19-2.

 病室内に気まずい空気が漂う中、ドアがノックされ、やって来た客人が部屋に入って来る。


「どう、ヴィクター? ジョンは起きた――……って、何? この空気」

「……何かあったのか?」

 頭に包帯を巻き、手足に湿布を貼り付けたジャネットと、右腕を吊り、体に包帯を巻くハリーだった。表情はいつものように明るく、健康そうだったが、部屋に立ち込める奇妙な雰囲気に気付き、両者とも眉を寄せていた。

「いや、」ジョンよりも先に、ヴィクターが口を開いた。「なんでもないよ」

 朗らかな、それこそ「なんでもない」笑顔だった。ジョンはヴィクターのそんな表情を見、フッと短く息を吐いた。何やら後ろ暗い考えがあるのではと思ったが、どうやら杞憂だったようだ。ジョンはそう結論し、ヴィクターからジャネットへと視線を移した。


 だが、やがて彼は思い知る事になる。自分の親友がどんな人間だったのか。孤独な天才が如何にして過酷な生き様を晒して来ていたのかを、彼は思い出すべきだった。――あの、「詰まらない」とジョンが一蹴した彼の臆病な笑顔を。彼がどうして自分自身にすら仮面を付けて生きて来たのかを。


「ふぅん……?」首を傾げながらも、ジャネットは頷いた。「で、どうよジョン、調子は」

「今、起きたばかりだよ」ジョンは言いながら、ベッドから降りて立ち上がっていた。手を組んで体を伸ばした。「さて……、『会議』の方はどうなってんだ?」

 ジョンはヴィクターから聞いた内容をジャネットに確認すると、彼女は「その通り」だと頷いた。

「お前は『会議』に――ジャンヌに呼ばれてないのか?」

「呼ばれてるけど、まだ治療中だからね。ギリギリまでは休むつもりよ」

「サボんなよ、ナメてんのか」

「うるっさいわね。事実、怪我人なんだから、別にいいでしょう」

 そう言って歯を剥き、中指を立てて見せるジャネット。ジョンも同じく中指を突き返す。


「それより色々喋って貰うわ、ジョン。なんでアンタは『会議』に首を突っ込んでんのよ」

「仕事だよ、依頼主は話せねえけどな。悪魔が前夜祭に何かしでかす可能性があるから、その真偽を調べろってな」


 ジョンは言いながら、「そう言えば――」と思い出す、『怠惰』と書かれた手紙がマイクロフトの下へ届いた事を。けれど、今回の事件に大悪魔は本当に関わっていたのだろうか。シモ・ヘイヘと宮本ムサシの口から、大悪魔の名は出て来なかった。

 ガセ情報、悪戯の類だったのだろうか。しかし、それを異端審問会に送り付けるのは回りくどい。宛てられたのが異端審問会だったからこそ、本物らしいのだとジョンは思う。だが、どこにも大悪魔の形跡はなかった。……一体どういう事なのか。


「なんか腑に落ちないけど……、仕事上話せないって言うならしょうがないか」

 ジョンの返答に、不承不承と言った風ではあったが、ジャネットは納得したように頷く。彼女はルールや規則に対しては極めて真面目だった。


「まあ、でも」ハリーは頬を掻いてはにかみながら、「皆、無事で良かったよ」

 相変わらず人を和ませるような事ばかり言うよな、こいつ。ジョンはハリーの気の抜けた笑みを見、「ハッ」と鼻で笑って見せる。

 そういう反応をするお前も相変わらずだよと、ハリーは胸の中で呟く。


「何にせよ、僕の出番はもう終わりだ。前夜祭は確かに悪魔達に襲われはしたが、なんとか撃退出来たからな」

 ジョンは伸びをして一息ついてから、ジャネットに向き直る

「それよりジャネット、お前に頼みがある」

「何よ?」

 ジョンの改まった口調を聞き、ジャネットは訝しそうにする。

「『聖戦』について、『教会』の中から調べられるか?」

「あー、それね」ジャネットは神妙な顔で頷き、「アタシも調べるつもりだったわ。父さん達が『聖戦』に関わっていたのに、アタシ達に一言もなかったのは絶対に何か理由がある。あの戦争の中で父さん達が何を見たのか、アタシはそれが気になる」

 良かった、彼女も自分と同じ意見だったらしい。ジョンは口を開き、

「宮本ムサシとシモ・ヘイヘの言葉からは断片的な事しか分からない。でも、ムサシは『閉じ込められた』と言っていた。もし親父達全員が皇国に幽閉されていたとしたら?」


 ジョンは幼い頃の両親の記憶を持っていない。ハドソン夫人の方がよっぽど親らしい世話を焼いてくれた。それは父が仕事ばかりで子供に構わなかったからだと思っていたが、もしも何か理由があったとしたら? それこそ子供の下に戻れない事態に陥っていたとしたら?


「……あっ」ジャネットも声を上げる。「そう言えばこの前、メアリーと一緒にアルバムを眺めてたのよ。そしたらあの子が気付いたの、『ちっちゃい頃の写真にお父さんが写ってないね』って。でも、五歳くらいかな、アタシ達がそのくらいの歳になると父さんやシャーロックの姿も写真に写るようになるの」

 ジョンは記憶を巡らせる。自分の記憶の中で父親の存在を思い出せるようになるのも、五歳以降の思い出からのような気がする。それ以前の父の存在を思い出せない。もちろん幼い頃の記憶だから忘れていたり、覚えていないだけかも知れないが……。

「もしも、それが偶然でないのなら、僕はその理由を探りたい。そして、答えはやっぱり『聖戦』の中にある」


 ――「何も知らない」と散々言われたその言葉。自分が何を知るべきなのか、ようやく分かった気がする。


「他に『聖戦』について調べられるアテを思い付くか?」

「んー……、どうかなあ」

 ジャネットは顎に手を当て、ジョンの問いに悩むようにする。


「あそこかな」二人の間にハリーが言葉を入れる。二人は振り返り、続きを待つ。「懐かしき母校の、例の禁書棚かな」


「「ああ……」」

 ジョンとジャネットは揃って声を出し、そしてとある出来事を思い出していた。


 かつての学生時代、人一倍真面目で大人しかったジェーンが唯一罰則を受けた出来事。生徒が立ち入ってはならない図書館棟最上階にある「禁書棚」へ許可なく侵入した事件だ。悪戯はあれど、規則を破った事などない彼女が、それでも禁書棚へ忍び込んだのは当時の仲間達に多大な衝撃を与えた。更に、彼女は忍び込んだ理由を決して口にしなかった。だから、余計に彼らの記憶に強く刻まれていた。


「……やっと、やるべき事が見付かった感じね」

 ジャネットが零した言葉に、「そうだな」とジョンは頷き、拳を握る。

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