4-3.

『――その先はわたしがお話しよう』


「「!?」」

 突如、部屋の中に響いた知らない声に、ジョンとメアリーは目を丸くした。周囲に目を凝らしても自分達とナズナ、コウスケ以外の姿が見当たらなかった。


『ああ、申し訳ない。突然、声がすれば驚いてしまうものですよね。ははは』


「…………」

 ジョンの目元が剣呑に引き攣る。誰だか知らないが、笑い声から本気でこちらの反応を面白がっている気配を感じた。フザけろ、いい性格してるじゃねえか……と、ジョンは危険な笑みを口元に浮かべた。

 そんな彼の頬を風が撫でる。見れば、顔の前を紙を折って作られた鳥のようなモノが宙を舞っていた。

 なんだコレは――と、ジョンが浮遊するソレを指で小突いた。途端、まるで静電気のような衝撃が彼の体を襲い、思わずビクッと飛び上がった。


「折り鶴の、式神……――安倍晴明殿か」

 ジョンの様子には気付かず、そう呟いたコウスケがハッとなる。

「……セイメイ様、意地が悪いですよ」

 溜め息交じりのナズナの言葉に、しかし声は笑って返す。

『わたしはこういう人間なのでね、仕方がない』

 反省する気も改める気もゼロのようだ。ジョンは痺れの走る右手を振るいながら、こいつの事は恐らく好きになれないだろうなと予感した。

「あんた、誰だ? 無線でも使って喋ってんのか?」

『ハハハッ』ジョンの不機嫌な声を聞いて、それでも返って来たのは笑い声だった。『無線とは。なんとも平凡。そんな物を使わなくても、君らを英国からその部屋に送ったように声を飛ばす事は可能だよ』


「…………」

 ジョンから発せられる危険な雰囲気を感じ取り、メアリーは先んじて彼の服の裾を掴み、クイクイと引いた。それに気付いた彼は一先ず深呼吸をして、

「さっきの『結界』とやらはコウスケさんが仕掛けたものでは?」

『彼には陣を敷いて貰っただけだ。術自体はわたしの手に因るモノだ。わたしはこの国で最も優れた術師だからね、例え英国という遠い土地からでも、安全に君達をここまで送り届けられるわけだ』

 しれっと自画自賛を言葉に入れて来る辺り、本当に自分とは相容れないかも知れない。ジョンは言葉を交わしただけでここまで他人に反骨心を持てる事が初めてで、内心で驚きつつも苛立ちを隠せないでいた。


「……貴方が優れた術師であるのは認めますが、話が逸れています」ナズナはまた溜め息をついた。「ホームズ様、声だけで失礼ですが、彼は安部アベノセイメイ。陰陽――……いえ、祓魔師を勤め、この国の守護を担っております」

『どうも、よろしくお願い致す』

「…………どうも。ジョン・シャーロック・ホームズ、探偵です」

『はい、知っていますよ。ずっと見ていましたから』

 一々要らねえ口を挟むんじゃねえよ、イラつくなァ……。ジョンが胸中の苛立ちを表情に表す前に、またメアリーに裾を引かれた。我に返ったジョンは軽く咳払いをして、


「それで、この国が抱える問題と言うのは?」

『実際に目にして貰った方が早いと思うね。ナズナさん、案内を頼みますよ』

 セイメイの言葉を受け、ナズナは頷き、ジョンに向けて自分に付いて来るように言った。ジョンかとメアリーは荷物をそのままにして彼女に従い、コウスケを最後にする形で廊下へと踏み出した。


 建物の内部は窓が少なく、ところどころにランプが点けられていたが、全体的に薄暗かった。人の気配はなく、ギシギシと板張りの床が鳴く音が歩く度に鳴り響いていた。

 ジョンは小さな窓から垣間見た景色を頼りに、自分達がかなり高い階にいる事を知った。街だろうか、火のように揺れる明かりが遥か下方に広がっていた。

 メアリーは出発した時は朝だったのに、窓の外はすっかり陽が落ちている事に驚いていた。これが時差というヤツか……。後で日記を忘れずに付けなくては――などと考えながら、急勾配な階段を何度か上がる。どうやら最上階に向かっているらしく、そこに辿り着くとナズナは足を止めた。


 目の前には鶴や松が描かれた美しい襖が空間を閉じていた。その向こうに誰かがいる。最上階を住まいにするという事は、それなりの地位のある者……。ジョンはそこまで考え、緊張し始めた。

「ここにおりまするは、我が国の帝とその后で御座います」

 ホラ、来た。国の頭じゃねえか。ジョンは重たい息を吐いた。

「神無月様、お客様がお見えです」

 襖の前に跪いたナズナがそう声を掛けると、向こうから低い声が聞こえて来た。

「既に気付いている。襖を開けよ」

 ナズナが頷き、襖に手を掛けた。――途端、ジョンの体に鳥肌が走った。何か猛烈に嫌な予感がした。それが何かを考える暇もなく、襖が開かれた。


 襖の奥にいたのは、柄のない暗い紫色の和服を着流す男。腰まで伸びる黒く艶やかな髪が目を引く美丈夫が、床に投げ出した体を肘掛けに預けていた。黒い瞳が光らせる刀のような鋭さは射竦めた人を凍り付かせる迫力があった。頼りなさげな細い体から一切を呑み込むような迫力を迸らせる彼の名は、神無月彼岸カンナヅキヒガン。象徴として玉座に座す、皇国の天帝。


「ハ、貴様がホームズの息子か。どんな男かと思いきや、案外間抜けな顔をしておる」

 普段のジョンなら看過出来ないであろう言葉だった。けれど、彼は反応しなかった。彼の目は、帝の背後にいる女性に釘付けになっていた。


 帝の質素な服装と違い、赤を基調とした五衣唐衣裳と呼ばれる装束を着込んだ女性。華やかな衣装だがしかし、その華やかさすら彼女の美貌を彩る材料の一つに過ぎなかった。煌びやかな黄金色の髪を夫と同じ長さに流し、しかし彼とは異なり、怯えて揺れる瞳を客人達に向けていた。


 ジョンは彼女の美貌に思わず見惚れた――わけではない。


「そんなバカな――ッ」

 ジョンが絶句した彼女の姿。夫の陰に隠れてこちらを伺う彼女の瞳は――、血のように鮮やかな紅色だった。それだけにあらず、獣の耳のように広がった二対の角、被毛に溢れた九つの尾は、明らかに人間の姿からかけ離れていた。

「なんで悪魔がここにいる……ッッッ!」


 そう――、悪魔。紅い瞳は悪性の象徴。皇国の天帝の后が、まさか地獄の使い。


 ジョンは全身に刻まれた『聖痕』から奔る痛みなど意に介さずに床を蹴る。一足飛びに前に出ると、硬く握った拳を躊躇いなく悪魔に向かって振り落と、す――、


『――――愚かな』

 そう評したのは、未だ姿なきセイメイの声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る