6-2.
「聖下……!」
驚きを禁じ得ず、ジャンヌはルーアハを仰ぎ見る。ルーアハは軽く手を挙げて、
「ああ、頭を下げず、そのままでいて下さい。今は私に構う場面ではないでしょう」
ルーアハは歩きながら、「よいしょ」と隅から椅子を持ち上げて運ぶ。慌てた様子で『聖人』の従者達が手伝おうとするが、それも断って、
「遠い土地から遥々お越し下さった皆様へ挨拶が遅れてしまった事、深くお詫び申し上げます」ルーアハは胸に手を当てて、頭を下げる。「どうしても『会議』の様子が気になって、ついやって来てしまいました。ジャンヌはまだ若輩の身、皆様にご迷惑を掛けてやいないかと心配で」
ジャンヌは頬を赤くし、思わず俯いた。ジャネットは彼女のそんな様子を見るのが初めてで、目を丸くする。
「ああ、ごめんよ、ジャンヌ」ジャンヌの様子を見たルーアハが慌てたように、「君に恥をかかせるつもりで言ったんじゃないんだ。ごめんね。ただ純粋に心配だっただけなんだ」
困ったように笑い、頬を掻くルーアハからは「教皇」という権威が醸し出すだろう重圧さを感じなかった。まるで家族――、それこそ兄か姉のような雰囲気が、緊迫しつつあった室内の空気を柔らかくさせていた。
「まさか聖下がお目見えになられるとは……」
呆気に取られたかのようにリンカーンが口を半開きにする。彼の驚きは尤もで、教皇とは滅多に対面出来ない、それは例え王族であろうとも。彼はルーアハの若々しい姿が自身の想像と酷く喰い違っていて、二の句を継げなかった。
「聖下、久方振りでございます」
しかし、そんな中でも鋼鉄の皇帝イヴァンだけは違った。表情こそ硬く畏まっていたが、その瞳に臆したような素振りはなかった。先と変わらぬ張りのある声を発し、それにルーアハは微笑みを以て答える。
「お久振りです、イヴァン殿。確か、前回の『国際会議』以来になりますか。変わらず健在のようで何よりです」
「聖下もあの頃と何一つ変わらぬ様子で、安心致しました」
何一つ変わらない――。ジャネットは雷帝の言い回しに少し首を傾げた。前回の『国際会議』は十年以上前だ。人は歳を取る、だから「変わらない」などあり得ない。謙遜や世辞かと思ったが、しかし彼の口振りはまるで皮肉めいていたような……?
「さて、聖下。貴方は聖ジャンヌの提言をご存知か」
「はい、そして私は賛成しましたよ、貴方達と同様に」
ルーアハは事もなげに言う。まるで近所を散歩するかのような気楽さは、どうしたってこの場にはそぐわなかった。
雷帝は目を吊り上げて、
「勝てるとお思いか」
「勝てるさ、悪魔など我ら『教会』に駆逐出来ぬ事はない」ルーアハは立ち上がり、くつくつと笑った。「七体の天使が地上に降り立った。何度も言うが、こんな奇蹟は今までの人類史になかった事だ。言うなれば、最大の戦力をヒトは有している。これを好機と捉えなくて、どうすると言うのです」
ルーアハは王族全員を睥睨し、
「それに、時間はもうないのだと、既に貴方達は分かっているのでしょう?」
その言葉に、東の果てにある皇国の皇女、水無月アジサイが思わず口元を歪めた。
まったく持って怖ろしい、全てお見通しだとでも言うのか。わたくし達がニンゲンのカウントダウンが始まった事を把握しているのを、何故知っている。
「かつてと同じです。かつて三度あった人類の危機。三度凌いで来たのです、四度目もまた同じです。――我々はこの試練に打ち勝つのです」
「……『教会』を戦力として投入する事は当然ですが、」
ルーアハから言葉を預かるようにして、ジャンヌが口を開く。皆の目が注がれる中、彼女は毅然とした目をして、
「私は各国と協力して、『地獄攻略』に臨みたい。『教会』だけでなく、私は『世界』が一つになって挑みたいと願います」
共通の敵を倒す為に皆が手を取り合い、文化や言葉も違う人間を一つの意思の元に纏め上げ、共に戦いたい。――そんなジャンヌの願いを「稚拙だ」と、「幼稚だ」と判じた心が幾つあっただろう。
人は人と争う、競う、戦う、そして殺し合う。本来何もない筈の土地に、山に、海に線を引き、「国」と称して領土を分配したのは一体どうしてだろうか。その線引きのペンを握る為に一体幾らの血が流れただろう。涙、悲鳴、怨嗟、憎悪、憤怒――それらを「正義」と定め、恐怖を押し殺して引き金を引いて来たのが「人類」だ。積み上げて来た死体の山が「人類史」だ。
それを知っているであろう――、誰よりも分かっているであろう『聖女』は、だからこそ願う。ヒトの魂は垣根を越えて手を取り合える筈だと。その第一歩をこの戦いで踏める筈だと。
ジャンヌの願いに――、手を叩いて答えたのは、彼女の隣に座る法国の王妃、マリー・アントワネットだった。
「人に愛を、友愛を。わたしは貴女の願いを素敵だと思うわ、ジャンヌ」
「ありがとうございます」
頭を下げるジャンヌに、ニコリと花のような笑みで頷くと、マリーは円卓の前に座る皆に目を向けた。
「皆さん、犠牲の心配や不安に苛まれるのは仕方ないと思うけど、それでも成功した時の事を考えても良いのではないかしら」
「……確かに地獄を制圧出来れば、わたし達はもう悪魔に怯えなくて済む――」
更には魔人王の責も無いものとなるのでは。そう考えた砂漠の国、以国の女王バト・シェバは藁にも縋る思いでジャンヌとマリーに賛成の意を投じた。
「そんな都合のいい話ではないだろうッ! 貴様らは腑抜けか? どこに成功の保証があると言うのだ!」
しかし、頑として雷帝は意思を曲げなかった。円卓を大きな拳で叩き付け、身を乗り出して女王二人に言葉を突き付けた。
それでも流れは変わった。『地獄攻略』に賛成を示しながらも、誰もが協力を惜しんでいた中、少なくと法国と以国は意思を変えた。その切っ掛けは紛れもなく、突然現れた教皇、ルーアハの存在だ。ジャネットは彼、若しくは彼女に思わず目を向ける。
ルーアハは笑っていた。口元に微笑を浮かべ、目の前で交わされる言葉の応酬を、いっそ楽しんでいるかのようだった。――ソレに思わず恐怖を覚えたのは何故か、ジャネットには分からなかった。
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