11-1.

「わあ~、可愛い~」

 頬が落ちるんじゃないかと言う程に緩ませ、ナズナが恍惚そうに溜め息を付く。普段の屹然とした顔からは想像も出来ない変貌ぶりだった。視線の先には、彼女が着付けた衣装に身を包むメアリーの姿があった。

 白い絹の布地に色鮮やかな小さな蝶の文様が描かれた着物、プリーツの入った赤い袴スカート。髪を頭頂部で団子のように纏められた彼女は、ワトソン姉妹にそうされる時と同じように顔を赤くしていた。


 茶屋から戻った一行は、ナズナの提案で城に帰る前に城下町に寄る事にした。「もし良ければ和装を贈らせて欲しい」という言葉に、メアリーは嫌な予感を持ったのか首を振ったが、半ば押し切られる形で呉服屋へと押し込まれた。男子二人はそれに仕方なさそうに続いていった。


「わたくし、ずっと妹が欲しかったんですよ。一緒にお着物を選んで、おめかししたりしたかったんです」

 ナズナは幼い頃から世話になっているという着物店に入ると、見知った女性店主に用意させた着物や髪飾りを座敷の上に雑多に並べ、次々とメアリーに宛がっていく。そうしているナズナは実に楽しそうに笑っていた。


 姉とそういった経験はないのかと尋ねそうになったジョンだが、藪から蛇が出るかも知れないと思い直した。古い家系の仕来りなど理解の外だ。普通の家庭とは違った生活を送って来たであろう彼女達の関係性は分からない。


「……あの人があんな風に笑うのを見るのは、初めてだ」

 コウスケの呟きを聞いたジョンが、彼に振り返る。コウスケは少し気まずそうに頬を掻いた後、

「……彼女は皇女の影として生きて来た。いざとなったら皇女の替え玉となる運命だ。彼女の人生に、彼女の意思はない。だから彼女が自然に笑っている姿は珍しい」


「貴方は彼女とどういった関係なんですか?」

 不躾な質問だとは自覚していたが、コウスケの語り口はまるでナズナの保護者のようだった。ジョンの問いに、コウスケは少し頬を赤らめて、

「一応、恋仲……という事になっている……」

「…………」

 ジョンはコウスケからの予想外の言葉に、思わず思考が停止した。しばらくの沈黙を置いて、

「そ、そうだったんスね……。へえ……」

 何を言えばいいのか分からず、ジョンはその一言の後、何も喋れなくなった。更に続いた沈黙はより気まずいものになってしまった。


「ただ……、この関係は『縁』を強くする為というのが理由だ」

 コウスケは硬い声だった。ジョンは言葉の意味が分からず、再び彼の方を見た。

「『縁』は互いの関係性だ。より深い関係であればあるほど、『縁』は強くなり、その結果、結界はより強固なものとなる」

 彼らの『縁』が強かったから、英国と皇国とを繋ぐ結界が成立した。だが、その関係性は作為的なものだった。


「……僕は恋愛沙汰に詳しくないですが……、二人の恋仲は偽造という事ですか?」

 いや、それでは『縁』が成立しない。しかし『縁』の為だけに互いを愛し合えるのか。目的が主となった愛なんてあり得るのか。……真実、ジョンには分からなかった。

「偽物じゃない」コウスケはジョンを睨むようにして――、しかしすぐに俯いた。「偽物では、ないんだ」

 それは自分に言い聞かせるような物言いだった。ジョンが無言のままでいると、コウスケが取り繕うように言葉を続けた。

「彼女を愛しているのは本当だ。例え始まりがどういった形であっても、自分は彼女を愛している」

 ジョンはもう一度コウスケに振り返った。彼は相変わらず俯いたままだった。スタートこそ不純ではあったが、彼の気持ちは本物だった。


「貴方がそう想っているのなら、それでいいんじゃないでしょうか」

 無責任にも聞こえるだろうとジョンは自覚していたが、彼は取り繕う気持ちでそう言った訳ではなかった。

「大事なのは今です。今の貴方が彼女をあ、あ、愛して、いる、と、言うなら、そうなんじゃないですか」

 ジョンは「愛している」という言葉を口にするのが気恥ずかしくなり、思わず舌を噛んでしまった。


 しかし、コウスケはそんな事は意に介さず、

「そう、だろうか。本当に、そうだろうか……?」

「……僕も、ある女の子の事が好きです」こんな話、ヴィクターやハリーともした事ねえな。ジョンはそう胸の中で呟きながら、「その想いを、疑いたくない。勘違いだなんて思いたくない。僕は彼女が好きなんだと信じています」

 恥ずかしさを誤魔化したくて、ジョンは小さく笑ってしまう。その微笑みを見ながら、コウスケはジョンの言葉を待った。

「なんと言うかですね――、僕は、僕がそうなら、それでいいと思っています」


 例え誰に何を言われようが、自分が自分ならそれでいい。それはジョンが生きて来た中で掴み得た「答え」の一つだった。シャーロックと比較され、彼に追い付く事すら無理だと言われても、ジョンは決して諦めない。他人の評価など糞喰らえ、お前らの声なんて知ったこっちゃねえんだよ。自分のカタチを決めるのは、他の誰でもない自分自身しかいないと、ジョンは信じている。


「上手く言葉に出来なくて、申し訳ないですが……」

「いや――、」コウスケは顔を上げ、少し笑いながら、「自分は考えすぎると、良く言われる。貴方のような思考が出来たのなら、それは随分と生き易そうだ」

 バカにされて――はいないよ、な……? ジョンが思わず目付きを険しくしてコウスケを見ると、彼は可笑しそうに笑った。

「貴方にも心に決めた相手がおられるのか」

「そう――ですね」

 そう答えながら、ジョンの頭の中に浮かんだ彼女の顔。


 ……あれ? と、しかしジョンは面喰らい、首を傾げた。彼の頭の中に浮かんだ顔がジェーン――と瓜二つの姉、ジャネットに見えたからだ。そんな経験は今までになく、しばらくジョンは思考が停止した。それでもなぜだか恥ずかしくなり、見る見る内に顔を赤らめていった。

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