18-3.

「――余計な事を口にするナ、サラディン」

 天が墜ちて来たような、罪を断つ剣の音を聞いた気がした。


 ジョンが咄嗟にそちらへ振り返ると、そこには古めかしい甲冑姿があった。

 黒い鉄と青い装飾に覆われた全身から、重々しい足音を響かせて歩くはアーサー・ザ・キング。歩む一歩一歩の度にズシリと、橋が揺れている感触に襲われる。右手に携える洋剣が月の光を弾き、その見目姿と相反するようで、美しい筈なのに何故か禍々しい雰囲気を醸し出していた。


「はっ……。申し訳ありません」

 サラディンは素早く姿勢を正すと、うやうやしく頭を下げた。更に一歩下がると、アーサーへと道を開けた。


「ほう、アーサー殿まで。今宵は実に良い夜だ」

 ムサシは彼の姿を見ても、相変わらず快活に笑う。――その一方、胸の中で焦りを抱いていた。ここに『聖人』が二人、更にカラスという壁が無くなったのなら、リチャードや他の祓魔師の応援があるかも知れない。彼らと一人で向かい合うのは流石に分が悪過ぎる。

「……ふっ」

 だが、ムサシは沸き立つ心を抑えられない。ここに『教会』圏に於ける最強の一角が二人もいる。

 腕を試したい。鎬を削り合いたい。良く言えば挑戦、悪く言えば無謀――それは分かっている。

 ムサシはチラリとジョンを振り返る。彼と同じだ。より強い者と戦いたいという欲は何物にも代えられない。


 両腕をダラリと下げる。霧が風に因って払われた空を見上げる。「……遺体はどうする、拾った方が良いか?」――「いや、そのまま、自然のままに」。ムサシは歯を見せて笑う。自分も同じだ、帰る場所などどこにもない。遺すものもなければ、悲しむ者なぞとうにいなくなった。

「ならば最期まで、命を燃やしてくれようぞ」

 狂気が走る。剣士が猛る。天下無双――、彼の国に於いてそう言われた剣鬼が滾る血に急かされるまま、足を踏み出した。一歩、腕を振る。二歩、腕を引き――、膝を抜く。体の落下を使って続く三歩が地に着いた瞬間、両足で地面を跳ね飛ばす。


「――『Sky fall』」


 低く、重い声。重力そのものが音を持ったようだった。アーサーは自分の周りだけ時間の流れが違うかのようにゆっくりとした動作で洋剣を掲げると、強く地に突き立てた。

 宙を駆けるムサシが渾身の想いを込めて振るう、アーサーの首を狙った一刀は――しかし、届かなかった。剣先が敵の甲冑に触れるかという時、ムサシの体が上空から強烈な圧力に襲われた。呻き声すら上げられず、彼は地面に叩き付けられた。その後も見えない力に押し付けられ、死にかけた虫のように地に伏せる事しか出来なかった。


 ムサシを地へと縛り付けるモノ――、それは『重力』だ。上から掛かる強烈な圧力に押し潰され、ムサシは身動き一つ取れないでいた。

『電磁』、『重力』、『剣』――。天使からチカラを授かった『聖人』達が操る異能。ヒトとの違いをまざまざと見せ付けられ、ジョン達は閉口する他なかった。


「貴様如きの剣が、我に届く筈がなかろウ」

「……!」

 ムサシは折れそうな程強く歯を噛み、全身に力を込めて重圧に抗う。やがて少しずつ起き上がる体を見、アーサーの甲冑から窺えない瞳がしかし、不快そうに歪んだ。

「……はァッ! やはり貴殿の相手は骨が折れるな、アーサー殿」

 拘束から脱出したムサシは荒い息を上げながらも、決してアーサーから目を離さない。視線の先の彼はその瞳に答えない。突き立てた剣を掴むが、構える事すらしない。敵として認識すらせず、王は全てを等しい視点から睥睨する。


「貴様は何がしたイ。力の差は把握しただろウ。ならば逃げるなりすれば良かろウ」

「逃がして貰えるとは、それは有難い事だ」

「減らず口を叩くナ」

 声が重い、空気すら重い。その黒騎士が放つ気配に、その場にいた皆が総毛立つ。圧倒、重圧――、思わず膝が折れそうになる程の圧制にジョンは息を呑む事しか出来なかった。

 だが、剣鬼は踏み出した。鬼は顧みない、ただ己の欲に従う。剣の道に生き、人ながら鬼と化した彼は只管にその道を走り続ける。果てにあるモノに向けて、愚直なまでに命を燃やす。


 嘘だろう――ッ? ジョンは焼き付いたかのようにムサシの背中から目を離せなかった。

 圧倒的な力を前に、その力量を理解していても尚、突き進み続ける胆力は一体どこから来るのか。自身の技量への自負心からなのか。

 自分だったらどうだろうと、ジョンは考える。……恐らく相手と自分の戦力差をかんがみ、逆転出来る要素や有利に立てる条件がないならば撤退を意識する。

 ジョンはそういう組み立て方、そういう考え方をする。自らをわざわざ窮地には持って行かない。あの売り言葉に買い言葉は敵の手札を伺う為のモノで、一つでも有利を取れる材料を集めたいからだ。あくまでもセーフティに、勝てる要素が多いと判断出来た時のみ戦う。

 切り裂きジャック事件の折、パブでメアリーを連れ去らわれた時にベルゼブブを倒す事よりメアリーの救出を優先したのは、その為だ。勝てない敵を倒そうとするよりも、優先順位はどちらなのかを考えた結果だった。


 迫り来るムサシを見ても、アーサーは動かない。王は動じない、権威が揺るがないように彼は自らの騎士道から外れる事はない。小細工は必要ない、敵は正面から対峙し、叩き潰す。アーサーがゆっくりと剣を掲げた途端、轟音と共に引き寄せられた空気が暴風となり、剣を中心に渦巻いた。竜巻を纏った剣が振るわれると、解放された風が容赦なくムサシを薙ぎ払った。


 ――だが、王の視座から見えないものもある。アーサーはムサシの力量全てを把握出来ている訳ではなかった。

 ムサシは襲い掛かる轟風を前に腰を落とす。見開いた瞳は見えない風を見る。それを間合いに捉えると、腰を切って鞘に納めた刀を抜き払った。

「――――」

 切り裂かれ、霧散した風の奔流にアーサーは言葉を失う。想定外の事態に驚きを禁じ得なかった。天使のチカラすら払い除ける剣速なぞ、彼には想像出来なかっただろう。


 ――力量の見誤り。ムサシはアーサーに付け入る隙があるとすれば、そこにしかないと思っていた。思わず体を固くする黒騎士に向け、剣鬼は己が握る必殺の牙を剥いた。


「……無駄ダ」

 しかし、それでも届かない。ムサシが放った刀がアーサーの鎧を捉える寸前で止まった。彼の両の剛腕を以てしても、停止させられた位置から動かせない。まるで魔術のようだとジョンは思ったが、まさしくその通り。敵の攻撃からアーサーを守る為に鎧の上に着込む、反発する重力の鎧によって、ムサシの刀が寸前で押し止められていた。


 逃れようとするムサシを捕らえて離さない。アーサーは聖剣をかざすと、容赦なく振り落とし、た――が、ジョンはその間に割って入る黒い影を見た。


 血を噴いて仰向けに倒れる――のはムサシではなく、彼らの間に入ったラウムだった。

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