20.(終)

 ……マッチを擦る音が聞こえた気がして、眠っていた自分を自覚する。あの人――、シャーロック殿がパイプを吸い出す時に良く聞いた音だ。次の戦場はどこだったか。さあ、目覚めなければ……。

 しかし、目を開けても目の前は暗闇だった。それどころか自分は何かを頭に被せられていた。それを外そうとして、腕が動かせない事に気が付いた。自分は椅子に座らされ、腕と足を金属製のワイヤーで縛り付けられているようだった。力を込めて拘束を外そうと試みるが、早々に諦めた。

 ……そんな事をしている内に、記憶の混濁が徐々に澄んでいく。『聖戦』はとうに終わった。自分はその果てに見た真実に抗いたくて、リチャード・ザ・ライオンハートを――。


「お目覚めかな、シモ・ヘイヘ」

 自分の眼前、二メートル程先にいる誰かから声を掛けられる。見えないにしろ、顔を上げてそちらへ目を向ける。

 椅子に縛り付けられた男――、シモ・ヘイヘの目の前に足を組んで座るのは、英国の異端審問会『MI6』の長官、マイクロフト・ホームズだった。優雅にパイプをくゆらせながらも、鋭い目付きでシモヌを睨んでいた。


「……なぜ自分は生きている?」

 シモヌの問いに、「ハッ」とマイクロフトはふくよかな腹を揺らしてから、

「我々が救い上げたからに決まっているだろう。ずっと君と宮本ムサシの動向は見張っていたからな」

「……ずっとだと? それは一体いつから――」

「君達が皇国内で密出国を企てていた時からだよ」

 最初から全て筒抜けだった――? シモヌは驚愕を隠せず、思わず息を呑んだ。

「ボンド、頭巾を取れ」

 シモヌは背後で誰かが動く気配を感じ取るが、身動ぎ出来ない自分にはどうする事も出来ない。為すがままに任せると、頭巾が剥ぎ取られ、視界が明るくなった。


 シモヌが眩む目を凝らすと、腹の出た温厚そうな体格からは想像出来ないような鋭い目付きの男がいた。彼の素性を聞き、流石のシモヌも目を見開いた。

 シモヌはジョンが案内されたキングス・クロス駅の9と3/4線の小部屋の中にいた。今、その部屋の中にはマイクロフトの他に六人の人間がいた。

 そこにいたのは各国の異端審問会所属の諜報員達だった。英国の『MI6』からジェームズ・ボンド。法国の『DGSE』からマタ・ハリ。米国の『NSA』からザンダー・ケイジ。露国の『OPRICHNIKI』からリヴォルバー・オセロット。以国の『MOSSAD』からハサン・サッバーフ。皇国の『NINJA』から服部ハンゾウ。

 シモヌは首を回して部屋を見回す。彼はマイクロフト以外の六人の顔に見覚えがあった。諜報員と言うからには変装しているのだろうが、しかし一体どこで見たのだろうか……。


「お怪我の治療は済んでおりますが、体力は消耗しております。あまり長い時間は掛けられません」

「分かっているさ」

 ボンドとマイクロフトの会話を聞きながら、シモヌはボンドの顔をもう一度見た。

「……お前……、あのホテルで……?」

 シモヌは目を丸くする。彼の背後にいた特徴的なマッシュヘアーの男はザ・タワー・ホテルの総支配人、オリバー・サイクスだった。

 まさかと思い、シモヌは再度室内を見回す。諜報員達全てがあのホテルにいたスタッフ達だった。


「言っただろう、お前達が皇国にいた頃から全て見ていたと。そもそも密出国からして、そこにいる服部ハンゾウの手引きが裏であったから成功していたのだ」

 マイクロフトの言葉に、シモヌは愕然とする。

「まさか、全てお前達の筋書きだった……?」

 マイクロフトは詰まらなそうに紫煙を吐き出し、

「その通りだ。ホテルスタッフ全員を諜報員と予め入れ替え、更に狙撃地点周辺の警備を手薄にしてお前をあそこへ誘導した。ホテル周辺は警備されている筈なのに、あそこはやけに忍び込み易かっただろう?」

 確かにそうだった、だが――。シモヌは否定したい思いで一杯になったが、しかし現実は違う。自分達の襲撃は、全て彼らのシナリオに沿って動かされていたのだ。

「更には通信妨害まで用意してやった。ホテルを狙うなら狙撃地点は限定される。お前の居場所などすぐに露見し、警察に襲われていたぞ」

 そんな事は百も承知。しかし一発、ただ一発の銃弾で全てが終わる筈だった。杜撰な計画ではあっただろう。だとしても、引き金さえ引ければそれで良かったのだ。


「……だが、しかし想定外の事態もあった」

「……ムサシ殿か」

 シモヌの言葉に、マイクロフトは重い溜め息と共に頷いた。

「ホテルにいたのは、なにも素人ではない。それでも多くの諜報員があいつ一人の手で殺される羽目になるとは思わなかった」

 本当に想定外、計画外だったのだろう。マイクロフトの沈痛な表情から、それが伺えた。

「……もしリチャード・ザ・ライオンハートを殺せていたら、どうしていた」

「それはあり得ん。何せあそこにはジョン・シャーロック・ホームズがいたからな」

 確信と共にマイクロフトはそう言った。シモヌは彼が語る自信を訝しむように眉を寄せた。

「ホームズ……、あの『十字架』の少年か。あの子は何者だ」

「お前も良く知っているシャーロック・ホームズの息子だ。そして、あの『十字架』はその父親が息子に仕込んだもの。どうだ、かつての仲間に巡り巡って企みを阻止された気分は」

「…………」

 シモヌは答えず、強くマイクロフトを睨み返した。対し、マイクロフトはまたも詰まらなそうにする。


「それで、異端審問会はどうして自分を生かした。ただの人助けだとでも言うつもりか」

「まさか」今度こそ、愉快そうにマイクロフトが肩を揺らした。「お前に聞きたい事がある」

 わざわざ自分が川に落ちてからここへ連れて来たというなら、それは自分を死んだように見せかけたいからだ。恐らくは『教会』の目から逃れる為に。そうまでして自分に聞きたい事と言ったら、一つしかない。

「察しがいいな」マイクロフトは少し前屈みになった。「俺が聞きたいのはただ一つ。お前達、第九分隊が一体何を見たのか――だ」

 つまりは自分達がなぜ皇国に幽閉されるに至ったか。……ヘイヘは大きく息を吐いて、

「そんな事を聞いてどうする。お前達は『教会』に楯突くつもりなどないだろうに」

「……さて、どうだろうな」

 シモヌの右背後、部屋の角に立つコックコートを着た浅黒い肌に剃髪の男――ザンダーが低い声で呟く。


 その言葉に、シモヌは周りにいる人間の顔を見回す。皆、真剣そのものだった。彼らはまさか、本当にそのつもりなのか?


「そろそろ潮時なのだよ、『教会』に支配されたままでは、これ以上、人間に進歩は望めない。彼らの支配から脱却する時が来た」

「そんな事、出来る訳がない」

「なあ、ヘイヘ。俺達とお前は助け合える。互いの利害は一致している。お前がリチャード・ザ・ライオンハートを殺したいのは、何かを隠し続ける『教会』への憤りだろう。それを白日の下に晒せば、『教会』は一気に瓦解する」

「…………」

 シモヌは押し黙る。マイクロフトが言っている事は正しい。自分の目的を、彼は理解している。自分が引く引き金が、やがて辿る末路まで思慮の範囲だ。――ならば、なぜ躊躇うのか。この男に真実を話す事をなぜ躊躇うのか。シモヌは頬に伝う汗を感じながら、

「お前は何をする気だ。お前は一体何がしたい」

「…………」マイクロフトがゆっくりと立ち上がる。「俺の目的はただ一つ――。我らが女王の下に、英国を取り戻すのだ」

 God save the Queen――。マイクロフトが敬礼と共に詩を呟く。しかし、その真意をシモヌは見付けられないでいた。


「ヘイヘ、話してくれ。お前達は一体、あの『聖戦』の最後に何を見たのだ」

 自分達が見たもの。見せられたもの。見せ付けられたもの。今まで信じていた全てを裏切りられた、あの真実。

「アレ」を知ってしまったから、口封じの為に鎖された彼の国に幽閉された。その中で第九分隊は袂を分かった。

 ジェームズ・モリアーティは『教会』を見捨てて悪に堕ち、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトソンは『教会』に隷属を誓い、皇国を出た。シモ・ヘイヘと宮本ムサシだけが皇国に取り残され、そして十年経ってようやく立ち上がった結果が――このザマだ。

 自分達の精一杯の反抗も、しかし全ては異端審問会の手の平の上。自分、若しくはムサシから「アレ」について尋問したいが故に企てられた作戦だった。


 ――ならば、いい。どうせ自分には大した時間は残されていない。自分達の見たモノが世界を混乱に陥れると言うのなら、それもまた一興。この男が何をするにしろ、その顛末を見届ける事は出来ないだろう。一度大きく息を吐いてから、シモヌはマイクロフトに目を向ける。


 お前達に訪れるのは絶望だ。どうしようもない、どうする事も出来ない絶望だ。


「いいだろう、話してやる――が、その前に問いたい。果たしてお前達が裏にいた事を、ムサシ殿は知っていたのかどうか?」

「…………」マイクロフトは表情を無くすと、少しだけ唸った。「……それは俺には分からんよ。お前はどう思うのだ」

 シモヌは視線を落とし、しかし何も言わずに首を振った。彼も答えは出せなかった。彼の勘の良さならあるいは――とも思えるが、結局は不明のままだ。

「彼はその後、どうなった」

「悪魔と共に逃げた。消息は未だ不明だ」

 引き際と攻め際、緩急の判断こそ彼の真骨頂。生きていたのなら、幾らでも好機を生み出せる。成程、彼の言いそうな事だ。そう考えて、シモヌは少し笑った。


「さあ、ヘイヘよ、話してくれ。お前達が見たものを――」

 もう思い残す事はない。マイクロフトに促されるとシモヌは深呼吸し、やがて口を開いた。

「我々が魔人王を倒し、そしてその果てに見たモノは――――」


 それは神の真実、その実景。

 世界の生と死を巡る輪廻の果て。

 魂の行く末、命の旅。「人間」の価値はどこに向かうのか。

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