3-1.

「はあ? 皇国に行く事になったあ?」

 そう素っ頓狂な声を上げたのは、前夜祭と同じグレーのスーツを着たヴィクターだった。


「一体全体どうしてそんな事になったのよ」

 驚いているのはジュネも同じだった。彼女は仕事用の上品そうなスーツを着たまま、『会議』の会場から離れ、ジェーンの病室を訪れていた。


「…………」

 部屋の主であるジェーンは背を立たせ、驚いたように目を丸くしたまま、乱れそうになる呼吸を整えようとマスクを着けた。


「……皇国の皇女からのお達しだよ。あの場で宣言した『彼の人』の遺体は、実は盗まれてました――なんてフザけた事を抜かしやがった」

「……大丈夫なの、あの国?」

 ジュネの言葉を、ごもっともな意見だとジョンも思った。やる事が適当なのか、それとも作為的なのかすら判断出来ない。だからこそ、恐怖すら湧く。


「……本当に行っちゃうの?」

 ようやくマスクを外したジェーンが、掠れた声でジョンに尋ねた。彼は振り返ると、

「ああ、行くって答えたからな。まあ心配すんなよ、なんとかなるって」

「そうだよ、大丈夫だよ、お姉ちゃん。わたしも一緒に行くからねっ」

 胸を張り、そう答えるメアリーだが、その顔色はあまりよろしくない。初めての海外、言葉も通じない国外など彼女には想像の範囲外だろう。


 境遇はメアリーと同じでも、ジョンはそれほど緊張してなかった。彼は薄いながらも、皇国と繋がりがある。彼の母親は皇国人だった。彼女が遺した書籍や写真、父から習った皇国の言語などが彼の中の緊張を薄めていた。

 両親は英国で出会った。どういう経緯があって、彼らが結ばれたのか、ジョンは知らない。シャーロックが語らなかったので、ジョンも敢えて彼に尋ねなかった。だから、母について知っている事は少なかった。


「顔も知らねえ祖父母に会えるかもな」

 ジョンはそんな風に嘯き、ジェーンに向けて柔らかく笑んだ。

 しかし、尚もジェーンの顔付きは晴れない。ベッドをぽんぽんと二度叩いて、ジョンへ近くに来てほしいと呼んで見せた。

「どうした?」

「…………」

 ジョンの問いに、ジェーンは彼の手を握り締めて答えない。ジョンは困ったように頭を掻いた。

「……早く帰って来てね」

 やがてジェーンがポツリと呟いた。それを聞いたジョンは頭を掻く手を止めて固まり、「お、応……」と遅れて答えた。駄々をこねて甘えたような事を言ってしまったと気付いたジェーンは俯き、恥ずかしそうに頬を赤らめた。

「善処するよ、なるべくだけどな」

 しかし、彼女の様子に気付かないジョンは、いつものようにぶっきらぼうな調子でそう答えた。


「なんでジョンがその遺体を取り返しに行く事になったの?」

 取り繕うようにして、ジェーンが次なる問いを口にする。だが、そう言われたところでジョンにも分からなかった。

「自分達の国の人材じゃ解決出来そうにないから、他所の奴に頼みたい……とかなんとか言ってたけど、多分それは詭弁だ。恐らく僕でなきゃならない理由があると思う」

「……ジョン、その依頼、本当に受けて大丈夫かい? それを聞くと、ボクは何かの罠なんじゃないかと勘繰ってしまうけれど」

 ヴィクターの言葉に、ジョンは頷く。彼がそう考えてしまう気持ちは分かる、ジョンだって同じ印象を抱いたのだ。

「それでも、手に入るモノに価値はあると僕は踏んだ。例の『地獄攻略』に、僕も一枚噛めるようになるかも知れないしな」

「へえ。ジョンもアレに参加したいんだ」

 ジュネは意外そうに……いや、そうでもないなと思い直しながら、そう尋ねた。

「当たり前だろ」ジョンはむしろ目を丸くして、「借りを返したい奴がいるからな」

 ジョンはそう言いながらも、まさかそんなバカげた作戦が本当に実行される筈がないと踏んでいた。集まった王族達も途方もない案に賛成などしないだろう。とてもまともとは思えないリスクにわざわざ関わりたくはない。


 しかし、ジョンの言葉を聞いて、ジェーンはまた顔を曇らせた。また危険な事に身を投じようとしている……。彼の性分を考えれば仕方ないとは言え、彼女の心境は複雑だった。

 彼女はいつだって誰かが傷付く事を嫌い、むしろ怖れた。猪突猛進な姉と危険を顧みない幼馴染の二人が最大の悩みの種。彼らの無事を祈るばかりで何も出来ない自分を、彼女はずっと――――。


「…………」

 けれど、彼女は何も言わない、何も言えない。彼らの衝動を止める術を持つ者がこの世にいるだろうか。そう在りたいと願っても、結局、何も出来ないから自分は自分のままなのだと何度も何度も失望して来た。理想と現実は相容れない。果たして自分は彼らと同じ地平に立てているのか。自分は一体どこにいるのか。もう何も――、何も分からなくなる――。


 ワタシはいつまで経ってもこうなのだ何かを変えようと何かを変えたいと願い縋り祈り続けたけれど果たしてその声に誰が答えると言うのか己の願いを叶えたければ己の手を汚さない限り叶わないと理解している癖に今まで一体何をしてきた何もしていないからこそワタシはいつまで経っても待っている事しか出来ない死体になってまで叶えたかった願いはなんの為に血を流して彼を彼を彼を彼女を彼女を彼女を手に入らない祈りはもう要らない要らない要らないワタシは要らない要らない要らないならもうきっと壊れて怖くて乞われて焦がれて――――嗚呼、置いてイカれる。


 ジェーンは急に息苦しくなり、何度も息を吸ったり吐いたりを繰り返した。けれど、一向に良くならない。マスクを探し求めるも、手が固まったように動かなかった。

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