10-2.
「こなたの方に手は出させない……ッ」
「ハッハ!」ベリアルは今度こそ大口を開けて笑った。「テメエが一人の男に操を立てるだなんて、どういう風の吹き回しだよ、えッ?」
うるさい……ッ! タマモはそう怒鳴りそうになるのを堪え、敵意を持ってベリアルを強く睨み付けた。
タマモは抱える怒りに焦りを滲ませていた。ベリアルの言葉は彼女の過去を暗に示している。愛する夫に秘めたままにしている己の過去を知られる訳にいかない――、その焦りが彼女の目付きを一層険しくさせた。
しかし、ベリアルはそれを見抜いていた。目の前にいるのがどんな女か、彼は知っている。誰かを――何かを手に入れる為なら手段を選ばない冷徹な精神と策略に回す頭脳は、悪魔達の中でも随一だった。
だから、こいつはオレ達の王に因って選ばれた――。ベリアルはタマモを静かに見据えながら、胸の中で呟く。彼が不用意に前に出ないのは、彼女を信頼しているから。何か策を必ず敷いていると知っているから。その策に嵌ってしまえば、今の自分は逃げられないと分かっているから。……ベリアルは自分の体に走る痺れを払いたくて、腕を振るう。
ベリアルはタマモとの「縁」を依り代にしてコチラへやって来たが、しかし想定外の負荷が掛かったようで、体が思うように動かなかった。恐らくは「縁」の薄さが原因だった。何百年と顔を合わせる事のなかった両者の絆がこうも薄くなっていようとは……。無理もないと、ベリアルは独り言ちる。彼女には彼女だけの物語があり、それを知らない彼が彼女との「縁」に成り得る筈がない。それでも彼がコチラに来る為には、彼女との「縁」を頼らざるを得なかった。
代償は大きい、しかし体さえ手に入れば問題はない。この痺れは魂を侵すモノ。だから選択肢は二つ――肉体を手に入れるか、地獄へと戻るか。ベリアルは当然、前者を選ぶ。その最も早い手段は今、目の前にある体を奪う事。だがその体の主を、体を張って守ろうとするのがタマモだった。
……どうするかとベリアルは悩むが――、そんな時間は与えられなかった。
『バカな。ココに悪魔など入って来られる筈がない』
突如として響いた声に、ベリアルとタマモは天井を見上げた。視線の先には、宙を泳ぐ折り鶴の姿があった。
「セイメイ様……」
『悪魔、どのような手を使った。ココを囲う「結界」の基点には、あの「遺体」があるのだぞ』
お前達に手が出せる筈がないと、セイメイの声には困惑が滲んでいた。
あの「遺体」とはなんの事だろう……。タマモは首を傾げた。彼女はセイメイがなんの話をしているのか分からなかった。
セイメイは折り鶴越しにタマモを見詰める。そもそも悪魔である彼女がこの城に入れたのは、帝の許しがあったからである。そうでなければ、強大な「江戸結界」に弾かれる筈だった。ならば、この男も帝に招かれたのでは――と思いはしたが、タマモが彼を拒絶する様子に違和感はなかった。后ならば帝から何かしら話は聞いているだろう、ならば拒絶すべき理由はない筈だ。
――「結界」に綻びがある。あり得ない事だが、しかしその綻びが目の前の男を呼び寄せたのだ。セイメイは一先ずその問題を後回しにし、侵入者へ意識を向ける事にした。
『皇后よ、ご心配召されるな。すぐに追い払いましょう』
「…………」
目の前にまで降りて来た折り鶴が発する不敵な言葉に、ベリアルは露骨な反応を示さなかった。彼は折り鶴を一目見て、「デコイだ」と気付いた。敵の姿はココになく、別のどこかからコレを操っているのだろう。不用意に折り鶴を破壊すれば、何かしろの術中に嵌る可能性もある。攻撃はしっかりと真贋を見極めてからでないとならないと、彼は自分の中に落とし込む。
そんな彼の姿を見て、折り鶴の向こうで「ふむ……」とセイメイは唸った。成程、彼が大悪魔ベリアル……。想像していたよりも慎重だと、セイメイは感じていた。
牽制の睨みを利かせる両者を見詰めながら、タマモは自分と帝を囲む「結界」を確かめる。コレがある限り、ベリアルは自分達に手が出せない筈だ。
策はある、罠もあるだろう。しかし、時間を掛けて追い詰められるのは自分だと、ベリアルは把握している。魂を晒した状態は長時間耐えられない。その果ては地獄にも天国にもなく、ただ文字通りに消えてしまうだけだ。
「――ハッ」
ベリアルは一笑した。腑抜けたか、オレは。不遜と慢心、それなくして何が《傲慢》か。オレはどこまでも我を通すだけ、そうし続けてきたから与えらえた《罪禍》。長い間引き籠っていた所為で、どうも己を忘れてしまったらしい。ベリアルは躊躇わず前に踏み出した。
そして、彼が部屋の中央を仕切る襖のすぐ向こう、そこにある見えない壁に体が触れた途端、馬車と衝突したかのように強く弾き飛ばされた。
「ッはアッ! なんだあ、今のはァ?」
吹っ飛ばされたベリアルはしかし、器用に空中で姿勢を正すと、四肢を立てて床に着地した。
ベリアルを拒絶した壁。それはジョンの拳を阻んだのと同じ、帝と后を守り、閉じ込める結界だった。
『ムダだ。何をしようとこの結界は崩せない』
ベリアルは不機嫌そうに顔を上げる。その視線の先では、折り鶴がまるで彼を小馬鹿にするようにヒラヒラと宙を舞っていた。
大悪魔すら跳ね除けるなんて……。タマモは驚きを禁じ得なかった。そうしたい理由はないが、いざとなれば結界を破壊して脱出出来るのではと考えていた彼女だったが、不可能だったと思い知らされた。
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