2-4

 しかし、そんなコゴロウの不穏な視線を知ってか知らずか、彼を妨げる手があった。メアリーが背後から服を引くと、彼は驚いて少し跳び上がった。


「お、おや、どうしたのかな」

「おじさんは何をする人なんですか?」

 無邪気な質問だった。コウスケはせっせと魔除けを行い、アジサイとジョンは話し合いをする中、部屋の中でただ突っ立っているだけのコゴロウを不思議に思ったメアリーの問いだった。

「お、おじ……」

 しかし、コゴロウにとってショックなのは、質問の内容よりも自分を「おじさん」呼ばわりされた事だった。

「ハッ」目を丸くするコゴロウの顔を見、コウスケはつまらなそうに笑い捨て、「その“おじさん”は何もしないさ。何かしているフリをして、ナマけているだけの己を隠す事に精一杯だからね」

「お前は師匠になんて口を利くんだい」

 コゴロウは己の弟子の口振りに絶句しそうになるのを堪え、なんとか言葉を口にする。

「本当の事を言ったまでです」しかし、コウスケはにべもない口調で言い返す。「あんたは探偵として以外、何も見習うべきところがありませんから」

「…………」

 ジョンは背後から聞こえて来る、とても師弟とは思えない冷たいやりとりに閉口した。その様子に気付き、アジサイはクスクスと笑った。


「おじさんも探偵なんですか?」

「そ――」コゴロウは自身に襲い来るショックをなんとか飲み込み、「そうだとも」

「じゃあ、おじさんも悪魔と戦うんですか?」

 メアリーはコゴロウの体躯を見ながら言う。彼の体付きからは、とても戦闘する姿を想像する事が出来なかった。

「え? どうして探偵がそんな事をするんだい」

「…………」

 メアリーは何も言わずに目を丸くし、思わずジョンに視線を向けた。ジョンは素早く彼女から顔を背けた。


 彼女が驚くのも分かる。探偵とは悪魔を捜し出すのが仕事で、彼らを祓う為に戦うのは祓魔師の役目だ。しかしジョンはと言うと、探偵の範疇を越えて悪魔を自ら打ち倒しに行く。メアリーは今まで培ってきた常識と喰い違う探偵像に面喰らっていた。

 このまま皇国にまでメアリーが付いて来るなら、彼女は今までと全く違う常識と生活の中に投げ込まれる事になるだろう。後で彼女と相談しなければならない――とまで考えて、ジョンはハッとなる。


 そうか、国外に出るのか。ジョンは今更ながらその事実に愕然とする。皇国に向かうなら荷物など準備をしなくてはならない。英国から皇国への交通手段は船になる。一ヵ月前後の日数になるだろう長旅への準備など、何を用意すればいいのだろう。


「あら、その必要はありませんよ」

 ジョンの悩みに対し、アジサイはあっけからんとした様子でそう返した。

「どういう事です?」

「そうですね……」アジサイは一瞬、チラリとコウスケを見た。「移動についてはわたくし達で準備をしておきます。明朝、またここへ来て頂けますか?」

「ここに――ですか? 港ではなく?」

「ええ、船で移動する訳ではありませんから」

 ジョンはアジサイと話が噛み合っていないのではと不安になった。しかし、彼女は尚も優美な笑みを崩さず、

「ご心配は要りません。わたくし達を信用して下さい」


 ……何がなんだか分からず、不安はむしろ増していく一方だが、「心配要らない」と言うなら、一先ず移動については彼女達に任せる事にする。ジョンは思考を切り換えると、立ち上がった。

「現地にて案内を用意して貰えますか」

「ええ、勿論です。実際に目にした方が分かるものもあると思いますし、到着次第、改めて説明致します」

 ジョンはアジサイに礼を言い、メアリーと共に部屋を後にする。彼女は笑顔と共に頭を下げた。――そして顔を上げると、絶やす事のなかった笑みを消し、冷たい三白眼を表した。


「皇女、お疲れのようですが」

「今日は色々ありましたからね――、お茶をお願い」

 コウスケはアジサイの命に頭を下げ、すぐに用意を始めた。その間にコゴロウが足を動かし、先程までジョンが座っていた椅子に腰を落とす。

「さて、上手く行きますかね」

「それは彼の働き次第でしょう」

 アジサイの詰まらなそうな一言に、コゴロウは肘を付いたまま、くつくつと笑う。


「奴らが奪った遺体を使って何を企んでいるのか、本当は知っているんでしょう?」

「……どういう意味です?」

 アジサイが目を鋭くするが、それでもコゴロウは余裕気な笑みを浮かべたまま、

「貴女が『NINJA』を使って、『解放一揆軍』の連中と通じていたのは知っていますよ」

「籠城したところで碌な事にならないと忠告したに過ぎません」

「そして、その果てに『彼』を失った」

 

あの反乱の全ては誰かの手の平の上にあった。人心を煽り、暴走した熱意は武器を手に取らせ、そして戦乱へと発展した。人間が起こす悪魔的所業の果て、積み重なる犠牲の山に涙する者は果たして残るかどうか?


「探偵風情が――」す……と、アジサイの手がコゴロウの顔の前に伸びる。「あまり余計な事にばかり首を突っ込むと、後悔する羽目になりますよ」

「しかし、わたしは探偵だからね、疚しいところは調べなきゃならないんですよ」

 笑う探偵と、睨む皇女――。その間に割って入るように湯気が立ち昇った。


「お茶が入りましたよ」

 盆をテーブルに置き、二人の前に緑茶を用意したコウスケが口を開く。しばし睨み合っていた二人だったが、茶を口にすると落ち着いたのか、息を吐いた。

「皇女」コウスケにそう呼ばれ、アジサイは顔を上げる。「師匠を牽制しても、なんにもありません。この人は死ぬ程臆病者ですから、力のあるところには決して刃向いませんよ」

 アジサイは「ふぅん……」と鼻を鳴らし、コゴロウへと向き直る。彼はそれに気付くと、怪し気なウインクを放った。気味悪そうに顔を顰め、アジサイは再び茶を口に含む。


「わたくしは貴方方を『使える』と評して、ここに同行させたのです。わたくしの期待を裏切る事のないよう、努めて頂きたいものですね」

「言われなくとも、仕事はキッチリこなしますよ」

「嗚呼、皇女。この人は仕事に関してだけは誠実です。それだけは保障致します」

 歯に衣着せないコウスケの言葉を不服だとコゴロウは抗議したが、彼は頑として撤回しなかった。アジサイはそのやり取りに笑いそうになったが、和んでいられる時間はないと気を張り直す。彼女は一国の代表として英国に来た。油断や隙を見せていい場面などない。

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