第3話 秘密
「…たいしたもんじゃないが、まあ食べなさい」
ジョージおじさんは、ルークとスヴェンに夕食を振る舞ってくれた。焼きたての肉と暖かいスープ。そして蒸したてのパン。芳香な香りが、2人の食欲を引き立てる。
「いただきます。」
「食う前に、まずは祈ろう。これがうちのしきたりだ。」
ジョージは祈りの言葉を述べる。
「この恵みに感謝を。今日という日に生を与えてくれたことに感謝を。そして明日も我に生を与えたまえ。」
しばしの黙祷。ルークとスヴェンには、食事前に祈りを捧げる習慣はなかったが、ジョージに合わせて、彼らも黙祷する。
ルークはともかくスヴェンにとっては、目の前に暖かい食事があるのに、すぐにありつけないことは少々もどかしかった。彼はどちらかというと神にではなく、自分たちにわざわざ食事を振る舞ってくれたジョージおじさんへの感謝を込めて、祈り黙祷する。
そして数十秒の沈黙。この沈黙を破ったのは、ルークだった。…腹の虫によって。
(グゥゥゥ〜……)
「ご、ごめんなさい…!」
「はっはっは!いやすまんね、長い祈りに付き合わせて。では、食べようか。」
季節は冬。もうすぐ春が来るとはいえ、まだまだ風は冷たい。
「炭を切らしてしまってね、暖炉が使えなくて申し訳ない。ちょっと寒いかもしれんが…見てのとおりうちは貧しい。用意できるのは、せめてもの食事くらいだ」
確かに屋内とはいえ、ジョージの家はオンボロで隙間風も強い。でもルークとスヴェンにとって、そんなことは気にならない。ジョージが振る舞ってくれた食事の暖かさと美味しさで、彼らの心は幸福感に満たされる。
おもむろにジョージが立ち上がり、台所の奥に向かう。しばらくすると彼は瓶を片手に2人の元へ戻ってくる。
「それは…?」
「これは昔、嫁さんのために買ったワインだ。うちの嫁さん、えらく酒豪でな。まあしかし、こいつを開けることはなかったわけだ。
…突然死さ。
心臓発作というやつか…酒ばっか飲んでたから、きっと体も限界に来てたのかもしれんな…」
ジョージはそう言うと、ワインの蓋を開ける。
「今日は久しぶりの客人だ。だから、俺も飲むよ…でなけりゃ、いつまで経っても開けることなんて出来なかったからな。」
ジョージは自分のカップにワインを注ぐ。
「君も飲むか?」
ルークは酒を飲まない。しかしスヴェンは違っていた。
「いただきます」。
それからは、長く楽しい夜だった。ジョージさんとはいろんな話をした。人生についてとか、恋愛についてとか、宗教の話とかいろいろ。
「本当にありがとうございますジョージさん。こんな美味しい食事を用意してくれて…僕らは何の手伝いも出来てないのに。この恩はなんらかの形で…」
「いいんだよ。
言ったろう。君らは客人で、この俺なんかの話相手になってくれてる。それだけでじゅうぶんさ。」
そう言うとジョージさんは、ルークの頭を撫でる。ルーク達はジョージのことを、今日会ったばかりなのに、まるで長年付き合っている友人みたいに、思えた。
特にジョージさんと、スヴェンは長く語りつくしていた。相当酔いがまわっているのだろう。
「俺の心は妻とともにある。妻の魂は、この地に眠っている。だから俺は、この土地を離れるつもりはないよ。」
ジョージさんのこの言葉が、ルークの心に印象深く残っていた。
…しかしそれはなぜか、ルークの胸の中をひどくズキズキとさせていた。まるで小さな針で心臓を突っつかれるかのように。
—次の日。
ルーク達はジョージとともに、彼の妻が眠っている墓へ行った。
「悪いね。わざわざ付き合ってくれて。」
そう言いながらジョージは、妻の墓石に花を添える。
「君らは…大切な人を失ったことはあるか?」
その重々しい声色に、昨日の陽気なジョージおじさんの影はない。この重い問いかけに対し、スヴェンは返答したが、ルークは答えを持ち合わせていなかった。
「俺は、祖父を亡くしました。まだ4歳の頃ですけど…」
スヴェンがそう答えた後、10秒ほどの沈黙を置いて、ジョージが口を開く。
「人はいつ愛する者を失うかわからない。だから、毎日を最後だと思って生きるんだ。明日の平穏を祈りはするが、明日は来ないと考える。そうすれば、今目の前にいる大切な人に、愛してると言うことができる…
…俺は妻を愛している。今でも。
…俺は天国には行けないかもしれないが、神の前でこれだけは言える。妻のことを生涯愛し、それこそが俺の生きた″証″である、とね。」
「生きた、証…」
ルークは胸の中で、その言葉を反芻する。
「そうだ。たとえ人生を間違えても、選択を間違えても、一つだけ変わらなかったと言えるもの。変えなかったものが、自分の中にあるか?それがなければ、人生は空虚そのものだ…」
自分の中の、変わらないモノ。それは何。信念?愛情?理想?目的?
ルークには、「そう」だと言えるかもしれないものが一つだけあった。でも「それ」が、自分の人生にとって本当に大切なものだと言えるのか。そう断言する自信は、やはりルークには持ち合わせていなかった。
「さて今日も仕事はなんもなかった!これは良いことなのか悪いことなのか?まあいいや、とりあえずメシを楽しもう!」
夕食の席。今日は肉がなく、パンとスープのみだった。
「肉は貴重でな。まあパンがあるだけましだと思ってくれ。あとなスヴェン君。酒はもうないんだ。昨日俺らが飲み干しちまったからな」
「あのう、実はこれ…」
ルークは言いながら、傍に置いてあるバッグから、瓶を取り出す。
「ほんとに僕ら、何もしてないから申し訳なくって…でもジョージさんは何もするなって言うし…だからこれ、せめてものお礼です。近くの酒屋で買ってきたんです」
「ワインか…ルーク君、やるじゃねえか!すまねえが今持ち合わせの金がなくて…金が出来たらすぐそのワインの料金返すから、ちょっと待っててほし…」
「いえ、ですから!これはお礼なんで!何も言わずに受け取ってください!」
「そ、そうかい…?」
我ながら、なかなか強情だ。ジョージさんはちょっと困った顔つきになってる。こういうこと、あまりしないほうが良かったかな?でもジョージさん、それからすぐにワイン開けてたから、やっぱり間違いではなかった…のかも?
———そして翌日。
僕らは眠りについていたが、起きた時にジョージさんの姿はなく、置き手紙があった。
(仕事に行ってきます。帰りは夜遅くになります。食べ物は台所にあります。)
これじゃまるで家族みたいだな。と思うのと同時に、僕らはまだ学校の奉仕事業活動中ということを忘れていた。7日間、村の人の仕事を手伝うことが活動課題なので、その間特に学校に戻らなければならないということもないのだが、さすがに何もせず村の人の家に居続けるわけにもいかない。
「ジョージさんの事務所に行こう、スヴェン」
「ああ!」
こんな朝早くから仕事とは。でもジョージさん、ここ最近仕事があまりなかったと言ってたから、むしろ仕事が出来て良かったのかもしれない。
しかし、彼の仕事場にジョージの姿はなかった。
「ほら、ジョージさん運送業って言ってたじゃん?もう仕事にかかってるのかもよ?」
「そう、かもね…」
ルーク達はこのまま何もしないわけにもいかないので、とりあえず担任教師のビアンカ・ラスカーに事情を説明する。
「そうですか…引受人のジョージ・ハース氏が不在ならば、あなたたちは夕刻まで他を手伝ってきなさい」
ルーク達は夕刻まで他の村人たちの仕事の手伝いをした。
「そうかいあんたら、ジョージさんのとこで働いてるんだねぇ。でもあの人、ここ最近結構遠出したりすることも多いから、大変じゃないかい?」
「それは、どういうことですか?」
「さぁねぇ、聞いても教えてくれないし、きっと仕事なんだとは思うんだけどねぇ…でも以前は近隣だけの仕事で、そこまで遠くには行ってなかったし…深く追及するわけにもいかないでしょう?人には人の事情ってもんがあるんだから。」
事情…
村人の言葉に、ルークは妙な不安感を覚えた。人に言えない事情は、聞くべきではない。村人ですらそうなのだから、住民でもないルーク達なら尚更だ。
だが不運なことに——それはジョージにとってという意味だが———ルークもスヴェンも、気になったら、気にせずにはいられない人間達だ。特にルークは。
人には秘密があり、その秘密に過度に立ち入るべきではない。そんな大人たちの暗黙の了解を、まだ若い彼らは、十分に理解しない。
だから、聞いた。単刀直入に。
「どこに行ってたんですか。」
ジョージが帰った後。
まるで浮気している旦那を追及する妻のごとく。ルークの問いかけに、しかしジョージは困惑する様子もなく、まるでその問いかけが来るのを予想していたかのように、定型的なセリフで返す。
「ちょっと厄介な仕事でね。客とトラブルがあったんだ。」
嘘だ。
たぶん厄介な仕事ってのは本当かもしれない。でも、置き手紙に書いてあったじゃないか。
(帰りは夜遅くになります。)
時間のかかる仕事なんだ。それは最初からわかっていたこと。そして、人には言えないような仕事…
「でも…」
ルークが言いかけた時、スヴェンが彼の前に手を出して制止する。もうこれ以上聞くな、という意味だ。どうやらスヴェンのほうが大人だったようだ。あるいは、余計なことには関わりたくないという、スヴェンの本音かもしれない。
その通りだ。家族でもなく、まだ会って二日しか経ってないのに、一体何様のつもりなんだルークよ。
彼は自分自身にそう言い聞かせた。
「ルーク君、スヴェン君。君たちの学校行事を引き受けたのに、君らをほっぽりだして仕事に行ったのは申し訳なく思う。
でもこれは…この言葉だけは嘘偽りのない言葉だが…俺は話相手が欲しかった。孤独を癒やしたかった。だから君らを引き受けたんだ。
…だから、君らが邪魔だなんてことは思わないし、むしろここにいて欲しい。」
この言葉だけは、ジョージの真実だ。だがジョージ自身は迂闊だった。ルーク達は、自分の秘密の仕事を行ううえで、危険要素にはならないと…
「さあルーク君、スヴェン君、メシにしよう。」
朝〜夜まで秘密の仕事を行い、夜は少年たちと楽しいひとときを過ごす。魔法学校の生徒たちは従順だから、自分の(本当の)仕事の領域には踏み込んではこない。それが彼の確信だった。
それは、間違いなのだが。
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