17-2.

「これじゃあ半年前と同じだ! 信じてたのに、もう大丈夫だと思ったのに……! アンタがそう言ってくれたから、アンタの言葉を信じてたのに!」


 ――嗚呼、勝手な事ばかり言っている。ジャネットは叫びながら、ジョンの顔を見ながら、そんな風に自分を俯瞰していた。


 アタシは彼の苦しみを理解しようとしただろうか。「大丈夫だ」と判断したのは、身勝手な思い込みだった、自分がそう思いたかっただけだった。

 アタシは彼の強さに甘えている。彼は強い人間なんだと思い込んで、彼の背中に縋りたいだけなのかも知れない。彼の弱さに見て見ぬフリをして、自分の中にいる「彼」の強さに甘えている。誰にも負けない、強い「彼」と共にある事が自分にとって一つのアイデンティティーで、それが崩れそうになっているから焦っているだけだ。

 アタシは彼を思い遣ってなんていない。自分にとって都合のいい「彼」を手放したくないだけだ。「彼」の傍にいれば、自分も強くあれる気がした。そんな勘違いの出来る「薬」が、ジョンだった。彼の弱さを知る機会は幾らでもあった。それでも彼なら大丈夫だろうなんて、勝手な思い込みだった。


 もっと話をすれば良かった。もっと彼の心に寄り添うべきだった。


 ジェーン――、貴女なら、きっとそう出来たでしょうね。そう思った時、ジャネットは思わず歯を強く噛んだ。その悲しみと悔しさは、あの時と似ていた。

 父と妹の死を知った時、彼女は強い無力感に落ち込んだ。何度も手を差し伸べ、助けてくれた二人に自分は結局、何も返す事が出来なかった。……その歯痒さすらも、アタシはジョンに言葉にしてぶつけていたのかも知れない。


「僕はお前から全部奪ったんだ。だったら、罰を受けて然るべきだろう」

 ジョンが零す言葉は黒々しい泥だった。その泥の中に自ら頭を沈めようとしているようにすら思えた。


 誰もそんな事は望んでいない。むしろ逆だ、アナタに傷付いてなんて欲しくない。それはジャネットにとって本当に、心からの願いだった。

「……そんな事ない。誰もそんな風に思ってないよ、ジョン! だから自分を傷付けるような真似はやめてよ、お願いだから!」


 彼女からそんな言葉を聞いても、ジョンの中には疑念だけが募り続ける。彼女の心の裏側をどうしても疑ってしまう。自分に見せる所作は全て本音を誤魔化しているものなのではないか。懸命に仮面を被り続けているのではないか。彼女の言動全てを疑ってしまい、そうしてしまう自分自身すら嫌いになりそうで。彼女はそんな人間ではないと頭で理解していても、心は否定を続け、どちらも信じられなくなる。これまで培った彼女との時間すらも手から零れそうになって。


「本当の事を言ってくれよ、ジャネット!」ジョンは地面にうずくまるとまるで乞い願うような姿を晒し、泣き叫ぶようにして、「僕が憎いなら憎いと、そう言ってくれ!」

 ジョンのそんな声を聞くのは初めてだった。ジャネットは幼馴染の悲痛な声に、思わず声を詰まらせた。


 彼の強さも弱さも、アタシは受け入れる事が出来ただろうか?

 彼の内の罪や罰も、アタシは受け止める事が出来ただろうか?


 あの子は――ジェーンには、それが出来た。だから、あの子はジョンにとっての救いになれた。

 アタシは一人よがりで自分勝手だ。彼を傷付ける事しか出来ていない。彼の強さも弱さも知っているのに、知っていただけだった。

 本音――自分の心が描く真実の声。包み隠さず正直に伝えたいとジャネットは思った。けれど、綺麗に言葉へまとめるのは難しい。それでも彼女は懸命に言葉を紡ぐ。


「……確かにあの日――、あの時、ジョンが動く事が出来たなら、誰も死ななかったかも知れないと、思った事はあるよ」

 あの日、運命の日。ジョンはシャーロック、ワトソン、そしてジェーンと一緒にいた。しかし、大悪魔に襲われた一行の中で、まず初めに倒れたのがジョンだった。彼を守る形で三人は襲われ、全てが終わった後に彼らの亡骸があった。

「ジョンが置かれていた状況は知っているし、そこにジョンの責任はないよ」


 理解している。理解していた。それでも彼に何か出来たなら、もしかしたら――。そう考えてしまう事に悪意はない。人として、どうしようもない事だろう。


「だから、確かに、恨んでない――憎んでないと言ったら嘘になる」


 ――嘘じゃないけど、でも、本当じゃない。それを矛盾と呼ぶ者もいるだろう。

 けれど曖昧で、胡乱で、虚実入り混じるのが人間だ。本物と偽物、真実と虚偽は両立する――、ヒトは矛盾してこそニンゲンだ。自分を偽り、仮面を作り、その脱着を繰り返して生きる生き物だ。


「でも、それ以上に嬉しかった。ジョンが帰って来て嬉しかった。アタシはそれだけで救われたんだ。大好きなジョンが生きていてくれて、アタシは本当に嬉しかった……っ!」

 だから、彼女の言葉は「本当」だ。仮面を捨てた心から生み出される真言は、ジョンの心を震わせた。


 胸の前で手を結び、想いを紡ぐジャネットの真摯な瞳を見詰め、ジョンは思わず息を止める。彼は眉を寄せ、それでも彼女の言葉の裏を探ろうとし――、彼女の言葉を必死になって否定しようする自分を見つけた。

 そして、ようやく気付く。彼女の言葉に偽りはないのだと。自分の心が、彼女の言葉を偽りだと断じたのだ。


 耳を塞いでいたのは僕だ。心を閉じていたのは僕だ。信じず、疑い、他者を断絶し続けていたのは僕自身だった。


「情けない姿を晒すんじゃない、ジョン!」

 ムサシとの攻防の中で後ろに下がりつつ、居ても立っても居られなくなったハリーが衝動のままに叫ぶ。

「久し振りに会ってみれば、なんという体たらくだ! 正直、失望したぞ! 馬鹿正直に前だけを見ているのが君だ。過去にばかり足を取られていては誰にも勝てないだろう――、そんなのらしくないぞ、ジョン! 勝つ為にだったらなんでもするのが君だ! だったら、その出鱈目な体を利用して、意地汚く勝ちを拾ってみろ!」


 這いつくばって姿なんて、まったく君らしくない! 再び斬り合いの最中に飛び込みながら、ハリーは自分の心を叩き直してくれた恩人に向けて言葉を放つ。それもジャネット同様、嘘偽りのない本音だった。

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