17-3.

「でも、恨んでいるのに、憎んでいるのにそれでも嬉しいなんて、そんな、都合のいい話がある訳――」

「あるよ」ジョンの言葉にジャネットが首を振る。「だってどっちも本当なんだもん。しょうがないじゃない」

 好きで嫌いで、嫌いで好き。許せないけど、一緒にいたい。恨み辛みがあっても、それでもワタシはアナタの傍にいたい。


 人間の感情が『1か0か』の筈がない――。言葉にしてしまえば当たり前の事なのに、ジョンは初めて気付かされたような衝撃に襲われた。

 ジョンにとって、全ては『1か0か』だ。知覚し得る情報全てを統合し、敵の次の動きを読む。

 取捨選択――――、『あるないか』。

 その先にあるのは、『生きる死ぬか』。

 それは彼の生き方。誰にも否定させない彼のアイデンティティー。これからも一生変わらないであろう彼の「道」。


 ――『1』を選んだ筈なのに、僕はまた迷っていた。確かにソレは「らしく」ない。行くと決めたら「行く」。戦闘の最中に、自分が選び取った選択肢が「間違っているのでは」と疑っている暇はない。

 けれど、ヒトの感情はそうはいかない。迷い、惑い、紆余曲折を経ても結局どっちつかずだろう。だが、彼にとっては少し違った。全てに解を求めようとする彼は、それを自分の感情どころか、他人の感情をもそういうモノだと勘違いしていた。


「――――僕は赦されるのか」

 ジョンの口を衝いて出た言葉に、ジャネットは頷く。

「罪も罰も飲み込んで、それでも前に進むしかないんだ」


 アタシだって悔しいよ、父さん達が大変な時に、その場にいる事すら出来なかったんだから。またジョンにだけ重荷を背負わせた――、それなのにアンタに酷い事を言った。罪悪感なら、アタシだって押し潰されそうだ。

 それでも皆が、ジョンがいてくれた。傍に居てくれる――、それだけで前を向いていられる。それに気付けて、ようやくアタシは前に踏み出せた。


「アタシにとって、ジョンは恩人。アタシも、ジョンにとってそうなりたい」

 そう言って、ジャネットが浮かべた笑顔に、ジョンは息を呑んだ。涙が零れた事にすら気付かず、彼は膝から崩れ落ちた。


 父もワトソンもジェーンも自分の所為で死んだ。それを認める為の今までだった。

 ずっと怖かったのは、死んでしまった彼らに責められる事じゃない。ただ一人残されたジャネットに責められる事だ。

 ジョンは彼女には言葉では足りないくらい助けられて来た。でも、彼女自身はそれに気付いていないだろう。彼女にとっては、当然の事を当然としてやって来たに過ぎないのだ。

 ジョンは彼女と同じ地平に立っていたい。彼女もそれを望んでいる事を知っている。

 だが、ジョンは彼女の大切なモノを奪った。償い切れない罪、贖い切れない罰。彼女が自分をどうしようと、それを拒む事は出来ないだろう。でも、彼女は認めてくれた――、赦してくれた。一緒にいたいと言ってくれた。


 ――――嗚呼、それは、なんて。なんという幸福だろう。


 全部終わったら、君に「ありがとう」を言おう。今まで照れ臭くて、一度として口にして来なかった言葉。僕の全てを、その一言に込めたい。


 今になって気付く。自分を失ってでも彼女達に嫌われたくないなんて、聞いて呆れる。そんな恥ずかしい事が良く言えたものだ。

 ……まったく、嗚呼、僕はどれだけ彼女達の事が――――。


「アンタの言葉に――、アンタの心に何度も助けられて来た。だから、今度はアタシの番」

 そう言って、ジャネットはジョンの前に立った。

「アタシらの心を勝手に疑って、敵を作るな。アタシが本当だと言ったら、本当なんだ。アタシは本音しかアンタに伝えてない、今までも、これからも。それすら疑うなら、アタシはアンタの隣に立てない」

 だったら、アンタを置いて、先に行くよ――。そんな決意に満ちた彼女の背中を見て、

「ああ――、違うんだ……」

 ジョンは思わずそう呟いた。


 誰かの背中。また、背中を見詰めたまま、何もせずに倒れているつもりか。

 そんな事を許せるのか。――いや、不可能だ。それでは最早、僕は僕じゃない。

 背中、背中、背中ばかり。また彼と彼と彼女のように――――。

 約束を、思い出せ。自分に課した魂の誓い。お前がお前でいられる言葉を心に刻め。


 伸ばした手はいつの間にか、ジャネットの肩を掴んでいた。

「……傷付く他に救われる道はないと思った」

「何? アンタが傷付けば傷付く程、アタシらの気が晴れるとでも思ったの?」ジャネットは首だけで振り返り、ジョンの言葉を鼻で笑った。「フザけろ、ナメてんのか。アタシはキレたらアンタを殺しに行く。誰かの手じゃなく、アタシ自身の手でアンタを殺す」


「……ジャネット、もう一度僕を殴ってくれ」

「……――はッ?」

 突然の一言に、ジャネットは目を白黒させた。しかしジョンは目の前にいる恩人に向けて、酷く真面目な声で、

「お前に殴られれば、目が覚める気がするんだ」

 成程、そういう事なら――。ジャネットは思わず笑った。いかにもジョンらしいと思ったからだ。笑みを浮かべたまま拳を構えると、彼女は遠慮なく彼の頬に向けて拳を突き刺した。

 豪快な音が響いた。ジョンが衝撃に倒れそうになる体に力を入れ、グッと堪えた。


 ――言い訳だ。

 色々なモノを見失っていた。言い訳ばかり並べて、逃げようとした。罪や罰だと思い込んで正当化し、その果てにいっその事、死のうとした最低な糞野郎だ。

 ――逃げるな。

 歯を食い縛り、血を流してでも前を見ろ。罪に対して罰があるなら、僕にとってはこれがソレだ。


「……嗚呼、お前の一発は、やっぱりキくよ」

 ジョンは口の端から血を垂らしながら顔を起こすと、力強く笑った。


 その笑顔に、ジャネットはホッと息を吐く。少なくともジョンが正気を取り戻したようで、酷く安心した。

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