11-2.

 ジョンは誤魔化したくてコウスケ達から顔を背けた。その視線の先で、店の隅に小さな女の子がメアリーを遠巻きに見詰めている姿を発見した。その姿を不思議に思い、彼はその女の子に近付いて行った。


「どうかしたのかい」

 ジョンに突然話し掛けられた女の子は、文字通り飛び上がった。目を丸くして彼を見上げると、

「こ、これ……」

 女の子がジョンに向けて、手を差し出した。そこには花を模した飾りの付いたリボンが握られていた。

 ジョンはチラリと座敷の方を見た。恐らく店主の娘であろう女の子が、メアリーに似合うのではと見繕ったのだろう。ふむ……とジョンは頷いて、

「君から贈ってあげたら、メアリーは喜ぶと思う」

「めありい……?」

 あの子の名前だよ。ジョンは笑いながら、彼女の背を押した。女の子はおずおずとメアリーに向かって行った。


「あの……」

 可愛い、可愛いと褒めちぎられ、赤面しっ放しで何も喋れなくなっていたメアリーは突然、背後から話し掛けられて文字通り飛び上がった。彼女は振り返った先にいた女の子の姿に目を丸くした。

「What’s the matter…?」

「あ……っ」

 女の子は初めて耳にした外国の言葉に、頭の中が真っ白になった。そもそも外の国から来た人間なんて、目にするのは初めてだ。初めてだらけで緊張している中、何を言っているのか分からないとなると、まるで突き飛ばされたかのような衝撃を受けた。


 女の子の今にも泣きそうな表情を見、咄嗟に「マズい……」と焦ったジョンが、飛び込むように座敷へ上がった。

「メアリーに贈りたい物があるんだと」

 ジョンの言葉を聞き、メアリーは女の子が握り締めるリボンに目を留めた。それを見てようやく女の子の意思を理解した彼女は、女の子の手に自分の手を重ねた。


 色の違う肌、見た事のない瞳の色、初めて聞く言語。メアリーに、女の子はまるで童話の中にいるお姫様のような印象を抱いていた。緊張し通しの彼女は、憧れのお姫様に手を握られて、更に体を硬くした。

 微笑ましいやら、ハラハラするやらと胸の中をやきもきさせながらも、ナズナと店主は二人の姿を遠巻きにして眺めていた。ジョンも空気を読むように、二人の傍から離れた。


「ユリが自分からお客様の着付けをしたがるなんて、初めてだわあ」

「あら、そうなのですか」

 二人の会話を耳にしながら、ジョンはユリと言う名の女の子に対し、ジョンは無言ながら必死に声援を送っていた。

 そのリボンを着けて――と、メアリーは何も言わず、後頭部を女の子へ向けた。

 ユリは意を決したように手を伸ばし、メアリーの後頭部に纏められた髪にリボンを巻いて行く。母親に鏡を渡された彼女は、メアリーにリボンを巻いた髪が見えるようにした。

「わあ、きれい……」

 メアリーが零した言葉の意味は、ユリには分からない。けれど彼女が浮かべた笑顔を見て、気に入って貰えたんだと、思わずホッと息を吐いた。

 メアリーの団子状に纏めた砂色の髪へ巻くようにして、彩られた花飾り。その赤い花は彼女の髪色に良く映えているように見えた。ジョンも似合っているなあと、息を吐いた。


「流石、わたしの娘。いいモノを選びなさる」

「あら、そうですねえ」

 腕を組み、満足そうに頷く母親とそれを受け流すナズナを尻目に、メアリーはユリに振り返った。

「ありがとう。名前はなんて言うのかな?」

「あ……い?」

 やはり言葉は伝わらない。なぜ、世界はこのような隔たりを用意したのだろう。ジョンは彼女らに駆け寄り、通訳を買って出た。

「メアリーは君に名前を聞いているんだ」

 ジョンの言葉を聞き、ユリは頷いた。ややあってから、おずおずとユリは口を開いた。

「……ユリ」

 メアリーは彼女の名を聞くと、何度か口の中で繰り返してから、

「Yuri…, Thank you.」

 メアリーが自分の名を口遊むと、ユリは赤面しながらも嬉しそうにはにかんだ。メアリーもまた、彼女に向けて満面の笑みを返した。

「お姫様みたいで、あの、もしかしたら、似合うかなって、思って……」

「お姫様って、ええっ……。そんなんじゃないよぅ……」

 互いに赤面する彼女らの言葉を、訳す自分が最も恥ずかしいと思いながら、ジョンは努めて冷静に職務を全うした。


 その後、メアリーは店を後にしようとするナズナに促されるまで、ずっとユリの手を握っていた。言葉が伝わらないのなら、それでも精一杯の感謝を伝えたい――。その一心で、メアリーは彼女の手を握り続けた。

 その姿はまるで陽だまりのように暖かった。ホワイトチャペルに住む子供達が、彼女を実の姉のように慕っていたのも頷けると、ジョンは思った。


「良かったな」

 着付けた衣装のまま、街を歩くメアリーの隣に立ったジョンが、彼女に呟いた。

「うん、嬉しい。すごく嬉しい」メアリーは綻びそうな頬を押さえながら頷いた。「また日記に書いて、あの子達に伝えるんだ」

 メアリーはジョンと暮らし始めてから、日記を綴るようになっていた。日々の思い出を記し、やがて「教会」に預けられた家族に伝える時を心待ちにしているのだ。

 家族とは手紙のやり取りを続けているものの、やはりそれだけでは足りないのだろう。再会の目途は未だ立っていないが、メアリーはその「いつか」を夢見ながら、毎日を日記に書き留めている。

「ねえ、お兄ちゃん。今度、時間がある時でいいから、言葉を教えて」

「うん? この国のか?」

「うん、そう。でも、他の国の言葉も教えてくれると嬉しいな。自分の口で、色んな人に『ありがとう』を言えるようになりたい」


 ジョンがメアリーと出会った時、彼女は陰鬱さと不吉さをどうしようもなく醸し出す小さな女の子だった。ホワイトチャペルの一件を解決しても、彼女は不安定な時期が続いた。それでも彼女が笑顔を見せるようになったのは、探偵の助手として、ジョンと共に事件と事件を駆けずり回って来たからだ。自分にも出来る事があるのだと、自信を持てるようになったからだ。

 当たり前に生きる日々を「当たり前」として享受出来ない、今日を生きる為に明日を捨てる日々――。そんな日々が彼女から「意欲」を奪った。しかし、今やどうだ。彼女は自分がしたい事、欲しい物を貪欲に求めるようになった。

 ……それがこんなにも嬉しいだなんて――と、ジョンは驚いていた。それに出来る限り応えるのが、自分の務めだと思いながら、


「……応、任せとけ」

「約束だよ、お兄ちゃん」

 はにかんで笑うメアリーに、ジョンはおどけるように十字を切って答えた。

「何それ。お兄ちゃん、神様なんて信じてないクセに」

 笑いながら差し出されたメアリーの手を、ジョンは握る。……守りたいモノばかり増えていく。ジョンは父と交わした約束を思い出しながら、城下町を抜けて城へと向かう。


 ――約束を果たせる日がいつ来るかと考えすらしないのは、当たり前にやって来ると思っているから。穏やかな日々がいつもと変わらず訪れると信じ、疑う事すらしないから。


 いつの間にか夜の帳は落ち、空には月が輝いていた。店先に並ぶ提灯と呼ばれる街灯に目を奪われながら歩く道すがら、ジョンは突然立ち止まったナズナに気が付いた。

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