9-2.
「……なぜこんなところにいる。不必要な接触を避けるよう言ったのは、貴方ではなかったか」
硬い声。ヴィクターは緊張を滲ませながら、男に問う。男はなんでもないように口元を歪め、
「今は『国際会議』の最中、どこに『教会』の連中が歩いているか分からない。そんな中で君を呼んだんだ。明確な必要性があるからに決まっているだろう」
嫌味な言い方、わたし、あの人嫌いだな……。ジュネは、男が口を開くなり嫌悪感を抱いた。
「それを理解していながらもボクに話しておきたい事があるのか」
ヴィクターの問いに、男は悠然と頷いた。
「『地獄攻略』は可決される」
男が放った言葉に、ヴィクターは重い息を吐いた。
「確かにそちらに転ぶ雰囲気は濃厚だが、どうして言い切れる」
「各国の王族達が気付いたからだ、世界の終わりが近い事を」
何を言っているのかと、ヴィクターは眉をひそめた。男は愉悦そうに笑い、
「宮本ムサシとシモ・ヘイヘ。彼らが起こした事件の裏には、各国の異端審問会が絡んでいた。彼らが裏で手を引いていたから成功した事件だった」
「……たった二人の人間が起こしたものではないと踏んでいたが、なぜ協力していたのが異端審問会なんだ」
「彼らは『聖戦』に於いて、かの魔人王を倒した第九分隊に属していた。しかしその後、彼らはその成果を称賛されるどころか、皇国に幽閉された」
あの国は『教会』にとって後ろめたいものを押し込める牢獄だからな。男はくつくつと笑うが、ヴィクターは気味が悪そうに顔をしかめた。
「魔人王は今際の際に彼らに何かを見せた、打ち明けた。恐らくソレは『教会』にとって最大の秘匿だ。決して誰かに知られてはならないモノだったのだ」
「だから口封じの為に閉じ込めた、と。……なぜ殺さなかったんだ?」
「ただ殺すには惜しい人材だったからだ」男はそう言い、指を数えながら、「ジェームス・モリアーティ、シャーロック・ホームズ、ジョン・H・ワトソン、宮本ムサシ、シモ・ヘイヘ。以上、五名が第九分隊の隊員達だ」
ジョンの父、ハリーの父、そしてジェーンとジャネットの父親。親友の親がそんな目に合っていたなど、露も知らなかった。ジュネは息を呑みそうになるのを必死に堪えた。
「彼らは殺せない。いや、シャーロック・ホームズだけは絶対に殺せないんだ」
なぜそこまで言い切るのか。その理由を男は口にしなかった。ヴィクターは頭を抱え、
「……第九分隊の仔細は気になるが、置いておく。彼らは魔人王に何を見せられたんだ」
「『世界』の構造だ。この『世界』は二つの大きな意思に因って存在を定義されている」
ヴィクターは男の言葉に理解が及ばなかった。それもその筈、男が語るのはニンゲンが知る筈のない情報だからだ。
「『世界』は始まりから終わりまでが既にデザインされている。その終わりがまもなく始まろうとしている。それを回避する為に、王族と『教会』は手を組み、そして地獄へと赴くだろう」
「世界の終わり――、『黙示録』が始まるとでも言うのか」
「そうだ――、いや、既に始まっているのだ」
「……それでは何か、もうラッパは吹かれたのか」
「いいや、ラッパの前に、『彼の人』が再臨なされた」
ヴィクターは男の言葉に思わず眉を寄せる。
おかしい、順番が違う。聖書に於ける黙示録では、「彼の人」が再臨されるのは結びの部分だ。再び地上に顕れた「彼の人」が千年王国を興し、信徒達を救う筈だが……。
「――まさか、『彼の人』がスイッチか……?」
黙示録の内容全てが再現されれば、それは確かに世界の終わりだろう。しかし、七つの封印も七度のラッパもただの例え。そのような災厄が世界に訪れるという警告。そしてその全てが終焉を引き起こす切っ掛けに過ぎない。そう、「彼の人」の再臨さえも。
「……だが、『彼の人』などココにいない。現実でそのような事は起こり得ない」
ヴィクターは医者で、科学者だ。知識として宗教を知っていても、そこに信仰心はない。悪魔の実在は知っている、悪霊の存在は知っている、魔物の健在は知っている。自身が修める「人形技術」だってオカルトめいていると言われても否定出来ない。霊的なモノ――、魂への接触が「人形」には不可欠だからだ。
それでも人類を時に救い、時に殺す神なる存在など、認められない――認めたくない。
「神も天使も悪魔も、全てシステムに過ぎない」
機械的な例えで、男はヴィクターを否定した。お前の矜持など意味を持たないと、男は大いなるモノの存在を肯定した。
「『彼の人』も同様に、『世界』を回す為の機構に過ぎないのだ」
男は笑みを含み、ヴィクターに問うた。
「君は知っているだろう、既に『彼の人』が顕れている事を」
「――――」
ヴィクターは閉口し、目を見開いた。まさか――、まさか……?
「貴方はまさか、ジョンの事を言っているのか」
男はヴィクターの言葉に、満足そうに頷いた。
「あいつの『十字架』がスイッチだったと言うのか……!」
「御名答。彼の『十字架』がこの星の上で顕れた瞬間、『世界』は終わりに向かい始めた」
男は言いながら、顔の前で手を組み、
「あの『十字架』はジョン・シャーロック・ホームズの魂だ。だから、彼が意識を手放さずに『十字架』を顕わしている内は、あくまでも彼だ。しかし、初めて『十字架』を発動させた時、彼はその意識を手放した。顕れた『十字架』は『ジョン』という属性を失い、故に『世界』は勘違いを起こした。――『彼の人』の再臨だと」
――「彼の人」は荊の冠を被って十字架を背負いながら丘を登り、そして手足を十字架に打ち付けられて磔刑に処された。やがて右の脇腹に槍を受け、それを生死の判別とした。
磔にされた「彼の人」と同じ位置に浮かぶ傷を「聖痕」と呼び、崇拝の対象ともなった。手足首の「聖釘」、額の「荊冠」、脇腹の「聖槍」、流れる「血涙」や「血汗」などがある。また「彼の人」を傷付けたそれらの物品は「聖遺物」として、これもまた崇拝の対象となった。
ジョンの体に刻まれた手足首、額、脇腹の傷は、全て本物の「聖遺物」によってシャーロックとワトソンの手に因って刻まれたものだった。
「彼の人」と同じ物で、同じ場所に傷を受けた者が、そして背負うモノとは――?
シャーロックとワトソンが導き出した答えは、息子の魂を変質させる代物だった。
「ジョンはそれを知っているのか……?」
ヴィクターは救いを求めるように問うた。男は首を振り、
「彼は何も知らない。彼は自分が父に何を託されたのか、正しく理解していない」
確かに、ジョンはあの『十字架』とそれから齎されるチカラを武器や道具としか見做していない。彼らしいと言えば彼らしいが、しかしそれでは足りなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます