7-2.
ジョンは手提げ鞄に替えの下着やタオルなど入れ、部屋を後にする。メアリーはまだ安らかな寝息を立てていたので、起こさずにそのままにしていった。
ジョンは昨夜訪れた浴室を目指して、一度通った道を歩いて――いるつもりだった。しかし、城の外に出た辺りで「これは道を間違えたのではないか」と考えた。つまりは完全に道に迷った。それでも「まあいいか」と独り言ちる。城の敷地内から出ない限りは誰かに出会えれば、どこにでも案内して貰えるだろう。ジョンがそう楽観視した頃、視界の中に昨夜コウスケと相まみえた道場が映った。
父はここにいた。あの道場の中で多くの術と技を学んだ。それを全て自分は継承出来ただろうか、自分の手の内に落とし込めただろうか。……その問いに答えは出ない、出せない。彼の評価基準はあくまでも父親だ、だから彼は正しく自己評価が出来ない。
頭の中で繰り返される昨夜の稽古。ジョンはその場に立ち尽くして、しばらく反芻を続けていた時、遠くからバキッという小気味いい音が聞こえて来た。ジョンはなんだろうと思わず振り返り、音のした方へ足を向けた。
進んだ先には高い生垣で囲われた空間があった。庭園だろうかとジョンは首を傾げつつ、グルリと垣根を周る。一カ所だけ垣根の途切れた部分があり、しかしそこには堅牢な鍵と鎖で閉じられた鉄製の門があった。
ジョンは門の隙間から中を覗いてみる。中には粗末な家屋と小さな畑、井戸などがあった。そこはまるで小さな村のようで、ジョンは一体なんなのかと眉間に皺を寄せた。
「ん……?」
ジョンは驚いたように声を上げる。良く見れば、人がいるではないか。薪を割っているようで、小斧を掲げている。さっきの音はその際に発される音だったのだろう。声を掛けてみようかと逡巡している中、その誰かが彼に気付いた。
そこにいたのは女性だった。どこか皇国に住む人達の風体とは違う顔付きだった。薪割りをして額に浮かんだ汗を拭いながら、彼女は門の向こうからこちらを覗き見るジョンを訝しげに見詰める。そして、ふいに彼女が口を開いた。
「……アイリ?」
どこか聞いた事のある言葉だな。女性の呟きを耳に捉えたジョンが記憶を探るが、答えは見付からなかった。その最中に女性は踵を返して家屋へと走って行ってしまった。不審がられたのだろう――、ジョンがさもありなんと息を吐き、門から離れようとした時だった。
「待って……!」
慌てたような女性の声がジョンの背中を刺した。思わず振り返ると、女性は老婆の手を引きながら、門の方へと向かって来ていた。
……自分を呼び止めたのか? ジョンは唾を呑み、どこか緊張に体を強張らせながら、再度門へと近付いた。
「…………」
老婆は門の隙間から、ジョンが先までそうしていたように彼を見詰める。半信半疑そうな瞳の揺れがやがて止まる。彼女はゆっくりと息を吸ってから、
「……お前さん、名前は……?」
「?」ジョンは頭を掻いてから、「……ジョン・シャーロック・ホームズと、言いますが……」
「じょん……、外国の方かえ?」
「ええ、まあ……」
戸惑いがちにそう答えるジョン。老婆は――、そんな彼の顔を突然両手で掴んだ。予想だにしなかった行動に、彼は咄嗟に反応出来なかった。
「……お母さんは元気かえ?」
「え――、ええっと……」ジョンは顔を掴まれたまま、「……母は僕を生んですぐに亡くなったと聞いています」
「――――」
老婆はジョンの答えを聞くや、パッと彼の顔から手を離した。なんなんだとジョンは掴まれていた頬を擦りながら、一歩後退る。
「お母さん……」
「いいんだ、いいんだよ……」
漏れ聞こえた二人の会話の意味は分からない。ジョンは目を白黒させながら、
「あの、一体――、」
どうしたんですか。そう問おうとした時、ジョンの背後から「おいっ!」という怒号が聞こえた。咄嗟に振り返ると、先端がU字型に分かれた長い棒――後でジョンは「刺股」と呼ばれる武具だと聞いた――を携えた二人の男がこちらに向かって駆けて来るところだった。
殺傷用の武具ではない。あの分かれた先端で体を挟んで拘束する事を目的とした武具だろう。ジョンは男達が持つ武具の形状を見、彼らが取るであろう行動を予測する。
「やめてけれ、その人は悪くないんだ!」
老婆はジョンに詰め寄る男達にそう叫んだが、聞く耳を持たなかった。
「貴様、ここで何をしているッ!」
問いはしかし、問いではなかった。男達はジョンの返答を待たずに、刺股で彼を押さえ付けようと素早くそれを突き出した。
――しかし、その行動は既に想定済み。ジョンは自身に向かって伸びて来る刺股を視認。一本は胴、もう一本は右脚を狙っていた。ジョンは十分に引き付けてから、右脚を後ろに回すようにして体の向きを横にし、脚に向かってくる刺股を躱す――と、同時に腹に接近するもう一本を左手で掴み上げると、持ち主ごと強引に引き寄せた。
「ぅわ……ッ!」
引き寄せられた男は目を丸くし、何が起きたのか上手く把握出来なかった。急激に前のめりになった自分の体を制御出来ず、それに合わされたジョンの拳を強かに腹に受けた。
「…………」
なんて、容易く……。目の前で仲間が腹を抱えてその場に蹲る様を見、もう一人の男は言葉を失った。
ジョンは蹲る男に心を残しつつ、彼らが持つ武具から、もしやこの人達は警備員か何かではないかと考え始めていた。
「なんの騒ぎですか」
ジョンはふいに聞こえた声に顔を上げる。髪を纏め、着物姿のナズナが不愉快そうな面持ちでやって来るところだった。
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