2-3.

「……それがどう関係あるんです?」

 溜め息の代わりにジョンはアジサイにそう問うた。彼女の見透かされているようなクスクスという笑みにも、もう動じない。

「異界への扉を開く『通行料』の話です」

「あン?」

 何の話だ? ジョンは思わず声を上げた。「おや」とアジサイは口元に手を当てる。

「ご存じなくて?」

「いえ、だから何の話です?」

 アジサイは答えず、驚いたように目を開いてジョンを見詰めていた。


 ――想定と違って、父親から何も聞いていないようですね。これはこれでやり難い訳ですが……。まあ、この程度なら軌道修正の必要もありませんし、重要なのは彼に首を縦に振らせる事。このまま押していけば良いでしょう。


 アジサイは頭の中でそう結論付けると意気込む様に一度頷いて、

「地獄や天国など異界に肉体ごと向かいたい場合、正当な方法で扉を開けなければなりません。その扉を開ける為には『通行料』を支払う必要があります。それはとても価値があるモノでなければならないのです」

 ジョンはアジサイの言葉を反芻する。『通行料』の話など聞いた事もないが、けれど自分の知らない事など世界を探せばごまんとあるだろう。だから、自分がすべきはその存在を疑うのではなく、

「その『通行料』は一体、誰に向けて支払うのですか」

 と訊ねて、少しでも情報を得るべきだと考えた。


 ――ソレが分かれば苦労はしない。アジサイは艶美な笑みの裏に本音を隠す。判明しているのは『通行料』が必要な事実だけで、その後の行方はようと知れない。


「神か、あるいは天使か、悪魔か。必要なのは『扉』が開くか否かです」

 確かにそうだと、ジョンは頷く。そして、思考を視野を広げる。

「『国際会議』の場で『彼の人』の遺体を確保したと言ったのは、その『通行料』の話だったんですか?」

「ええ、そうです」アジサイは話を次々と進めてくれるジョンを便利だと感じながら、頷く。「聖ジャンヌが果たして『通行料』を既に用意してあるのかどうかは分かりませんが、保険は持っておくに越した事はないでしょう。それに……」

「それに?」

 言い淀むアジサイを、ジョンは怪訝そうに窺う。

「ちょっとは恩を売っておけば、わたくし達の失態も帳消しになるかなあと」

 そんな事を言って、舌を出し、悪戯っぽく笑って見せるアジサイを見、ジョンは大きく溜め息をついた。


 ジャンヌが宣言した「地獄攻略」を本当に実行するにしても、まず地獄へ向かう為の『扉』を開かなければならない。どういった儀式なのかは知らないが、いずれにせよ『通行料』とやらが必要になる。誰が受け取るかも分からないその料金が、もしジャンヌが用意したモノで足りなければ、追加料金が発生するのだろう。その保険に「彼の人」の遺体はなるだろう。けれどそれを持って来ようにも、賊に奪われてしまった。


 ――だから、取り返すしかない。そして、それは秘匿されなければならない。『国際会議』で虚偽の発言をしたとなれば、国家間の信用に関わって来る。

 ――だから、僕か。実現出来るであろう力量と『教会』との関係が薄い者。任務完了に際し、利益以上を望まない者。……国や『教会』、異端審問会などの権力によるしがらみに囚われないで動ける者。――そして、犠牲になったとしても大して損失を生じない者。

 ジョンとアジサイとの間に繋がりなどないに等しい。例えジョンが失敗しても、また次の者を――、それこそ権力による圧力を使って用意すればいい。

 早い話が捨て駒、斥候、使い走りだ。ジョンは胸の中で皮肉気に笑う。どいつもこいつも他人をナメやがって……。

 しかし、ジョンはムキになってアジサイの依頼を承諾しようとはしなかった。彼には彼の目指すべき目的がある。それは先にアジサイが口にした大悪魔に他ならない。異端審問会『MI6』から「国際会議」への介入を依頼され、それを受けたのは大悪魔が『会議』に侵入して来る疑いがあったからだ。


 そして、今回の遺体奪還はどうだろう。『通行料』、『扉』。「彼の人」の遺体を狙う理由。ジョンは「何も知らない」。アジサイが語ったのは「世界」という得体の知れないモノ、その仕組の片鱗だ。「地獄」という異界にいる大悪魔に詰め寄るには、そういった情報も必要になるかも知れなかった。

 だから、ジョンは決断した。立ち止まっていては何も分からないままだ。とにかく動けと、せっかちな魂はそう囁いて止まない。


「……依頼を受けるにあたって、もう少し細かく情報を知りたいのですが――」

「あらっ」ジョンの言葉を遮り、アジサイはまるで耳を立てる猫のような声を上げる。「受けて頂けるのですね。貴方のお力があれば、百人力――いえ、万人力です」

 それは世辞にしても大袈裟だろう。ジョンは口の端に引き攣った笑みを浮かべた。


 ジョンがアジサイと細かい擦り合わせをしている間、コゴロウが彼の様子を見ながら顎を手で擦っていた。コゴロウはジョンをこの部屋に招いてから、ずっと彼の様子を隠れて伺っていた。

 しかし、ジョンは背中に刺さるそんな視線に気付いていた。彼は自身に向けられる感情――特に「敵意」の察知に優れていた。コゴロウの視線は他国の探偵を警戒するが故だと思っていたが、どうも違う気がする。この視線の中にある感情は「敵意」と言うよりも「愉悦」……? 自分の行く末を面白がっているのだろうか。ジョンはコゴロウやアジサイに思考を気取られないようにしながら、警戒を強める。

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