4-6.

 分からないものは考えたところで堂々巡りになるだけだ。ジョンは意識を切り替えて、現実――現状に視線を向ける。

「アジサイさんはあの悪魔の事を一言も口にしていませんでしたが……」

 ジョンの一言に、ナズナはいっそ泣きそうな顔になって頭を下げた。

「それについては申し開きようがありません。姉の不手際に他なりません。誠に申し訳ありません……」

 ナズナはそう言ったが――、果たしてどうなのだろう。アジサイがあの悪魔について口にしなかったのは、何か意図があったのではなかろうか。帝も同じような事を言っていた事もあり、ジョンはどこか腑に落ちなかった。


 あの女は強かだ。ジョンは『国際会議』での姿から、彼女がただ者でないと感じていた。そんな彼女が自国の王のすぐ傍に悪魔がいる事を黙っているなんて、何か企みがある気がしてならない。その企みの全容までは見えないが……。


「あの人は、ここではなんて呼ばれているんですか?」

 唐突に、メアリーがナズナへそう尋ねた。皇国の言葉を話せない彼女は英語を用いたが、ナズナは戸惑う様子もなく頷き、

「彼女は――、タマモと名乗りました。中華にいた頃とは名を変え、皇国に隠れ潜もうとしていたようですが、それも叶わなかったようですね」

 タマモ……、それにダッキか……。ジョンは記憶を探すが、『教会』から手配を受けている魔人の中にそんな名はなかった筈だ。探偵や『教会』の目から長年逃れ続けて来たのは、彼女が今まで王などの傍を隠れ蓑にしてきたからか。


「綺麗な人だった……」

 メアリーがポツリと零した言葉に、ジョンは彼女の頭をコツンと叩いた。

「探偵の助手が悪魔の見た目に惑わされてどうする。しっかりしろよ」

「ご、ごめんなさい……」メアリーは慌てたように手を振り回し、「でも本当に、綺麗だなあって思って。それだけだよ、お兄ちゃん」

「なら、いいけどな」

 意地が悪そうに鼻であしらうジョンに対し、コウスケは興味深そうに、

「君に彼女はどう見えた。自分やホームズさんとは違った観点から、君には彼女が見えた筈だ」

 探偵は無意識でも意識的にも悪魔を「敵」と見定める。そればかりはどうしようもない事だ。だが、メアリーはどうだろう。まだ彼女は子供で、知らない事の方がずっと多い。そんな純粋無垢な目から、帝の傍にいる悪魔がどう見えたのか。コウスケはふいにそれが知りたくなった。


「……なんか、」メアリーは小さく――、切なそうに笑って、「まだ仲が良かった頃の、お父さんとお母さんを思い出した」


「…………」

 ジョンはメアリーの生い立ちを知っている。メアリーはかつて「ブラッディ・エンジェル」と噂されていた。曰く、彼女の周りでは人がよく死ぬ――と。


 彼女は悪魔や不幸を呼び寄せる。それは彼女の心と結びついていて、強い不安や恐怖を抱けば、彼女を「窓」として悪魔達がコチラへ顔を覗かせる。そんな彼女を、ベルゼブブは『特異点』と呼んだ。

 ベルゼブブはメアリーに強い執着を見せていた。大悪魔が手にしたいと狙う『特異点』なるモノが一体なんなのか。ジョンは可能な限り調べたが、それでも答えを見つけ出せなかった。

 一つヒントに繋がるとすれば、「切り裂きジャック事件」解決の折に同席したジャンヌが『特異点』という言葉に対し、怯えのような顔を見せた事だった。『聖人』である彼女が警戒するに足る悪性が『特異点』なのだとすれば、それは恐らく世界にとっての脅威だろう。


「普通の夫婦に見えたと言う事か」

「そう、です」メアリーはコウスケの鋭い視線にたじろぎながらも頷いた。「あの人達の間に、良くないモノは感じ取れなかった……」

「ホームズさんはどう思う。貴方の『傷』は悪意や敵意に反応すると仰っていた筈だが」

「……流血はしました」ジョンは右手首に刻まれた傷を見遣る。「けれど……、そうですね、あの悪魔が僕に向けて敵意を向けた感触はなかった」

 むしろ敵意は帝から向けられた。彼は妻を守る為に前に出た。それではまるで、まるで本当に夫婦のようだ。


 悪魔が人間を愛し、人間が悪魔を愛す。……まるでお伽噺に謳われるような禁断の恋。


 ジョンは悪魔を「敵」としか認識していない。全ての悪魔は打ち倒すべき害悪であり、愛情はおろか、親しみを抱く事など出来はしない。ジョンはそんな自分の常識と真反対な二人の姿に動揺している事をようやく自覚した。


『彼女はわたしが「結界」を解除しない限り、永遠にあそこから動けない。それは絶対不変の理なのだよ』

 またも突然降り注いだセイメイの声に、ジョンはビクッと体を揺らす。心臓に悪りい奴だ、驚かせやがって……。ジョンは胸中で呟きながら、空中を舞う折り鶴を睨む。

「それは帝の首に常に刃物を押し当てられているのと同じ状況なのでは?」

『そういう捉え方も出来る』折り鶴は滑るように宙を浮きながら、『だが、彼女が帝へ嫁いでから既に半年以上経っている。脅し続けるにしても、幾らか時間を掛け過ぎなのでは?』


 半年以上前からこの状況に陥っている事実に、ジョンは頭が痛くなった。あの悪魔がどのようなチカラを持っているかは分からないが、彼女の退治を阻んでいるのはこの国の頂にいる帝なのだ。それはどんな異能よりも厄介だった。


『彼女が妙な真似をすれば、わたしが即座に首を刎ねる。あの「結界」の中にいる限り、彼女はまさしくわたしの手の平の上。脅迫しているのは、むしろわたしの方なのだよ』

 だから彼女は動けない――否、帝との愛の巣を守る為に動かないのかも知れない。セイメイはそう言うと、折り鶴を動かしてハートを描いて見せた。ジョンは沸き上がった苛立ちから思わず眉をひそめた。


「ホームズさん、タマモが気掛かりなのは分かりますが、貴方への依頼はあくまでも『遺体』の回収です。なるべく早めに、出来れば『国際会議』中に『遺体』を取り返せれば重畳。意識を切り換えて頂けるとありがたい」

 コウスケの進言に、ジョンはしばし黙り込み、長考の末に「……分かりました」と頷いた。

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