4-5.

 英国の時間ではまだ正午前だが、皇国はすっかり夜だった。「一先ず食事と致しましょう」とナズナに案内された部屋には、既に湯気立つ夕餉が用意されていた。


 米を主食とし、魚と野菜を中心とした質素な料理が膳の上に並んでいた。ナズナが給仕の女性達を下がらせると、彼女らは黙したまま、慇懃な動作で部屋を出て行った。

 ジョンとメアリーは席に着くが、見た事のない食器類に目を白黒させていた。ナズナが気付いて匙を用意させるまで、箸と呼ばれる二本一対の棒状の食器の持ち方で四苦八苦していた。

「配慮が足りず、申し訳ございません」

 ジョン達が食事を終えるや否や、ナズナが頭を下げる。「そんな詰まらない事で頭を下げないで下さい」とジョンは恐縮し、


「それよりもあの悪魔について教えて下さい」

 ジョンの最大の関心は后にあった。前のめりになるジョンを見、ナズナは頷いた。

「彼女は中華に於いてダッキと呼ばれ、王と共に暴政を敷いて酒池肉林に耽っていたそうです。しかし民衆に国を追われ、この地に逃れて来た。その後の中華は三つに分かれ、三つ巴の戦争になっている状態です」


 中華とは皇国から一つ海を越えた先にある大国だ。そこにある独自の体系で育てられた様々な武術があり、ジョンはそれらに魅了され続けて来た。いつか本物を見てみたいと思っていたが、まさか彼の国がそんな状態にあったとは。


「あいつが中華を分裂させた原因なら、この国も同じ目に遭うかも知れないですよね」

「ええ、そうです。わたくし達も同じ危惧を抱きました」ナズナは視線を下に下げ、「ですが、彼女を娶ったのは他ならぬ帝自身。彼が街に降りた際、彼女を見つけ、その場で城に連れて帰りました」

 それは誘拐の間違いなのでは……。ジョンはそう思ったが、口を噤んだ。

「彼女が悪魔だと発覚したのはそのすぐ後です。先の安倍セイメイが気付き、すぐに対処しようと動きましたが、それを止めたのも帝でした」

 ――「余の妻に手を出す事は、余以外に許されていない。下がれ、痴れ物共」。そう言って、帝はナズナ達に刀まで抜いて見せたと言う。

 ジョンは頭を掻き、

「彼は既に篭絡されているのでは?」

「セイメイ殿曰く、あり得ないそうです。帝は自らの意思で彼女と共にあると、彼は申しておりました」


 平行線となった帝とナズナ達の間の打開策として、悪魔が身動き出来ないよう封印を敷く事となった。しかし悪魔自身を縛り付けられはしなかった。だから帝と共に空間ごと『結界』を敷き、現状が出来上がったそうだ。

 結局、悪魔の傍に帝がいるのは変わらない。早急に倒してしまいたいところだが、帝は愛する妻との邪魔の入らない蜜月を楽しんでいるそうだ。


 ジョンはそんな妥協案を敷く現状に顔を顰める。そもそも、たまたま街にやって来た帝が潜伏していた大悪魔と出会うだなんて、偶然にしては出来過ぎだ。ジョンがそれを口にすると、

「……やはり、そう思われますか」

 ナズナはどことなく疲弊を感じさせる声でそう言った。彼女の中にも違和感が付き纏っていたのだろう。溜め息を付きながら、彼女は当時の事を思い出す。


 帝が街へ降りると言い出したのは、突然だった。市井の声を直に聞きに行くと言い出し、立ち上がった彼を止められる者が果たしていただろうか。勿論、彼の行動には何もおかしなところはない。言い出したのがあまりにも急過ぎて、周囲の人間の理解が追い付けなかっただけだった。

 だが――と、ナズナの記憶には影が走る。外へ出ると言い出す前、彼の下に訪れた人物を思い浮かべた。

 ――「少し、お時間を頂けませんか」。

 肌を見せない法衣、全てを見通すような艶やかな瞳……。万物から神性を見出すこの国に生まれた「聖人」――テンカイ。「政府」から何やら相談を受けたと語る彼女は、帰るその足で帝の下を訪れた。突然の来訪にも関わらず、彼女はそう言って、帝と二人きりで密談に入った。帝が街へ降りると言い出したのは、その密談の後だった。


 彼とテンカイが一体どんな会話を交わしたのかは、誰にも分からない。だが、帝の行動はテンカイの言葉を受けてのものだった筈だ。

 テンカイはマモンの潜伏を事前に知っていたのだろうか。だが、彼女にとっても大悪魔は天敵な筈だ。退治しに赴くならまだしも、祖国の帝と悪魔を鉢合わせにしようだなんて考えるだろうか。


 ……結局、答えは出ない。それを知るには帝とテンカイとの間で交わされた言葉を聞く以外にあり得ないが、最早そんな事は叶わない。


 ナズナはジョンへそう伝えると、また溜め息を付いた。ジョンは頭を掻いて、

「……余りにもタイミングが怪し過ぎる。テンカイに何か言われたから、帝は街に下りたんだ」

 しかし、一体どんな言葉だったのかが分からなければ、何も判断出来ない。くそ、結局「何も知らない」――ってか。ジョンは思わず舌打ちを鳴らした。

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