1-3.

「『特異点』だとォ? なんでそれを早く言わねえんだよ!」

 ベリアルの激昂したような声に、ベルゼブブの隣に座っていたベルフェゴールが驚いて、ビクッと体を揺らした。ベルゼブブはしかし、淡々とした様子で服を脱ぎ、右肩を晒して見せた。


 そこには真っ赤に爛れた火傷のような傷跡が残っていた。大悪魔たるベルゼブブにこれ程の傷を残した代物――。見当もつかない代物に、全員が言葉を失った。


「……『特異点』回収を阻んだ者に付けられた傷だ。コレの回復に専念する為に時間を使い、お前達への情報共有が遅れた。それについては済まないと思っている」

 そう言い、頭を下げたベルゼブブ。レヴィアタンが慌てたように手を振り回して、

「や、やめて下さい兄様! 兄様が頭を下げるなんて、そんな、いけない事です……ッ!」

 驚き、目を丸くしているのは彼女だけでなく、ベルフェゴールとアスモデウスも同じだった。そんな中、ベリアルだけが表情を硬くし、

「……兄貴によォ、そんなモンを負わせられる奴がどこにいる。ソレは本当に敵に付けられたモンなのかァ?」

 ベルゼブブは衣服を正すと、真っ直ぐに彼を見詰め、


「――ジョン・シャーロック・ホームズ。あのシャーロック・ホームズの実の息子だ」


「アイツにガキがいる事は知ってる。だけど、その子供はアイツみたいな規格外どころか、なんのチカラも持たない普通のニンゲンだった筈だ」

「……俺達は長く人間界から離れ過ぎた」ベルゼブブは独り言ちるように、「俺達がアチラに目を向けていない間に、シャーロックやワトソン共がその息子にチカラを与えた。その結果がこの傷だ」

「へェ……。上等じゃねえか」ベリアルが椅子を蹴り飛ばして勢い良く立ち上がった。「そのナメ腐った糞ガキ……。オレが今から殺して来てやるよ……ッ!」

 怒髪天を衝くとはこの事だろう。青筋を立てるベリアルが語勢そのままの速度で広間から飛び出そうとし、

「座れ、ベリアル」

 だが、ベルゼブブの声が彼を制した。ゆっくりと振り返る彼は、瞳の内に強い炎を焚いて、

「止まれるか、止められるかッッッ」

 ベルゼブブは仕方なさそうに溜め息を付いた。

「お前だって病み上がりの身だろう」ベルゼブブはチラリと外を、煌々と聳え立つ炎を見るようにしてから、「そもそもアチラに『縁』のないお前には何も出来ない。それに俺の話はまだある。全て聞いてから、然るべき措置を取るがいい」

 あくまで冷静なベルゼブブの言葉に、ベリアルは怒りを向ける先を失った。衝動のままに扉に拳を叩き付けると、粉々に打ち砕いた。

「ああ、また壊して……。一体、誰が治すと思っているのですか……」

「うるせえッ、テメエにはそれくらいしか能がねえだろうがッッッ!」

 ベルフェゴールの切なそうな溜め息に対し、ベリアルは怒涛のような一喝で返した。思わず縮んだ彼女が「ひぅ……」と呻くのを尻目に、ベリアルは大きな音を立てて椅子に尻を落とした。


「……俺は――」

 口を開き、順だって経緯を話すベルゼブブの言葉を、聞き洩らすまいと四名は耳を立てる。

 英国はロンドンのホワイトチャペル、そこは失業者と浮浪児で溢れ返っていた。その浮浪児の中に『特異点』であるメアリーという少女がいた。

 メアリーは浮浪児達と手を取り合い、助け合って暮らしていた。その小さな家族の長に、ジャックという少年がいた。ベルゼブブはその家族を取り込み、支配し、利用した。

 しかし、結果は失敗だった。ジャックには自分のチカラの一部を奪われ、メアリーすらも手に出来なかった。

 そうなるよう阻み、立ち塞がったのがジョン・シャーロック・ホームズだ。彼が顕現させた偽物の『聖十字架』の前に、ベルゼブブは敗戦を喫した。「地獄」に逃げ帰る以外の手段を奪われ、彼は回復の為にコチラへと堕ちた。


「俺が回復に専念している間、人間界では大きな動きがあった。それが『国際会議』だ」

 ――『国際会議』。世界中に散っている聖人と王族を集め、人類に迫る脅威への対策を協議するもの。迫る脅威とは、そう、悪魔だ。

「『会議』内部には入れなかった。奴らもそんな杜撰な警備はしない」

 レヴィアタンは口を開き、「自分達に話して頂ければ、少しばかりでもご助力出来たのに」と言おうとして、しかしやめた。それが出来ていたのなら、彼はそうしていただろう。彼はそういうお方だ。

 ……自分達は相も変わらず役立たずだ。この地に堕とされたあの時だって、結局のところ――、


「だが、何をあいつらが計画しているかは分かる」

 ハッとなってレヴィアタンは顔を上げる。昏い気持ちを捨て、ベルゼブブの言葉に耳を傾ける。

「どういう事ですか、兄様」

「あいつらはここに、『地獄』に攻めて来る。俺達はただ待っていればいい」

 扉はあいつらが開いてくれる――。ほくそ笑むベルゼブブを見、どうしてそう言い切れるのか、疑問でしかなかった。


「お兄はなんでそんな事を知ってんのー?」

 間延びした声は間抜けだが、その問いを口にしてくれた事はありがたい。ベルフェゴールは胸の中でアスモデウスに頭を下げながら、ベルゼブブの言葉を待った。

「俺のもう一つの『縁』から得た情報だ。『彼女』からの情報は信憑性がある」

 彼女……とは、一体誰の事だろう。ベルフェゴールは考えるが、てんで見当が付かなかった。

「兄貴は一体幾つ『縁』を持ってるんだ?」

 アチラへの『縁』は一つあれば良い方だろう。それなのに、彼は既に二つ準備しているのだ、人間界からの侵攻に。

「三つだ。まだ話していない三つ目が、先のジャック・ザ・リッパーだ」

「成程ね……」

 ベリアルは苛々と足を床へ小刻みに打ち始めた。彼は人間界に「縁」がない。だから、ココで待っている事しか出来なかった。それが苛立たしくして仕方がないのだ。


「落ち着け、ベリアル」ベルゼブブがベリアルの足音に気付いて、「待っていればいいんだ」

 待つ? 待っているだけ? ベリアルは失笑する。それが出来るのならば、自分は自分じゃなくなっているだろう。


「話は済んだだろ、兄貴。後はオレの好きにさせて貰う……!」

 鼻息荒く広間を出て行く彼を止める術が、果たしてあっただろうか。ベルゼブブは憤る彼の背中へ仕方なさそうに嘆息した。

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