4-1.
翌朝、ザ・タワー・ホテルのロビーにジョンとメアリーの姿はあった。ジョンが抱えるトランクケースに対し、メアリーは自分の身長と同じくらいの大きなスーツケースを引き摺っていた。
一体何が詰まっているのか、ジョンは敢えて聞かなかった。これも彼女にとって一つの経験。余計な口出しは控えておくべきだと思ったのだ。
「あら、大きな鞄ですね」
やって来たアジサイがメアリーの鞄に目を止めると、挨拶よりも先に驚きと共にそう言った。彼女の後ろにはやはりと言うか、コゴロウの姿もあった。
「何を持っていけば分からなくて、でも後悔したら嫌だなあと思ったら、こんな風になっちゃいました……」
バツの悪そうな顔色でメアリーが体を縮める。アジサイは愉快そうに笑いながら、
「可愛らしい助手さんですね、ホームズ様。――改めて、おはようございます。依頼をお受けして下さり、誠に感謝致します」
恭しく頭を下げるアジサイを制し、ジョンは口を開く。
「これでも探偵の端くれですから。例の『遺体』を奪った連中の仔細を調べ、そして取り返す。それでいいんですよね?」
ジョンの再確認に、アジサイは「はい」と深く頷いた。
「貴方ならきっと成し遂げられると信じております」
彼女が浮かべる笑顔に嘘偽りなど見当たらない。悪意も害意も感じ取れない。けれど、綺麗な花には毒があるように、その笑顔を信じ切れないのはなぜなのだろう。ジョンは胸に残るしこりを取り除きたくて息を吐いた。
ジョンはアジサイに続いて彼女の客室へと向かう。その中で、荷物を伴う移動に四苦八苦していたメアリーから半ば強引に鞄を奪い取った。
「だ、大丈夫だよ、お兄ちゃん。自分の分くらい、自分で持てるよ……!」
「気にすんな。代わりに僕の鞄を持ってくれりゃあいいよ」
鞄を交換して持ち運ぶ事になった二人がアジサイ達の部屋に入る。そこには相も変わらず仏頂面のコウスケもいた。
「おはよう、二人共。こちらは準備出来ている」
「準備と言うと……?」
首を傾げるジョンを尻目に、アジサイとコゴロウは椅子に座って茶を楽しんでいた。
「ホームズ君、コウスケに任せておけば大丈夫だよ」
「…………」
コゴロウの言葉を胡散臭そうに受け止めながら、ジョンは尚も首を傾げる。これから皇国に向かう筈なのに、そもそも何故この部屋に集まらなければならないのか。
「英国から皇国に向かうのに、乗り物は使わない」
言いながら、コウスケはジョン達を中心に白い紐で正方形を描いていく。
「これは……?」
「『結界』――と言うモノだ。我々の国に古くから伝わる術式で、
ジョンは、コウスケが一体何を言っているのか分からなかった。
「コウスケが引いた紐を目で辿り、自分が立方体の中に囚われていると想像してみなさい」
コゴロウの言葉に顔を上げ、ジョンは言われた通り、見えない立方体に囲われた四角い空間を想像してみる。
「その立方体が『結界』。この世界から独立した、もう一つの仮想世界だ。切り分けられた
「……そんな事――」
――不可能だ。そう言おうとしたジョンを制すように、コゴロウは人差し指を自分の口元に立てて見せる。
「ソレをそういうモノだと認識し、信じる心が大事なのさ」
「…………」
ジョンは理解出来ないと首を振る。しかし、コウスケは淡々と、
「自分が敷いた『結界』は、縁を頼りに此方と彼方を繋げる。此方とは今、此処にある陣、彼方とは皇国に別の者が敷いた陣だ」
正方形を描く紐の一端は部屋の扉に触れていた。彼らの言う通りならば、その扉を含めた仮想空間は今や文字通りの別世界――。なら、その扉を開いた向こうには一体何があるのか?
「そして、貴方の手や額の傷に施されている印行。それだって我が国で培われた術理に因るものだ。その印、一体どこで誰から刻まれたものか」
「あァ……?」ジョンは思わず右手首の「聖痕」を振り返った。「……コレは親父共に『聖遺物』を打たれた時、刻んだ傷が癒えたりなんだり、変化しないようにと彫られたものだ」
「……お父上は皇国と縁がお在りか」
「……さあ」
ジョンの頭に『聖戦』終結後の父親の行方に対する推測が過ぎったが、それを口にすべきではないだろうと考えた。さも心当たりなどなさそうに首を傾げて見せながら、
「あいつが皇国の言葉や文化に精通していたのは、嫁――僕の母親が皇国から来た人間だからというのが、理由だった筈だ」
「その母上は、何らかの術師だったのか」
「……いや、分からない。母は僕を生んですぐに死んでしまったし、親父も詳しくは語らなかった」
コウスケはジョンの言葉を渋い顔をして頭を下げた。自分の言葉が母親の死を想起させる失言だと思ったのだろう。しかし、ジョンは気遣いは不用だと手を上げて見せた。
それにしても、コレが皇国に根付く代物とはね……。ジョンは改めて「傷」の周りを囲うにようにして彫られた印を見詰める。曲線を主として、どこか人の指が結び合ったようにも見える不思議な紋様は、昔から自分と共にあったものだが、そのルーツを知らなかった。
父とその親友に因って刻まれた「聖痕」と「呪印」。彼らが授けた最たるものについて、ジョンはなぜ授けられるに至ったかを知らない。余人が聞けば正気を疑うだろうが、ジョンにとっては彼らが「必要だ」と言うのなら、受け入れる事に躊躇う余地はなかった。それは信頼や信用に他ならないが、やはり余人とっては狂気染みていると言えた。
盲目的なまでの信頼、盲信的な信用……。他者を疑わない――疑えない、疑念を持つ発想すら生まれない状態に陥る事を、一般的に催眠、調教と呼ばれる。果たしてそうなってしまった者が、自分がそうである事を自覚出来る日は来るのだろうか……?
――ジョンは顔を上げると、再びコウスケへ目を向けた。彼の表情を見ている内に、ザ・タワー・ホテルに監禁された際にも彼が「聖痕」を見て、思案気にしていたのを思い出した。あの時から、彼は「呪印」について何やら思うところがあったらしい。
「では師匠、」コウスケは気を取り直すように、コゴロウへ言葉を向けた。「くれぐれも皇女や他の国の方々にご無礼がなきよう、ご留意下さい」
「……いや、お前はね、本当にわたしを一体なんだと思っているんだ」
コゴロウが溜め息をつきながらコウスケに歩み寄り、その耳元に口を近付けた。
「『十二花月』が手を組んで何かを企んでいる」コゴロウは、コウスケが何かしろの反応を示す前に早口で続ける。「皇女とその妹は同等だ。その意味を正しく受け止めろ」
「……?」
思わず訝しむように眉を潜めたコウスケの顔を――コゴロウはアジサイの目から自分の背で隠し、まるでこれからの健闘を祈るように弟子の肩を叩いた。
コウスケは師の顔を仰ぎ、その意を汲んだ。お前はあくまでも探偵としての立場を貫けと無言のまま諭され、彼は一度目を閉じて強く息を吐いた。
アジサイは彼らの様子に意識を向けなかった。コゴロウが努めてフザけた声音を上げていたからだろう。それが功を奏し、コゴロウの囁きが彼女の耳に届く事はなかった。
コウスケは肩に置かれたコゴロウの手を乱暴にどかすと、彼の背後に回ってアジサイと顔を合わせる。
「皇女、一時ではありますが、失礼致します。なるべく早く戻れるよう努力致します」
師からの言葉の全容は分からない。アジサイがいる前で全てを聞き取る事は出来ない。これ以上の深い内容は自分で探るしかない。……恐らくは師から弟子の課題めいたものなのだろうか。粋な真似をするじゃないか――と、胸の内で皮肉気な笑みを浮かべた。
コウスケはいつも通りの硬い表情をアジサイに向け、丁寧な所作で頭を下げる。アジサイもまた頭を下げて、
「ええ、よろしくお願いしますね。――それではホームズ様、メアリー様、幸多き旅であらん事を此処よりお祈り致します」
何故か別れの挨拶になっている、一体ココから何が出来ると言うのか。ジョンの頭の中は疑問で一杯だった。
「信じられないのであれば、二人共、目を閉じて自分に身を任せて貰えるか」
背後で扉に手を掛けるコウスケが、空いた手をジョンとメアリーに向けて差し出した。
「……何が何だか分からないが、貴方に付いて行けばいいんですよね?」
ジョンはメアリーの手を握る。メアリーは絶対に離さないと言わんばかりに、しっかと彼の手を掴む。
コウスケはジョンの問いに深く頷いた。それを見、ジョンは一度大きく深呼吸をした。
なるようになれ。ジョンは意を決し、コウスケの手を掴むと、メアリーと共に目を閉じた。そして二人はコウスケに手を引かれ、扉を潜り抜けた。
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