4-2.

 ……ふいにコウスケの手が離れ、ジョンはどうしていいか分からなくなる。もう目を開けて良いのか、不味いのか。それを問おうと口を開いた時、また手を握られた。

「……?」

 先のコウスケのゴツゴツとした手と違い、柔らかくて冷たい。別の人間に手を握られている。ジョンはハッとして、思わず目を開けた。


 目の前にいたのは、アジサイ――ではなく、彼女そっくりな別の女性。前髪を目の上で、後ろ髪を肩辺りで切り揃えた漆黒の髪。黒地に赤い麻の葉を描いた着物を着た、たおやかな印象の女性はジョンと目が合うと、小さく笑ってから丁寧に頭を下げた。


「お初にお目にかかります、ジョン・シャーロック・ホームズ様。わたくしの名は水無月ナズナ。アジサイ様の愚妹で御座います」

「ああ、どうも……」

 ナズナの流暢な英語の挨拶に、ジョンは返事もそこそこに周囲へ視線を配る。


 目の前の景色はザ・タワー・ホテルの客室から一変していた。英国と異なり、木をふんだんに用いた建物の中にいた。草を織り込んで作ったような床材は不思議な感触を靴越しに与えた。扉は横にスライドさせるもので、薄い紙を貼り付けて作られていた。ジョンは後にそれらを「畳」、「襖」と皇国ならでは建築様式だと知るが、この時の彼が目にするもの全てが初めて尽くしだった。


 戸惑いの中にいるジョンの背後からドスンと何かを床に置く音がした。そちらへ振り返ると、コウスケがジョンとメアリーの荷物から手を離すところだった。

「ナズナ様、お久しぶりでございます。手筈通り、ジョン・シャーロック・ホームズ殿とその助手殿をお連れ致しました」

「はい、金田一様。お疲れ様で御座います。この後、貴方は如何様に?」

「しばらく二人と行動を共にする予定です」


「…………」

 ジョンはナズナとコウスケの話を聞きながら、今しがた自分達が出入りした扉に手を掛け、開く。その先にはザ・タワー・ホテルの客室――ではなく、板張りの廊下があった。

「What the fuck…」

 ジョンの不意の呟きに、コウスケが「止む無し」と息を吐く。

「ホームズさん、混乱だらけではあるだろうが、貴方は『結界』で繋がったホテルの客室からこの部屋にやって来ただけだ。魔法のようだが、そういうモノだと理解した方が心は休まる」

 そんな訳にいくかと、ジョンは刃向うように口を開く。

「僕にだって未知のモノはたくさんある。だけど、コレはいくらなんでも常軌を逸している。天使や悪魔の仕業だと言われた方がまだ納得出来る程だ」


「天使や悪魔――か」

 コウスケは妙な面持ちでそう呟き、ナズナに振り返った。彼女は「構いませんよ」と頷いた。

「天使や悪魔の仕業と言うのは、言い得て妙かも知れない」

「あン?」

 ジョンは目を吊り上げる。隣に立つメアリーはそんな彼の手を強く握った。

「お兄ちゃん、一先ずお話を聞こうよ」

「…………」

 メアリーにそう言われ、ジョンはバツの悪そうな顔をして天井を見上げた。視界に広がる鮮やかな木目に向けて嘆息してから、彼はコウスケに話の続きを促した。


「悪魔が『地獄』からコチラに向かう際、彼らは『縁』を道にする。大悪魔がコチラに来られないのは、長い年月の中でコチラ側に『縁』が失われてしまったからだ」

 道――、繋がり――、縁。モノとモノとを結ぶ見えない絆。依り代との関係性が深いモノであればある程、強固な道となる。

「あいつらと同じ術だって事か?」

 嫌悪感を露骨に顔に出し、ジョンの目がますます吊り上がる。コウスケはしかし、物怖じした様子もなく、

「いや、違う。彼らも自分達も『世界』に敷かれた機構を利用しているに過ぎない。それを理解出来ているか否か――、信じられているか否かの問題だ」


 神と星が敷いた世界の構造。言わば「ルール」なのだと、コウスケは続けた。ルールを用いる事で常識を逸した所業を成し得るのだと。


「『縁』を道にする。『世界』を切り分ける。ソレらを『可能』と定義されている限り、この世界ではソレらが可能なんだ」


 ヒトに――、生き物に与えられた異能のチカラは数多くある。ソレらを用いる事が出来るのは、そもそもそうする事を許可されているから。世界の「構造」として許されているからだ。

 それは『十字架』だって同じかも知れない。ジョンは右手首に刻まれた『聖痕』を見詰める。疑似的な聖遺物を具現化する事で「彼の人」と似たような奇蹟を成す。コレはそういう異能のチカラなのか。

 そして、その「構造」を知り得たのは、古から生き延び、これまでに繋いで来た王族達だった。手に入れた情報を、彼はは秘伝として代々、親から子へと伝えて来た。


「各国の王族は、条件さえ揃えば悪魔達がいつだってこちらに来られる事を知っている。だから、恐らくジャンヌ様の『地獄攻略』に際し、王族達は皆、賛成の意を唱えるでしょう」

 ナズナはそう言うと、俯いて息を吐いた。

「なんだと……」

 対し、ジョンはナズナの言葉に息を止める。ジャンヌが『国際会議』にて提唱した「地獄攻略」は可決されると言う。彼はそんなバカバカしい話はないと高を括っていたからだ。

「本当に『地獄』を攻め入るって言うのか。夢物語もいいとこだ」


 異界に赴くだなんて、フィクションの域を出ない。けれど自分は今、英国から皇国へと、ただ一枚の扉を隔てただけで辿り着いたのだ。まさか同じように、なんの変哲もない扉を開け、一歩踏み出すだけで何も知らない世界へ踏み出せると言うのか。


「いや――、」コウスケは首を振り、「同じ世界ならまだしも『地獄』のような異界へ行こうと言うのなら、こんな風に簡単にはいかない」

「……アジサイさんの言っていた、『扉』の話か」

 ジョンの言葉に、コウスケは頷き、


「異界へ行くなら、正式な『扉』を使う他ない。悪魔達はソレが使えないから、彼ら自身の肉体を伴ってコチラに来られないんだ。だから、魂――霊体だけでコチラに来て、何かに取り憑いて肉体を得ようとする。そうして生まれるのが魔人だ」


「その『扉』ってのは、一体どこに?」

「分からない」再び、コウスケは首を振った。「地獄ないし天国への『扉』の存在を示す伝説は世界各地に数多くあるが、未だに発見には至っていない。しかし、聖ジャンヌがああ仰った以上、『教会』の上層部は既に手中に収めているのかも知れない」

「若しくは、他国の王族が秘密裏に保護していたか――、ですわ」ナズナの言葉にジョンとコウスケが振り返る。「『扉』についての伝承はもう一つあります。『扉』を開く為に必要な通行料です」

 ジョンは「通行料」という言葉に、神に捧げられる生贄の類を連想した。「似たようなモノかも知れません」とナズナは否定も肯定もしなかった。

「詳細については『扉』自体と同様、不明です。ですが、姉は『遺体』がソレに適うのではないか、そうお考えです」

「成程……」

 ジョンは独り言ちる。話が繋がった気がした。しかしそうなると、アジサイはジャンヌの提言を聞く以前から、『遺体』を確保する為に動き出していた事になる。彼女をそうさせた理由とは一体なんだろう。


「ああ、ソレは――、」

 ナズナはチラリとコウスケを見た。視線を受け、コウスケは首を振る。

「……皇女は何も告げなかった」

「そうですか……」

 ナズナは仕方なさそうに息を吐いた。一連のやり取りにジョンは眉をひそめた。

「なんの話ですか」


「今、我が国は、」ナズナは酷く言い難そうに、「ある大変な問題を抱えています」

 どうも遺体とはまた別の話のようだ。ジョンは彼女達の様子からキナ臭さを感じ取った。

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