9-1.
「……なんだかとんでもない事になって来たわね」
「そうだね、皆ビックリしてるよ~。誰も予想なんてしていなかったと思う」
小声で話すのは、「国際会議」に報道枠として参加するジュヌヴィエーヴ・ルパンとその同僚、ルーナ・ムーン。ジュネが筆を走らせ、ルーナがカメラを構えながらの会話だった。
ジュネとルーナは学生時代からの友人で、ジュネが今の出版社に勤めているのはルーナからの紹介だった。
その出版社はルーナの父が経営する会社で、開業以来マイナーな需要に答え続けて来た彼らが、ようやく「報道」という意味で檜舞台に上がったのはごく最近だ。だから、他のベテラン報道陣が円卓の行方を見守る中、場違いなのではと肩身の狭い思いを強いられていた。
そんな胃の痛くなるような状況の中、彼女らが驚いたのは、会場に突如として『教会』の最高指導者、ルーアハが姿を現わしたからだ。メディア嫌いで有名な彼が表舞台に現われるなど考えても見なかった。しかも、「地獄攻略」に賛成の意を投じるだなんて……。ジュネ達にとって全てが想定外で、ただただ驚く事しか出来なかった。
ジュネは左手首に巻く腕時計を確認する。午前中から続いた会談だったが、外の景色は夕闇が訪れ始めていた。区切りの付いたところで一旦お開き――という流れになり、各国の王族達が祓魔師や探偵、直属の護衛などを連れて部屋を後にしていく。他の報道陣が王族達にマイクを向けようと殺到するが、警備を担当する「人形」達に阻まれる。
彼らに続こうとしたジュネとルーナだったが、目の前で繰り広げられるひと悶着を見て溜め息をつき、早々に諦めた。
「じゃあ、あたしは先に帰るね~」ルーナは、ジュネが書いた原稿を受け取ると、手を振った。「ジュネはお兄さんとお話しするもンね」
「兄貴じゃないわよ」顔を少しムッと歪めて、ジュネは「いつまでも勘違いしているみたいだから、言わせてもらうけど……」
「でも、仲良いじゃん」しかし、ルーナはジュネの顔色など意に介さず、キョトンとした顔で、「二人は兄妹にしか見えないもン」
何を言ったって効かないのだ、この子には。そんな事は昔から知っている。ルーナの相変わらずのマイペース振りに、ジュネは溜め息をついた。
「また明日ね、ジュネ。お疲れ様」
去って行く友人へ、ジュネは「お疲れ様」と言葉を返した。ややあってから、彼女も部屋を後にする。そして、ヴィクターと共に帰宅しようと彼の姿を探し始めた。
……ルーナにはああ言ったものの、ヴィクターが彼女にとって兄のようなものなのは確かだ。生まれた時から一緒に暮らして来た、血の繋がらない家族を探しながら、ジュネはロンドン塔を歩く。しかし、幾ら探しても見付からなかった。ロンドン塔の出入口を警備していた警官に尋ねると、既に出ていった後らしい。なぜ自分を置いて帰るのかと苛立ちを覚えたが、怒ったところで仕方ない。どうせ帰るところは同じなのだと思い直し、ジュネは帰路に就く事にした。
ベーカー街221Bに向かいながら、お気に入りの紅茶の茶葉を買って帰る。この茶葉は友人達も気に入っていて、紅茶よりコーヒー派なジョンも「香りがいい」と言っていた。彼が自分の好みを口にするのは珍しいから、ジュネの記憶に強く残っていた。店に残っていた最後の一つをなんとか手に入れ、ジュネは頬を持ち上げながら石畳の道を歩く。
ジュネは店に寄る為に、いつもと違う遠回りの道を選んだ。その事を彼女は誰にも伝えていなかった。誰にも――、そうヴィクターにも。
「……あれ?」
だから、その帰り道の中でジュネがヴィクターを見付けたのは、まったくの偶然だった。
ヴィクターは閉店前で客足の少ない喫茶店にいた。外にあるテラス席に座り、白髪の男と一緒にいた。ジュネはその男の姿に見覚えがなく、一体誰だろうと首を傾げた。
ジュネはなんとなくヴィクターに見付かってはいけないと感じ、とっさに物陰に身を潜めた。男と相対する彼の表情が、今までに見た事のないくらい重苦しいものだったからだ。
……あいつがあんな顔をするなんて、余程重大な事態だ。ジュネはヴィクターの死角に回り、彼らの話し声が聞こえる位置まで慎重に移動する。聡明な彼女がこんな不躾な行動を取る事はほとんどなく、むしろそれを咎める方が多かった。今回そうしてしまった事に対し、明確な理由はない。ただヴィクターの表情だけがどうしても気掛かりで、居ても立っても居られなくなった。
ジュネは喫茶店と道路を仕切る生垣の裏に回り、ヴィクター達に背中を向けた。鞄から手帳を広げ、スケジュールを確認するようなフリをし、彼らの話に聞き耳を立てた。
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