7-3.

「ホームズ様、これは一体……」

「あー……、いや」

 訝し気に眉を顰めるナズナに、ジョンは気まずそうに頭を掻く。

「ナズナ様、この方は……?」

「わたくしの客人です。……ここはわたくしに任せて、御仲間を連れて去りなさい」

 ナズナの硬い言葉に、男は刺股と仲間を抱えて、逃げるようにその場を走り去っていった。


 その背中を見詰めながら、ジョンが、

「……すみません。僕が不用意に出歩いた所為です。彼らに罪はないので、穏便に済ませて頂けないでしょうか……」

「ええ、そうでしょうね」ナズナは目を閉じて息を吐いてから、ジョンの背後、門の向こうにいる女性達に目を向けた。「……貴女達、早く下がりなさい」

「……はい」

 萎縮した小さな声で、女性が頭を下げた。老婆だけが動かず、ジョンの姿をジッと見詰めていた。


「どうしたのです、お婆様を連れて早く行きなさい」

 苛立ちが滲んだナズナの言葉に、ジョンは少し困惑した。こんな風に分かり易く感情を発露する女性ではないと感じていたが、如何に。

「じょんさんや」老婆はナズナの言葉に耳を貸さず、ジョンだけを見詰めていた。「顔を見させてくれて、ありがとうねぇ」

「……はあ、いや……」

 またも頭を掻きながら、ジョンは生返事しか口に出来なかった。

「強い人だねぇ。いっぱい努力したんだねぇ。頑丈な体に育ってくれて、良かったよぉ」

「……ええっと」

 何故、そんな事を言うのだろう。老婆の眼差しは優しく、それはまるで――。


「早く行きなさいっ」

 最早、叱咤に近かった。ナズナの声に、女性は頭を下げながら、老婆は最後までジョンの顔を見詰めたまま、家屋の方へと去っていった。


「あの……、」

 ナズナの剣幕に、ジョンは及び腰になりながら声を掛ける。

「ホームズ様」硬い――いっそ冷たい声だった。ナズナは堪えるように瞳を閉じたまま、「城内を好き勝手に出歩くのは慎んで頂けますか」

「……すみません」

 ジョンはどんな顔をすればいいのか分からず、口元を引き攣らせながら、頭を下げた。


 ナズナはバツの悪そうなジョンを尻目に、内心は焦燥で荒み切っていた。なんて事だ、ジョン・シャーロック・ホームズをこの一族とだけは関わらせてはいけなかったのに……。姉さんにそうキツく言われたのだ、また叱られる、また怒られる……。ナズナは逸りそうになる呼吸をなんとか落ち着けようと、手で胸を押さえた。


「ナズナさん?」

 ジョンの声に、ナズナはハッとなって目を開ける。思案気な顔でこちらを覗き込むジョンの顔に驚き、彼女は一歩後ろへ下がった。

「……いえ、失礼しました」やがて意を取り戻したかのように、ナズナは頭を下げた。「朝食の準備が出来ました。メアリー様もお目覚めになり、貴方を待っています」


 いつの間にかそんな時間か、結局シャワーは後回しだな。ジョンは胸の中で独り言ち、先を進むナズナの後を追い掛けた。そしてジョンがナズナに案内され、戻った部屋の襖を開こうと手を掛けた時だった。

「あっ」

 と、思わず声を上げたジョンへナズナは振り返り、「どうしました」と問うた。

「いや……」

 ジョンは襖に手を掛けた姿勢のまま俯いた。……あの女の人は自分の顔を見て、「アイリ」と呟いた。これは偶然なのか?


 ジョンはふいに思い出していた。自分の母の名もまた、「アイリ」という名であった事を。


 写真の中でしか知らない母の姿。声を知らなければ、触れ合った思い出すらない。ジョンを産んですぐに亡くなったのだから仕方ないし、ジョンは気にした事すらなかった。それよりも彼の中では父の存在の方が大きかったし、大切だった。

 そしてその父もまた、母について多くを語らなかった。断片的に覚えている母についての知識の中で、最たるものは彼女が皇国出身だと言う事だ。ジョンが皇国の言葉を理解出来るのは、母の母国語を父から教わったからだ。ジョンは皇国という遠い国との間には、少なからず縁があったのだ。


 母の故郷である皇国で、自分を目にした女性が母と同じ名前を口にした。……コレは果たして如何なる意味を持つのか。偶然と言い切るのは無理な気がして、ジョンは意を決してナズナに問うた。

「あの女の人達は、一体どういう人達なんですか」

 高い生垣と堅い門。畑や井戸。囲まれた小さな村、簡素ながらもそこで完結した一つの世界はしかし、まるで――囚われているかのようで。

「貴方には関係のない事です」

 返答は冷たいものだった。ナズナはジョンから顔を逸らし、呻くようにそう言った。

「……彼女達は僕を見て、僕の母と同じ名を口にしました。何かの偶然とは思えない」

「偶然です」屹然と、あくまでも屹然とナズナは言う。「わたくしにはそれ以外に言える言葉はありません」

「あそこはまるで牢獄でした。貴女達は一体どういう了見で――」


「貴方は」ナズナはジョンの言葉を無理矢理遮り、「貴方に望まれた働きだけをして下さい。貴方は探偵でしょう、それ以外の行動は慎んで頂きたい」


「…………」

 ジョンは彼女の態度に大いに違和感を持ったが、しかしこれ以上の言葉を受け取れそうになかった。釈然としない思いではあったが、ジョンは切り換える事にした。

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