1-4.
「……じゃ、ウチも失礼しようかなー」
そう言い、アスモデウスが立ち上がった。しかし、それを制すようにレヴィアタンも立ち上がった。
「待つのです」
ベルゼブブの話を聞いて尚、アスモデウスは終始軽薄な口振りを変えなかった。それが堅い性根のレヴィアタンの癇に障ったのだろう。幾分強い口調で、彼女が言葉を続ける。
「ベリアルは何やら行動を起こすようですが、貴女はどうなのです」
「別っつにぃ? アッチから来てくれるって言うならさー、待ってればいいだけでしょー?」
アスモデウスは何故そんな言葉を投げられなければならないのかと、小首を傾げた。眉間に皺を寄せて彼女を睨み付けるレヴィアタンからベルゼブブへと順に視線を流すと、
「それに、お兄は信憑性があるなんて言うけど、信じるかどうかはウチらの勝手でしょー?」
彼女の言葉に、ベルゼブブは答えない。静かな瞳で、アスモデウスを見詰めるだけだった。
「兄様になんて事を言うのですっ!」
しかし、レヴィアタンは看過出来なかった。ポンチョの中から槍を突き出し、ベリアルにしたのと同じように、アスモデウスの首に矛先を突き付けた。
「レヴィ!」
ベルフェゴールの制止など意に介さず、レヴィアタンはアスモデウスへ詰め寄る。
「訂正するのです。兄様は何も間違っていない――、間違えない」
「別に、お兄が間違えてるかどうかなんて話はしてなくなーい?」
首に矛先を突き付けられても、アスモデウスは口調を改めない。軽薄、浅近、浮薄――。なんとでも言えばいい。自分の在り方を変えるのは、冠を捨てるのと同義だ。彼女は道を違えない、それは『七大罪』であればこそ。
「レヴィちゃん、コレがお兄への点数稼ぎだと思ってるなら、それは勘違いだよ」
アスモデウスの言葉に、レヴィアタンが露骨に動揺した。頬を赤らめ、槍を持つ手が落ち着きなく震え出した。
「な、何を言うのです!」
「もうウチらは昔とは違うんだよ。こんなところでふんぞり返ってるけどさ、昔みたいに兵を従えているワケでもない。皆、ウチらを見限ってどこかへ行っちゃったじゃない」
ベルゼブブが瞳を閉じる。痛みに堪えるように、痛みを噛み締めるように。
「昔は一つの軍だった。でも、今は違う。マモンちゃんがここから出て行ったのだって、ウチらを見限ったからでしょう?」
――マモン。『七大罪』の
「自分の意志で行動を決めるべきだとウチは思う。もうウチらは一枚板じゃないの。サタンのお姉がいなくなった今となったら――」
そこまで言って、アスモデウスはハッとなり、咄嗟にベルゼブブへ振り返った。
ベルゼブブは動かなかった。表情一つ動かさなかった。静かに、前だけを見詰めていた。顔の前に置く拳だけが、微かに震えていた。
「ごめん、お兄……」
アスモデウスの言葉に、ベルゼブブはやはり答えない。彼女の首へ槍を突き付けていた筈のレヴィアタンさえ、固唾を飲んでベルゼブブを見詰めていた。
頭を下げ、アスモデウスが逃げるように広間を後にすると、ベルゼブブはようやく溜め息を付いた。
「……いやなに、本当の事を言われると、何も言い返せなくなってしまうな」
ベルゼブブはそう冗談めかして言い、小さく笑った。
「――……っ」
彼の顔を見て、レヴィアタンは息を呑むと、ダッと踵を返して広間から出て行ってしまった。
「……何か、気に障る事を言ったのか、俺は」
ベルゼブブは頭を掻くと、ベルフェゴールへ尋ねる。彼女は、目に涙を湛えていたレヴィアタンを振り返りながら、
「皆、兄上が好きなだけですよ」
だから、彼に悲しみを背負わせたくない。
だから、彼にだけ責任を負わせたくない。
だから、彼に忠誠を誓い、ここまで来た。
貴方は姉上に畏敬の念を抱いているのでしょうが、しかし自分達は皆――――、
「お前はこれからどうするんだ」
「自分は兄上に付いて行きます」
どこまでも。そう最後まで言わないのは、彼の想いを知っているから。自分の想いを隠すのは、自分には相応しくないと知っているから。
「なら、お前は情報収集に専念して欲しい。ラウムはまだアチラにいるんだろう。奴を使ってもいい」
彼女は自分やベリアルのように戦闘に徹したチカラを持っている訳ではない。後方支援こそ彼女の強みだと、彼は熟知していた。
「ええ、分かりました」
ニコリと笑い、ベルフェゴールは頭を下げた。そして去る彼女を見送ると、ベルゼブブは大広間に一人きりになった。
ベルゼブブは机に肘を付いて俯くと、重く、長く息を吐いた。
アスモデウスの言葉は真実だ。大悪魔と呼ばれながらも、小悪魔達を従えている訳ではない。自分達を敬うラウムのような者も確かにいるが、だからと言って全てがそうではない。「悪魔」が軍として機能していたのは、もう昔の話だ。
だから、自分達が先んじて動くのだ。小悪魔達がそれに付いて来るか来ないかは、彼らに委ねるしかないのだ。
ベルゼブブは立ち上がり、広間の奥にある玉座の間へと足を向ける。何の装飾もない大きな扉を開けると、その先にはこじんまりとした空間があり、中央に氷で出来た長い背もたれの椅子があった。
その椅子に腰掛ける、銀髪の女性の姿があった。彼女は肘掛けに腕を置き、俯いた姿勢から身動ぎもしない。
それもその筈――、そこに座すのは遺体だった。凍り付き、腐り果てる事のない永遠を閉じ込め、彼女はずっとそこにいた。
ベルゼブブは言葉もなく、息もなく、ただ彼女を死んだように見詰めていた。
『一体、幾らこの死を重ねれば答えに辿り着く』
――回答の得られない問いに興味などなかった。
『いつまで続くんだ、いつまで続けるんだ?』
――それでも、お前が涙を流す理由を知りたかった。
『……ワタシはもう――、嫌なんだよ、ベル』
――出来る事なら、その涙を――――。
ベルゼブブは踵を返し、玉座に背を向ける。瞳には力強い光が宿っていた。絶える事のない炎を牙に、彼は足を進める。
時は来た。変化のなかったこの『世界』に変革が訪れる。悪魔とニンゲンと。神と天使と。この星と自然と。規定された全ての領域を巻き込んだ大きな嵐が――、遂に。
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