7-1.
「ふぅ……」
一つ溜め息をつき、黒地に椿文様の着物を体に着ける。黒は拒絶、椿は厄除けを表す。自身に影響を与えようとする外敵を阻む為に、彼女は好んでその着物を着込む。
「――ナズナ様」
寝室には自分一人だけの筈だった。その中に突如立ち昇った気配に、彼女――水無月ナズナは驚きはしなかった。彼ら『音殺し』の気配を検知するなど無理な話だ。それなのに一々驚いていては、こちらの身が持たない。
「どうしました」
ナズナは振り返らず、鏡台の前に座って髪を櫛で梳かしながら問う。その鏡の中にも、彼女の問いを受ける誰かの姿はなかった。
「彼らがエドに近付いてまいりました」
それでも声だけが部屋の中に響く。一体どこにどうやって姿を隠しているのか、考えたところで栓のない話だが、興味はある。……そんな事を考えながら、ナズナは姿なき声に耳を傾ける。
「狙い通り、ジョン・シャーロック・ホームズと接触する為でしょう」
「成程……」
彼らはジョン・シャーロック・ホームズと何が何でも接触したい筈。だが、それはこちらも同じだ。
「手筈通りに動きます。貴方は彼らの行動をつつがなく見張っていて下さい」
「御意」
その短い頷きを最後に、声は消えた。
ナズナは再び「ふぅ」と溜め息を付くと、簪を手に取って――、
「…………」
しばし、手の中にある簪に目を止めた。
それは「恋仲」である金田一コウスケから贈られた物だった。城下町で彼が見繕ったらしい。椿の揺れ物の付いた黒い簪は、初めて会った時に着ていた着物と同じ柄と色の組み合わせ。彼の中では随分と印象的だったようで、街でその簪を見た途端、ナズナを思い出していつの間にか購入していたそうな……。
――「あの、これ……」
――「なんですか?」
――「もし良かったら……。その、似合うかなと思いまして……」
女性に対し贈り物など初めての行為だと言う彼が、おずおずと包みを取り出す姿は可愛らしくて、思い出す度に口元が綻んでしまう。鏡に映っている自分の顔を見て、ナズナはまたはにかんでいる自分を顧みた。けれど、こうしている時間は暖かい気持ちで胸が一杯になって、とても心地が良かった。
コウスケとの関係は仕組まれたもの。より強い「縁」を生み出す為に用意された「恋人」だった。彼だってそれを分かっている筈なのに、それでも贈り物を用意しようとするところに彼の人間臭さが垣間見える。例え一時の仲であれど、そう割り切った付き合い方を出来ない不器用さを愛おしく感じてしまうのは、果たして惚気なのだろうか。
彼女もまた、彼と言葉を交わす時間を大事にしていた。最初はぎごちなく業務的であったその遣り取りも、今では自然と笑みを浮かべてしまうくらい、ほっこりする暖かな時間となっていた。
英国からこちらへ戻って来た彼の顔付きは硬く、きっとあれが仕事姿なのだろう。普段と違い、なんと言うか、キリッと研ぎ澄まされたような感じは格好良かったなあ――などと考えてから、ナズナはハッとなった。一体何を考えているのか、恥ずかしい……。彼女はまた溜め息を付いてから、余計な事を考えないように素早く髪を結わえた。
そして、立ち上がってから、開いてた障子を閉めようと窓に近付いた。
「……おや」
窓の向こうに見えた人影に目を止める。一人で一体どこへ向かおうとしているのだろうか、あの客人は。正直、部屋で大人しくしていて貰いたいものだが……。まあ、あまり素行の良い人間とも思えないから仕方がないだろう。ナズナは目にした人影を追うようにして、部屋を後にした。
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