2-5.

 ――突然、響いた背後の足音。アジサイは目を見開き、バッと振り返った。

 彼女の目の前に、いつの間にか男が立っていた。全身に黒い装束を身に纏った男は頭巾まで被り、目元以外に一切の肌が見えなかった。


「……ハンゾウ君か。驚かせないでくれ」

 ややあって、思わず体を固めたコゴロウが安堵の吐息と共にそう言った。


 服部ハンゾウ。皇国の異端審問会である「NINJA」に所属する工作員の一人。どこから入って来たのかと問うのは野暮だろう。彼らに侵入出来ない場所はない。そういった技術を習得したからこそ、彼らは「異端審問会」なのだ。


「アジサイ様、至急お伝えしたい事があります」

 ハンゾウは跪くとそう言い、チラリとコゴロウとコウスケに目を向けた。

「ああ――」彼が何を言いたいのかを察したコゴロウがコウスケの肩に手を掛け、「我々はお邪魔のようだ。大人しく部屋の外へ退散しよう。ついでに食堂で何か食べて来ますよ」

「……では皇女、ハンゾウさん、失礼致します」

 コウスケは実に嫌そうにコゴロウの手を振り払い、彼を置いて部屋を後にする。それを追うようにして、慌ただしくコゴロウもまた部屋を出て行った。


「……さて、伝えたい事とは?」

「シモ・ヘイヘの拘束に成功し、今回の襲撃の経緯について答えを聞く事が出来ました」

「へえ……」アジサイは――いっそ残酷な冷笑を浮かべ、「作戦は上手く行きましたね。貴方の働きがあったこそです」

「勿体なきお言葉……」

 畏まって頭を下げるハンゾウ。しかし、シモ・ヘイヘの英国への密入国は彼の手によって成し得たものだった。結果、それが『教会』の監視下にあったシモ・ヘイヘを捕らえる為のものだったとしても。


 裏でシムナと共に襲撃を目論んでいながらも、祓魔師として「国際会議」に宮本ムサシを同行させたのは、シムナへの援助をスムーズにする為だ。密入国させるにも二人よりも一人の方が易しい。ムサシは「会議」参加の打診を渡りに船だと考えていただろうが、それはアジサイとしても同じ事だった。


「それで、わたくしの知りたい答えは聞き出せましたか?」

「いえ」ハンゾウは首を振る。「彼は体力的に限界が近いもので、回復を促しながら少しずつ聞き出す以外に手はないかと」

「ふうん、中々優しいのですね」アジサイは詰まらなそうに呟くと、「彼は今、『MI6』の監視下に?」

 問いに対し首肯するハンゾウを見、アジサイは「結局、彼らの主導のままか」と少し口惜しそうに独り言ちる。が、すぐに気を取り直したように、


「して、彼から聞けた内容は?」

 本題に入る。ハンゾウはアジサイの言葉に頷き、

「『聖戦』にて、彼ら第九分隊が魔人王と相対し、何を見たのか――」


 それは異端審問会が最も聞きたい事だろう。いや、『教会』から離脱したい王族も同じか。『教会』だけが独占している情報。それは「世界」の構造にすら関わる事実。彼らが先導する世界に懐疑心を持つ各国の異端審問会が誘発した襲撃、それが「ザ・タワー・ホテル襲撃事件」の真相だった。先程までこの部屋にいたジョンという探偵は、その襲撃を阻止し、終息させる為の歯車の一つ。彼は最後まで自分が「使われていた」事に気付きもせず――。


 アジサイは、シムナから聞いたというハンゾウの口から語られる「世界」についての真相に黙って耳を傾ける。

「……以上が、シモ・ヘイヘが申した内容です」

「…………」

 ハンゾウが口を閉じても、アジサイは答えなかった。口元に手を当て、どこか不愉快そうに顔を曇らせたままだった。


 ――わたくしが受け継いだ情報と差異がある……。「星」が秘匿した情報があるのか、それとも「水無月」が知らないだけなのか? ……他の「十二花月」当主と擦り合わせた方が良いでしょうか。


「……その話が本当に真実であるなら、」ようやく口を開いたアジサイは重い溜め息をついてから、「わたくし達は何が何でも『地獄攻略』を成功させねばならないという事です」

「……では、如何様に」

「『扉』の鍵を提供しましょう」


 異端審問会を通して、各国の王族――特に『国際会議』に参加する王族の下にもハンゾウと同じ報が届くだろう。そして、彼らが辿る結論も同じところに落ち着く筈だ。ならば先んじて動くべきだ、来たる終わりに相応しき「席」に着く為に。


「例の遺体――、でありましょうか」

 アジサイはハンゾウの問いに頷き――、そして笑んだ。

「――――貴方は、ジョン・シャーロック・ホームズから目を離さないで下さいな」

 蛇が得物を捉えたような、美しき花が隠し潜める毒のような。そんな妖しき笑みを浮かべて。

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