17-1.

 ハリーがそう意気込んでいた時、背後でジャネットに支えられていたジョンがフラフラと立ち上がっていた。


「ジョン、待って。行っちゃダメよ!」

「まだ……くそ、まだ、まだ……」

 譫言うわごとのように同じ言葉を繰り返すジョンの手を掴み、ジャネットが彼を引き留めた。

「待ちなさいよ! ジョン、アンタはここにいて――」

「そうはいかない。僕は、僕はまだ――」

 ジョンがジャネットに振り返った。彼が浮かべる表情に、ジャネットは思わず息を呑む。彼の怯えたような目を見て、パブで食事をしたあの夜と同じ目をしている事に気が付いた。


 何に怯えているの? ジャネットは彼にそんな目を向けられるのが初めてで、どうすればいいのか分からなかった。


「ジョン、待って。ちゃんと話をして。アタシの事、ちゃんと見てよ」

「ジャネット……」

 ジョンはジャネットと目を合わせるも、すぐに目を逸らした。何か後ろめたそうな雰囲気を感じたジャネットは、ジョンが敵に無惨に切り裂かれた様を思い出し、

「もしかしてアンタ、わざと斬られてたんじゃ……?」

「…………」

 ジャネットの口を突いて出た言葉にジョンは答えず、彼女から顔を背けた。彼女にとって、返答はそれだけで十分だった。

 ジャネットは衝動に突き動かされるまま、ジョンの頬を思い切り殴り飛ばした。

「バカするのも大概にしろよ糞っ垂れ! フザけた真似してんじゃねえぞ!」

 怒号。こんな声を彼にぶつけるのはいつぶりか、思い出す事も出来ない程の大声を、ジャネットは地面に倒れたジョンにぶつけた。

「父さん達が死んだのは、アンタの所為じゃない! そんな事、皆分かってる! アタシだってそんな事は考えて――」


「――――だって、お前から全部奪ったんだぞ」

 ジョンの呟いた言葉に、ジャネットは息を止めた。


 違う――彼の後悔は、積み重なった罪悪感はいなくなってしまった彼らに向けられたものじゃない。……アタシ、か。父と妹を失った自分に対して降り積もった罪の意識。

 ――「父さんとジェーンを奪った癖に……」――――。アタシの、言葉が……。自分の言葉がどれだけ憧れの人を傷付けていたのか、ようやくジャネットは思い知った。


 ジョンは確かに父や恩人達に対する罪悪感を克服出来ただろう、しかし、ジャネットに対するそれはずっとくすぶっていたのだ。

 彼女は今になって、ジョンが自分を見詰める昏い顔付きの意味を知った。彼がそこまで自分の言葉を気にしていたなんて、傷付けていたなんて、思い詰めさせていたなんて、考えもしなかった。

 彼はもう大丈夫だと。ジョンは罪の意識を振り払い、以前と同じように回復したと思っていた――そう、彼女は思い込んでいた。


 ジョンは切り裂きジャック事件を通して、自信を取り戻しただろう。しかし、自分の力を信じられるようになっても、ジェーンとジャネットに対する罪の意識は残り続けた。

 彼女達は聡明な人間だ、だからこちらの心情をおもんばかって本音を口にすることはないだろう。それでも、彼女達の心の内には募るものがある筈だ。

 自分に対して投げ付けたい言葉や叱責があるにも関わらず、彼女達はこちらを思い遣って口を閉じる。ジョンが彼女達の内なる心情を想像すると、どうしようもない不安が心を占め、身が竦んで動けなくなる。

 だが、ジョンは彼女達にそれを気付かれたくなかった。もしも気付いたら、姉妹は大いに傷付くだろう。だからジョンは彼女達に勘ぐられないように、冷たい態度を取り続けた。


 ジャネット達の全てを奪い取った責任は自分にある、その罪からは逃れられない。そして、積もり積もった罪の意識の中で、ジョンが求めたのは贖罪の機会だった。彼は目の前に立つ宮本ムサシが、それを持って訪れたと思った。


 ――ジョンはずっと怖かった。ジェーンに、ジャネットに自分を否定される事が、非難される事が。


 だから、痛みが欲しかった。誰かを傷付けた分、自分は傷付くべきだと思った。他人に何を言われても、自分で自分が「赦された」と認めるまでは、腕が飛ぼうが内蔵が零れようが構わないと、彼は本気でそう思っていた。


「……あアッ!」

 ジャネットは――しかし、そんなジョンの胸倉を掴み上げた。

 彼女は憤っていた、これ以上ないくらいの怒りに支配されていた。彼の苦しみに気付けなかった自分と、自分の言葉を正しく聞き取ってくれていなかった彼に対し、猛烈な怒りを燃やしていた。


「アンタ、アタシの話、聞いたのかよ! アタシはアンタが戻って来てくれて嬉しかったって、そう言ったよねえ!」

 怒りは真っ白な炎だった。包まれたものは灰さえも白く染まるような白い炎。ジョンを掴む手を更に力を入れ、彼女の怒号は続く。

「約束しただろ、つい半年前だぞ! アタシを悲しませるような真似はしないって言ってくれたじゃない! それがこの有様か? アタシの目の前にいるアンタの情けない面を見せてやりたいよ!」


 約束を――忘れた訳じゃない。ジョンは胸の中で呟くばかりで声が出なかった。


 彼は決して彼女と交わした約束を忘れた訳ではない。約束を守ろうとする自分と、彼女にとって紛れもない加害者である自分との間での葛藤とせめぎ合いの中で、彼はずっと苦しんでいた。それを誰かに口にする事など、彼に出来る筈もなかった。


 いつもと何も変わらない日々、敵討ちを願っても叶わぬ日々。何も出来ない無力さばかりがかさんでいく日常が、更に彼を追い詰めていた。

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