5-2.

 相変わらず隙のない立ち姿。動かないコウスケは完全に待ちの姿勢だ。しかし、今度のジョンは躊躇わず前に出た。


 コウスケは踏み込みと共に射出されるジョンの左拳を見入る。今度は逃さない。左拳は――しかし前に出ず、戻る。続いて撃ち込まれるのは右か、左か。コウスケは視界を広く保ち、ジョンの全身の挙動を見る。右肩が動く――が、反転。飛び出して来たのは再びの左。弧を描いて迫る左拳にコウスケは体を合わせる。ジョンの左拳を、コウスケは体を回す事で躱すと、彼の手首を自身の右手で掴み、肘に左手を添えるようにして彼の左腕を封じた。


 ジョンは手首と肘の関節を押さえられ、左腕が一本の棒と化した。関節から走る痛みに、彼は歯を食い縛る。

 コウスケはそれだけに留まらず、ジョンの腕を力強く引く。自身を芯とするように、円状に回って彼の体を振り回す。


 ジョンは抗えず、それどころか自身の肩によって内側から押し込まれるようにして、体を勝手に動かされる。自分の体は自身の制御から離れた。ジョンはコウスケに振り回されるがままになっていた。時計回りに振り回される体が――、急激に反転。その勢いに体は付いて来ず、ジョンは縺れそうになる足をなんとか堪える事しか出来なかった。意識は体を安定させる事だけにしか向けられなかった。


 そんなジョンを、体を反転させたコウスケは意のままに操る。右回――からの急激な左回への反転、ジョンは自分の体が暴走したかのような感覚に陥るだろう。コウスケはジョンを人形のように操り、自身の背で彼の体を押し上げ、いとも容易く床へと投げ付けた。


「――――」

 ジョンは高速で変化する視界に理解が及ばず、気が付いたら床に背を叩き付けられていた。走る衝撃と痛みで結果しか判別出来ず、そこに至るまでの過程が全く分からない。まるで自分の体が自分の物でなくなったかのような感覚に、ジョンは困惑以外を持ち得なかった。

 肉体は完全に制御を失った。自身の中で「力」が振り回され、暴れ回る感覚だけが絶えず残り続ける。そして、その「力」を操れていたのはコウスケだった。


 ――それは理知の向こうにある術理。ジョンは身を以て味わったこの国の技に、ただ只管に感銘した。と同時に、体に残るこの感覚には奇妙な既視感があった。

「……おかしいな、コレ、知ってるぞ……」

 ジョンは体を起こしながら、呻くように呟く。


 相手の動きを読み切り、相手の推力に自分の力を上乗せる。そうして相手を投げ、捕らえ、締め、押さえ、無力化したところを拳で仕留める。自分が越えなければならないと定めた壁――、父、シャーロック・ホームズが好んで使用した技に似ている気がした。


「それはそうだろう――」モリヘイが髭を擦りながら頷く。「ほれ、あの壁を見てみなさい」

 翁師が指差す壁には、名の書かれた木製の札が並んでいた。その名札掛けに名のある者は翁師に皆伝を受けた事を示し、その中には「しゃあろっく・ほうむず」と「じょん・わとそん」の名があった。

「――――」

 ジョンはそれを見て目を見張り、言葉を失くした。鳥肌に襲われながら、食い入るようにその名札を見入った。


 ――――ここだ。

 ジョンは確信する。親父の――、親父達の強さの原点、その一つがここにある。


「ほうむずさん、貴方の父とその友人がこの道場で唯一、外国人で皆伝を受けた者だ」

「……親父は、ここで貴方に技を教わったのですか?」

「左様」モリヘイはにこやかに笑いながら、「今までの弟子の中でもずば抜けて優秀な二人だった」

 そうだろうな。ジョンは口を開かないまでも、誇らしい気持ちになった。彼はそのまま翁師に向かって頭を下げた。

「僕にもご教授頂けますか」

「勿論、門を叩く者は拒まないが、」翁師はなぜか苦笑染みたものを浮かべ、「既に君は父上から多くを学んでいる筈だ」

 それは――、そうだ。ジョンの基本骨子は父とその友から教わったもの。だから、ジョンの技術には既に自分の血が通っていると、翁師は言う。


「わたしの言葉はもう君の中にある筈だ。それに君の目なら、この場の鍛錬を見ているだけでも多くのものを手に入れられるだろう」

 翁師の確信めいた物言いを、ジョンはどこか不気味に感じた。この短い時間の邂逅の中で、彼は一体何を見出したのだろう。


 ジョンはコウスケとモリヘイに礼を言い、道場の中を見渡せる隅にまで移動した。やがて始まった弟子達の稽古を眺め始める。

 メアリーはジョンの隣に座り、彼の横顔を見詰める。彼の顔に表情はなく、目だけが獲物を狙う鷹のように鋭く光っていた。――本当に真剣な時の目だ。メアリーは喋り掛けようとしていた口を閉じた。

 お兄ちゃんが簡単に投げ飛ばされちゃった……。メアリーは先に繰り広げられた光景を信じられなかった。人間が翻弄され、あんな風にいとも容易く投げ飛ばされるなんて、まるで重力がなくなってしまったかのようだった。メアリーの目にはまさしくそう見えて、何が起こったのかまるで分からなかった。


「ねえ、お兄――」

 どうしても訊きたくなって、メアリーは思わずジョンに振り返った。

 だが、彼はメアリーの声に気付きもせず、やはり喰い入るように稽古の様子を目に映していた。その姿は実に楽しそうで、メアリーはなんだか笑ってしまった。


 そして約二時間、ジョンは目の前で行われる稽古を見学した。その間、彼は一言も発さなかった。生徒達はそんな彼を不気味に思い、遠巻きにしながら稽古を続け、やがて翁師に礼をしてから道場を後にしていった。

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