した。
「″司法院の幹部に手を出す″という大罪を犯すのは私1人で十分。
お願いですルークさん。私の役目を果たさせてください。私のことなんて気にすることはない。
…どうせ安い命ですから。
…あなたには、役割があるはずです。」
役割?
僕に一体何の役割があるというのだろう。シャーロット王女がなぜ僕と会いたがっているのか、その理由もわからないのに。ただ流されるままに、ゲーデリッツ長官に言われてアルベールを目指しているんじゃないか。
…いや、僕はまた言い訳を作ろうとしている。僕は決意したはずだ。自分の″力″の正体を知るために、王女と会うことが手掛かりになるかもしれない、と。誰かに強要されたからじゃない。僕は、僕自身の″意思″で王女に会いに行くんだ。
そしてサダムは今、自らの全てを投げ打って、僕の″進む道″を切り開こうとしてくれているのだ。
…だけど、サダムの進む道はどうなのか?
彼を見捨てて僕一人が逃げて、僕は耐えられるのか?もしそれで彼が死んだりすれば、僕はきっと正気じゃいられない。…それ以上に、仲間を見捨てて一人「逃げた自分」を許せるのか?
ルークの惑いを見透かしたかのように、サダムは、優しくルークに言葉をかける。
「…ルークさん。これはね、仕事なんですよ。私は、あなたの仲間ではありません。
だから余計な感情は一切不要…そんなものは、迷惑なだけです。
いいですか?これは″仕事″なんです」
仕事…。
その言葉で、割り切れというのだろうか?しかしサダム自身が、自らの放った言葉に、ひどく辛酸な気持ちになっていた。
ルークが安心して自分を″見捨てる″ことができるようにかけたはずの言葉に、他でもない自分自身が、
″傷ついて″しまっていたのだ。
「でもねルークさん。私は、少しだけ嬉しかったんです」
だからこそサダムは、本心からの言葉を…最後になるかもしれない言葉を、ルークにかけた。
「たとえお世辞でも、私のことを仲間だと言ってくれて…」
そう言ったサダムの顔は、とても満足そうで、幸せそうだった。
「さあ、ルークさん。嫌でも、ここから離れてもらいますよ。…でないと、私の魔法に巻き込まれて、あなたも死んでしまう。」
そしてサダムは…もはや躊躇なく、自らの強力な魔法を発動させる。
サダムの周囲に炎の爆発が起こる。その爆発は、これまでサダムが使っていた魔法より遥かに強力なもので、突然の爆発と炎に巻き込まれた警備隊兵士達は、悲鳴をあげる。
サダムは容赦なく連続して魔法の攻撃を加えた。空中に巨大な炎の渦を発生させたかと思えば、その炎の渦が一気に弾けて、無数の「火の雨」を降らして兵士達を焼き尽くす。
ルークは否応にもその場を離れざるを得なかった。サダムに近づくと、自分も巻き添えを喰らってしまう。周囲一体には、魔法攻撃による爆音が響き渡っている。
「サダムさん!!」
ルークの声はしかし、もはやサダムには届かない。
「…正気かね?一人でこの数の警備隊を相手にするつもりか?…それほどまでに、ルーク・パーシヴァルを逃したいのか?」
デュランは、サダムの抵抗に少々驚きを見せるが、あくまで予想の範囲内だ。デュランとしては、出来れば穏便に事を済ませたかったが、実力行使を以って抵抗してくるのならば、こちらももはや容赦する必要はない。
「…お互い、仕事をしましょう、デュラン長官。ルークさんを無事逃すことができたら、我々の勝ちです。…たとえ、私が死んでもね。」
だがデュランにとって懸念すべきことは、サダムの抵抗そのものではなかった。
「死を恐れない」人間の反撃。これほどに厄介なものはないからだ。
「…ルークさん。またいつか、あなたに会いたいですね。今度は″仲間″として。」
サダムの魔法が、炎が、闇夜の森を煌々と照らしていた。
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