3-3.

「ジャネットにはもう伝えたいのかい、皇国の件は」

 ジェーンの病室からの帰り道の中、ヴィクターにそう尋ねられたジョンは「ん?」と声を上げてから、首を振った。

「いや、話す時間がないな」

「電話の一本くらい、君からしてやればいいのに」

「どうせゴチャゴチャうるせえし、それにあいつは『教会』の人間だ。皇国が一番黙っていて欲しい相手だろ。下手に話して、ジャンヌにでも漏れたらヤベえしな」

 ジョンも随分と仕事熱心になったものだ。ヴィクターは胸の内で感心しながら「そうかい」と頷いた。クライアントの身の上を案じ、公私を分けて考えられるようになっているというところだろうか。


「…………」

 ヴィクターは隣を歩くジョンの横顔を静かに伺う。銃弾に撃ち抜かれ、腕や脚を斬り落とされても、遂には死に至らなかった彼の体。ヴィクターは、彼がそんな異常な体質に変貌させられた己を「利用」してしまわないかが気掛かりだった。

 ジョンは勝つ為にならなんでも使う主義だ。自分自身をも道具と認識し、利用する事を躊躇わない。現実的で合理的な考え方は、戦士として優秀な判断力なのだろう。けれど、ヴィクターはそれを受け入れられないし、嫌悪する。……だからといって、ジョンが自分の気持ちなど知ったところで歯牙にもかけないだろう。


 だから、ヴィクターは溜め息を付く他なかった。それを耳に止めたジョンはチラリとだけ彼を見、「どうせまた余計な事まで考えてるんだろうな……」と胸の中で独り言ちた。

 彼の溜め息の原因が自分である事を、ジョンは気付いていた。彼には苦労を掛けっぱなしだ。それに感謝と謝罪が尽きないが、だからと言って、自分は道を曲げないだろう。彼と自分の恐らく一生交わらない平行線。その関係性で満足していた筈だったのは――、自分だけだっただろうか。


「…………」

 ジョンとヴィクター。憧れの人と義理の兄の背中を見詰めながら、ジュネは違和感に首を傾げる。両者の間に妙な隔たりを感じるのは気のせいだろうか。ずっと二人を見続けて来た彼女だけが気付ける程度の違和感だった。


 それでも彼女は気付けなかった。二人だって気付いていない。ジョンとヴィクター、二人の間にある溝はか細く、深かった。気付く事が出来る者がいるとすれば、それは己の無力を呪いながら、ただ只管に祈り続けるしかなかった誰か――――。


「お兄ちゃん、皇国に行くにしても、何を持っていけばいいのかな」

「……なんだろうな」

 ジョンはメアリーの問いを聞き、ヴィクターに振り返る。彼は「なんでボクを見るんだよ」と苦笑し、

「と言われても、海外渡航となるとボクにも経験がないからなあ。……向こうに渡ってしまえば、案外なんとかなるんじゃないかな」

 投げやりだなとジョンは睨むが、他人をとやかく言えた立場ではない。

「皇国がどういう国なのか、ほとんど情報もなく、耳にしても噂の域を出ない。物価とか物資とか、何があるのか、何を売っているのか見当もつかないからねえ」

「現地調達でいいって事か」

「まあ、未開の地に行こうってワケじゃない。それに王族たっての依頼なんだろう? だったら、手厚い手当てを受けられるんじゃないかい」

「期待大だな。はてさてどうなる事やら」

 面白そうにジョンはニヤリと笑んで見せる。不安で胸が一杯のメアリーは、助けを請うようにジュネを見上げる。


「あんたら、ちゃんとメアリーの為になる事を言いなさいよ」

 窘めるような彼女の一言に、ジョンとヴィクターが顔を見合わせて口をへの字に曲げた。

「……枕とか?」

「そうだね、枕が変わると眠れないなんて、良く聞く話じゃないか」

 知恵を振り絞ったジョンの答えを称賛するヴィクター。二人の姿を見て、ジュネは至極残念そうに溜め息を付いた。


「いつも飲んでる薬があれば忘れないように。皇国と英国は同じ北半球だから、こっちと同じように冬でしょうけど、気温がどの程度まで下がるか分からないわ。一、二枚多く上着を持って行きなさい」

 ジュネの言葉を聞きながら、自分がアジサイ達に皇国の環境について質問するべきだったなとジョンは反省する。こういった発想は、ジュネが記者として色んな所へ駆けずり回っているからこそ得られた知識かも知れないが、彼は季節や気候がどうなっているかなんて考え付きもしなかった。


 ――何も知らない土地へ赴く。ジョンはその事実を改めて突き付けられた気がした。とは言っても、自分は自分に出来る事をするだけだ。色々考えたところで、結局は出たとこ勝負、物事はなるようにしかならない。ジョンは極力シンプルに物事を考える。悩み過ぎる性分ではないのもあるが、目標に向けて行動を単一化する事で余計な些事が混じっても対応出来る余力を残しておきたいという考え方だった。

 今までのやり方が今回の事件も通るのかは不明だ。ジョンは不安がないとは言えないが、それ以上に見知らぬ土地へ立つ好奇心の方が強い。未知のモノを目にする事が出来る機会は貴重だ。一体何を見られるのか、触れられるのか、ワクワクする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る